「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の内容
長く続いた戦争のため、放射能灰に汚染され廃墟と化した地球。生き残ったものの中には異星に安住の地を求めるものも多い。そのため異星での植民計画が重要視されるが、過酷で危険を伴う労働は、もっぱらアンドロイドを用いて行われている。また、多くの生物が絶滅し稀少なため、生物を所有することが一種のステータスとなっている。そんななか、火星で植民奴隷として使われていた8人のアンドロイドが逃亡し、地球に逃げ込むという事件が発生。人工の電気羊しか飼えず、本物の動物を手に入れたいと願っているリックは、多額の懸賞金のため「アンドロイド狩り」の仕事を引き受けるのだが…。
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」の感想
近未来SF
1968年に刊行(日本語版は1969年)された近未来SF小説です。映画化された「ブレードランナー」というタイトルの方が圧倒的に世間には馴染みがあるでしょう。第三次大戦いわゆる核戦争後の地球を舞台にしています。設定としてはよくあります。当時の東西冷戦下におけるSFの普遍的な設定なのかもしれません。
脱走アンドロイド8人を、賞金稼ぎの「リック」が狩っていきます。空を飛ぶ「ホバー・カー」「レーザー銃」「映話(TV電話のことだと思います)」など、当時、近未来に存在するだろうと想像されていた道具が登場し近未来感を表現しています。今となれば新鮮味はないですが。
人間が人間である意味
ベースはアクションSF小説です。しかし、テーマは人間とアンドロイドとの違いは何か?限りなく人間と区別がつかないアンドロイドを、ただアンドロイドという理由だけで人間が一方的に廃棄処理することが正しいのか、という苦悩をリックの心の変化を通じて問いかけてきます。もちろん、人間とアンドロイドの決定的な違いは何かということは、作中に書かれています。これを言ってしまうと、この小説の最も重要な命題を知ることになるので書きません。ただ、その違いは人間同士においても発生しうる違いです。また、リック自身も変化していくことにより、ますます人間とアンドロイドの境界が曖昧になっていきます。
SF小説でありながら、哲学的な問いかけを読者に提示してきます。一読するだけでは、理解しにくいところがありました。考えさせられる小説です。
終わりに
映画「ブレードランナー」をもう一度見ようと思っています。非常に評価の高い作品です。その後で、もう一度、この小説を読み返したい。また、新たな発見があるかもしれません。いずれは、人間と全く変わらないようなアンドロイドが発明されるかもしれない。その時に人類はどのようにアンドロイドと関わっていけばいいのか。決して、空想だけの世界ではありません。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))
- 作者: フィリップ・K・ディック,土井宏明,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1977/03/01
- メディア: 文庫
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