こんにちは。本日は、伊坂幸太郎氏の「グラスホッパー」の感想です。
復讐と非合法組織と殺し屋の思惑が交錯するストーリーです。前回読んだ「チルドレン」の心温まる物語から一転、憎悪と悪意が渦巻く重苦しい話です。
小説に描かれている組織、職業(殺し屋)が実際に存在するかどうかは別にして、一般人には縁遠い世界が舞台です。非合法組織は現実に存在するでしょうが、殺し屋が現実に存在し活動しているかどうかは想像外の世界です。
しかし、全く現実感が乏しい小説ではありません。現実に殺し屋が存在するのではないかと思ってしまいます。知らないだけで本当に存在しているかもしれませんが。
「グラスホッパー」の内容
「復讐を横取りされた。嘘?」元教師の鈴木は、妻を殺した男が車に轢かれる瞬間を目撃する。どうやら「押し屋」と呼ばれる殺し屋の仕業らしい。鈴木は正体を探るため、彼の後を追う。一方、自殺専門の殺し屋・鯨、ナイフ使いの若者・蝉も「押し屋」を追い始める。それぞれの思惑のもとに―「鈴木」「鯨」「蝉」、三人の思いが交錯するとき、物語は唸りをあげて動き出す。【引用:「BOOK」データベース】
「グラスホッパー」の感想
一般人と殺し屋たち
主人公である鈴木は、この小説において唯一の一般人です。一般人だからこそ読者は鈴木の言動に共感します。確かに、物語は鈴木から始まり鈴木で終わります。しかし、大きく3人の視点で描かれています。
- 一般人の「鈴木」
- 殺し屋の「蝉」
- 自殺屋の「鯨」
接点がなかった3人が、押し屋「槿(あさがお)」を軸に絡まってきます。伏線を散りばめ、回収していくという伊坂幸太郎らしい構成です。意外な伏線が張られているというよりは、あるべきところに自然に収束していく印象です。ストーリー展開は予想の範囲内でした。
主要な登場人物
鈴木
27歳の元中学校教師。二年前、妻がひき逃げに遭って亡くなるまでは平凡な生活を送っていた。犯人に復讐するため職を変え、その父親の経営する会社「フロイライン」に入社する。
裏社会の人間に理不尽に妻を殺された鈴木が、裏社会に足を踏み入れ復讐の機会を伺う。そこから物語は始まる訳です。一般人が裏社会に足を踏み入れるとは、どういうことか。踏み入れればどうなるのか。一般人である読者は、鈴木の視点に一番共感を覚えることになります。妻の復讐のためと言いながらも、非合法組織の片棒を担ぐ。鈴木の心の重荷にならない訳がありません。
その重荷を「殺された妻のため」という自己欺瞞を用いて押さえつける苦悩が描かれています。
自分の思い通りにはならない世界。もちろん、世界は自分の思い通りにはなりませんが、思っている以上に悪い方向にしか進まない裏社会が鈴木を苦しめていきます。そして、自分の意志とは関係なく押し屋を探すことになり押し屋へと引き寄せられていきます。
そんな苦しみの中にありながらも、伊坂幸太郎らしい軽快なテンポと台詞で必要以上に重苦しくなりません。その一端に、彼が心の支えとする亡き妻の言葉があります。妻の言葉はいろいろ出てきますが、一番登場するのが、
「やるしかないじゃない」
その言葉が読者の心にも響いてきます。
蝉
ナイフを巧みに扱う殺し屋。ナイフの扱いだけでなく格闘術にも優れる。岩西という仲介業者と2人で仕事を受けている。痩身で猫のように機敏な茶髪の青年。哲学的死生観を持ち、口が悪く蝉のように喧しい。
まさしく職業殺し屋。人を殺すことに罪を感じず、指示された対象を殺す。どちらかと言えば、殺すことに喜びを感じているようにも受け取れます。ナイフを構えた時の彼の妙なハイテンションが彼の個性を際立たせています。
ただ、彼の悩みは自分が操り人形に過ぎないのではないかということです。自分自身の意志で生きているのか。仲間というよりは上司とも言える岩西に殺しの指示を受ける度に、彼の心は自分自身の存在そのものの意味を問います。
岩西の操り人形であることは人生自体が誰かに操られているのでは、という疑心暗鬼を生み出すのです。
人を簡単に殺しながら、自分の存在意義に悩むのは自分勝手な人間です。彼は岩西の指示によらない行動を起こすことで、自身の存在意義を見出そうとします。それが、押し屋を探して殺す、ということです。そのことで果たして目的が達成できるのかどうか。そうして、蝉も押し屋に引き寄せられていくのです。
鯨
自殺専門の殺し屋。「鯨」の名に相応しく大柄な体格で、彫の深い陰鬱な目をしている。彼と対面した人間はなぜか死にたくなるという。自殺させた人間が幻覚のように現れ話しかけてくるため、現実が曖昧になりつつある。
蝉が「陽」なら、鯨は「陰」です。彼が抱える闇はとても深い。殺し屋といってイメージする殺し屋ではありません。死を与える点では同じですが、自殺させる。回りくどいやり方ですが、自殺でないと都合が悪い場合もあります。それなりの需要があるからこそ、裏の業界では有名な殺し屋として描かれています。
大男と表現されていますが、物理的な大きさだけでなく彼の存在感は半端なく大きく印象付けられます。
自殺屋として対象を自殺させるのですが、脅すことにより自殺させるのが手法です。しかし、物語が進むにつれ彼の闇は深くなり続け、脅すことにより対象が自殺する訳ではなくなっていきます。彼の闇を受けて対象自身が自分の闇を増幅させ、死を求めていく。ある意味、オカルト的な存在になっていきます。
その闇に自分自身が飲み込まれそうになった時、その闇の根源が押し屋であることに気付き押し屋を探すのです。鯨も押し屋に引き寄せられていきます。
最後に
物語を通じて鍵となるのが「押し屋」です。押し屋は殺し屋の一種ですが、初めて聞く単語でした。押し屋は誰なのかは、最初から分かっています。それを知っているのは鈴木だけです。誰も彼もが押し屋を探す中、押し屋の所在を知っているのは鈴木だけ。
すなわち、押し屋を探す=鈴木を探す、になります。
一般人である鈴木は、裏社会の怖さを理解しているようで理解出来ていない。その様子が読んでいてもどかしい。押し屋を中心に、どのような解決がもたらされるのか。伊坂幸太郎の小説はネタバレしてしまうと面白味がなくなるので、詳しくは書きません。最初に書きましたが、びっくりするほどの意外性のある展開には感じませんでしたが全てが収まるべきところに収まった印象です。
ハッピーエンドではありません。妻を殺された鈴木の復讐が発端ですので、どんな結末を迎えても彼の妻が生き返る訳ではありません。ただ、鈴木が復讐の負の感情を捨て、新たな希望を得ること。それが叶うのであればバッドエンドではありません。