読書LIFE ~毎日が読書日和~

本を読み、備忘録的に感想を綴るブログ。主に小説。映画もたまに。

羊をめぐる冒険:村上春樹【感想】

  

「羊をめぐる冒険」の内容  

あなたのことは今でも好きよ、という言葉を残して妻が出て行った。その後広告コピーの仕事を通して、耳専門のモデルをしている二十一歳の女性が新しいガール・フレンドとなった。北海道に渡ったらしい“鼠”の手紙から、ある日羊をめぐる冒険行が始まる。

美しい耳の彼女と共に、星形の斑紋を背中に持っているという一頭の羊と“鼠”の行方を追って、北海道奥地の牧場にたどりついた僕を、恐ろしい事実が待ち受けていた。一九八二年秋、僕たちの旅は終わる。すべてを失った僕の、ラスト・アドベンチャー。村上春樹の青春三部作完結編。【「BOOK」データベースより】

 

「羊をめぐる冒険」の感想  

鼠三部作の終結

 鼠三部作の3作目です。この後に、「ダンス・ダンス・ダンス」という続編が刊行されます。それが、どのような位置づけになるのか別にして、鼠三部作としては、完結ということでいいのでしょう。

 

 「風の歌を聴け」は、現実の世界での物語と感じることは出来ました。現実世界の若者の心象風景を、村上春樹独特の文章で表現していました。

 それが、「1973年のピンボール」で、現実感が薄まりつつありました。特に、主人公である「僕」のパートにおいては顕著であったように感じます。

  

 そして、今作においては、現実の世界を舞台にしていながら、そのリアリティは消滅していきます。観念的で抽象的な表現だけでなく、そこで起こる出来事までもリアリティから遠ざかっていきます。

 しかし、物語としては、今までの2作と比べて最も系統だったストーリーが展開されています。冒険というだけあって、主人公が目的(自発的か強制的かは別にして)を持って行動していることが明確であるから、小説としては面白い。

 ただ、登場人物のセリフや心象は、先ほども書いた通り、観念的・抽象的な部分が多くあることも事実です。

 

村上春樹の小説の要素 

 村上春樹の小説で語られる事象には、いくつかの重要な要素があります。そして、この小説においても、その要素が出てきます。

 

 まず、「羊をめぐる冒険」で、最初に出てくる重要な要素は「喪失」です。

 この小説で「僕」は、様々なものを喪失します。それは、冒頭に、妻が出て行ってしまう喪失から始まります。単なる離婚なのですが、「僕」にとって、それは別れではなく喪失と表現すべき事象であると解釈できます。

 妻を喪失した後に「耳専門のパーツモデル」であるガールフレンドと付き合うことになるのですが、それも、将来訪れる新しい喪失を手に入れたに過ぎないように感じさせます。しかし、この喪失が物語の展開のきっかけを作っていくのも事実です。

 

 次に、主人公は「僕」ですが、当然「羊」が最も重要な物語の要素です。そして、「羊」が表すものとは一体何なのか。

 それは、「悪」です。

 村上春樹の小説には、「悪」がしばしば登場します。それは、それぞれの小説において形を変えます。しかし、悪は、村上春樹にとって表現すべき重要な事柄なのでしょう。

 

 最後に、この小説が、リアリティを失う理由。それは、現実と異なる世界の出来事が起こることです。

 つまり、異世界の存在です。

 しかも、その異世界の出来事こそが、問題を解決するために重要であり、欠かすことの出来ないものであることは容易に読み取れます。

 それは、その出来事が必要であるということが容易に読み取れるだけで、そこで起こる出来事の意味を読み取ることが容易であるという意味ではありません。

 

 この3つの要因について、感想を書いていきたい。

 

「喪失」が物語の発端であることについて 

 物語の発端は、ある男が「僕」に羊を探すように依頼(強制)することです。その羊は、右翼の大物である「先生」の中からいなくなったと語られます。その段階で、その男から羊の説明はなされますが、それは表面的で本質でないことは分かります。「僕」も、強制されつつも、最初は探すつもりはなかったのです。

 

 そこで、最初の「喪失」が意味を持ってきます。

 「僕」は、冒頭で妻を喪失します。彼女が出て行ってしまったことが、彼の心に喪失という空白を作ります。そして、ガールフレンドと出会い、付き合うようになります。そのガールフレンドが、「僕」を羊探しへと誘うのです。

 妻の喪失がなければ、ガールフレンドと出会うこともなく、羊を探したかどうかも分かりません。そのガールフレンドとの出会いは偶然なのか必然なのか。必然であれば、妻との離婚も必然になります。全てが繋がっています。「喪失」が繋がりを起こしています。

 

 そして、羊を探すことになるのも、先生が羊を「喪失」したからです。先生の喪失と「僕」の喪失が繋がり、羊をめぐる冒険に出ることになるのです。

 「僕」が、羊探しに出ることになり共同経営者である相棒は、「僕」を喪失します。そして、現在の仕事も喪失することになるのです。「僕」にとっては、仕事を手放すに過ぎないことでありながら、相棒にとっては喪失になるのです。

 他にも、鼠の頼みで、故郷の街の鼠が付き合っていた女の子に「僕」は会いに行きます。彼女は、鼠を喪失したことに、どのように向き合い納得するのか分からずにいます。

 様々な場所で、様々な人間が、何かを喪失しています。喪失を受け入れることが出来なければ、それに囚われ身動きが取れない。前に進むためには、誰にでも訪れる喪失を受け入れなければならないということを表現しているのかもしれません。

 

「悪」としての羊 

 「羊が先生に入り、彼を右翼の大物にした」

 これが、先生の秘書である男が言った説明です。この内容だけでは、羊が悪であると断じることは出来ません。この秘書は、どちらかというと羊を肯定的に説明しています。羊がいなくなったことによる損失、羊がいたことによる成果を説明するからです。そして、羊がいなくなった先生は、すでに意識不明の状態であるので、秘書の言うことが正しいかどうかも分かりません。ただ、非現実的な話です。

 

 その後、「僕」は羊を探すために、北海道を訪れます。その宿泊先である「いるかホテル」で、羊博士と出会います。彼は、過去に羊に入られていた人間です。そして、羊が去り、羊抜けの存在になっています。彼は、羊抜けとなった自分が、いかなる存在かを語ります。その内容が、羊が望ましい存在でないことを示唆するのです。

 その羊を追い、最後に訪れた場所で、「僕」は鼠と再会します。そこで、鼠が羊について語ります。羊が「悪」として存在していることが分かるのです。

 

 羊が入るというのは、非現実的な話です。

 また、悪が羊ということはどういうことなのか。

 悪の象徴として、羊が使われています。そして、羊が入るということは、悪に取り込まれることです。何故、羊なのかは分かりませんが。

 

 羊は、非現実的世界における現実的出来事として描かれていると感じます。悪の暗喩として用いられると同時に、非現実的世界で実態と化した羊が存在しています。

 勝手な憶測ですが、そのように考えていいのではないでしょうか。

  羊が、人間にとって悪であることは、物語が進んでいくことにより明らかにされていくのです。

 

異世界での出来事 

 人に入る羊を探すという非現実的な目的ですが、その舞台となる世界は現実世界です。東京から始まり北海道へと移動しますが、それでも人々が生活する世界の話です。

 

 しかし、羊を追い最後に到達した別荘で、その世界は変わります。

 そこは、現実の世界でありながら、非現実の異世界でもあります。なぜなら、すでに現実世界にいない鼠が存在する場所だからです。別荘に到着してから、「僕」は段々と現実から引き離されていきます。日が経つごとに、人々が生活する世界との距離が開きます。非現実の異世界が、すぐそこに存在していることを意識的・無意識的に感じているのです。そして、そのことが、鼠との邂逅を可能にしたのです。

 

 現実世界と異世界の境界のあいまいさ。それが、物事の境界のあいまいさを生みます。そして、善と悪のあいまいさを生む可能性もあります。

 しかし、そのような中、羊は悪であり続けるのです。それは、根源的な悪・絶対的な悪・普遍的な悪と言えるものです。悪は、状況や環境によって左右されるべきものでないということ。それを表現しているのでしょう。

 この小説における重要な3つの要素です。

 

 次に、「僕」にとって重要な2人の登場人物です。

 

「耳専門のパーツモデルであるガールフレンド」と「羊男」 

 ガールフレンドは、「僕」が羊と関わることを予言します。彼女の耳が、それを予言させたと言います。そして、「僕」もその耳に惹きつけられています。彼女の耳は、一体何の暗喩なのか。それは、よく分かりません。ただ、彼女は確かに予言をした。そのことが重要です。

 東京から北海道、さらに別荘まで彼女と一緒に行きます。それは、彼女が「僕」をそこまで連れていく必要があったからでしょう。そして、彼女は、「僕」が最後の目的地に着いたところで姿を消します。それは、別荘にいた「羊男」に追い返されたのですが、最初から、それは決まっていたような印象を受けます。ガールフレンドは、そこで役割を終えたのです。そうして、「僕」の前から完全に姿を消してしまうのです。それ以上、そこに留まることは許されなかったのでしょう。

 

 次に、羊男です。

 羊男は、一体何者なのか。正体は語られません。ただ、羊男が存在する必要性については想像できます。

 別荘は、現実世界と非現実の異世界があいまいに混ざり合っている場所です。そこで、異世界に存在する鼠と、現実世界に存在する「僕」が、再会するためには媒介する者が必要です。それが、羊男です。

 「僕」が、どれだけ異世界に踏み入れようとしても、現実世界で生きている限り踏み入れることは出来ない。

 羊男が存在した理由。それは、「僕」と鼠を再会させるための媒体。そのために、鼠は彼を利用したのでしょう。そして、媒体として存在することが、羊男の存在理由なのです。

 

最後に 

 この小説で、鼠の物語は終わります。それは、「僕」にとって望ましい結末ではありません。この物語で、「僕」は多くのものを喪失します。しかし、それ以外の終わり方もなかったと感じます。

 「羊をめぐる冒険」では、多くの謎が残されます。

 

 何故、羊は鼠を選んだのか?

 先生と鼠には関係があるのか?

 ガールフレンドはどこに行ったのか?

 先生の秘書はどこまで知っていたのか?

 など・・・

 

 読めば、多くの謎が残ります。この小説に、現実的な解決を求めれば、更に謎が増えていくでしょう。何度、読み返しても、全てが納得できるようになるとは考え難い。しかし、最初に書いた通り、三部作の中では、一番ストーリーがある小説です。読みやすくもあり、読みにくくもある。そんな小説です。   

 

 

 

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