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『月の満ち欠け』:佐藤正午【感想】|月の満ち欠けのように、生と死を繰り返す

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  第157回直木賞受賞作です。全く内容を知らずに読み始めました。恋愛小説なのか、ミステリーなのか、ファンタジーなのか、コメディなのか。それすらも知らずにです。だから、物語が「愛する人に再会するために、生まれ変わりを繰り返す」という内容だと気付くのにかなり読み進む必要がありました。  

 生まれ変わりだけを見れば、ファンタジー溢れる恋愛小説を思い浮かべます。その通りの内容なのですが、そんなラノベのような物語ではありません。生まれ変わりという非現実に接した時、その非現実をという現実をどのように受け止めるのか。生まれ変わりを繰り返す女性の視点だけでなく、その周りの人物たちの視点からも描く。生まれ変わることが周りの人間にどんな思いを抱かせるのか。立場の違う3人の男性の視点から、とてもリアルに描いています。 

 感想を書くには、誰が生まれ変わるのか書かなければなりません。なので、最も重要な部分のネタバレを含みますので、未読の方はご了承ください。 

「月の満ち欠け」の内容 

あたしは、月のように死んで、生まれ変わる──目の前にいる、この七歳の娘が、いまは亡き我が子だというのか? 三人の男と一人の少女の、三十余年におよぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく。  

「月の満ち欠け」の感想

まれ変わり

 生まれ変わりを繰り返す「瑠璃」と彼女を取り巻く3人の男性、小山内堅・三角哲彦・正木竜之介の物語です。この3人は、父親・恋人・夫という、それぞれの立場から「瑠璃」を見ています。そして、彼らが見ている瑠璃は、同じ瑠璃ではありません。生まれ変わることにより別人になるからです。瑠璃は3回生まれ変わります。3回生まれ変わるということは、4人の瑠璃がいることになります。

  • 小山内にとっての「瑠璃」は、娘。
  • 三角にとっての「瑠璃」は、恋人。
  • 正木にとっての「瑠璃」は、妻。正木は、「瑠璃」の生まれ変わりとして「希美」という少女にも出会っています。

 違う「瑠璃」でありながらかつての「瑠璃」の記憶を持っているということは、同じ「瑠璃」でもあります。彼女が生まれ変わることは、彼らにとって苦しみであったり喜びであったりします。彼女との関係性の違いから当然のことなのでしょう。

「小山内瑠璃」の父・小山内堅 

 3人の視点ですが、その中でも小山内堅が中心です。彼は、妻「梢」と一人娘「瑠璃」を15年前に亡くしています。彼は、亡くなった娘「瑠璃」の親友で女優の「緑坂ゆい」と彼女の娘「緑坂るり」に会います。彼らが会っている午前十一時から午後一時までの間に物語は始まり、終わりを迎えます。ただ、その2時間の間には30余年に及ぶ「瑠璃」の生まれ変わりの物語が描かれています。

 読み始めは全く話が掴めません。7歳の「緑坂るり」の話すことが、全く理解できないからです。これから語られる物語が、どのように展開していくのか。彼女の言葉の謎が、一体何を意味しているのか。私は、物語の中盤くらいになって初めて話が見えてきました。「緑坂るり」が何者なのかということについてもです。言い換えれば、中盤くらいまで話が見えていなかった訳ですが、それでも先を読む手が止まりません。それだけ物語の構成が素晴らしかった。 

簡単に謎を明かさない。それでも、謎だらけで読者を突き放すようなことはしない。とても丁寧で、緻密に計算された構成です。 

 「緑坂るり」の言葉の謎から、小山内堅の人生の回想へと物語は展開します。その話の核心は一人娘の「瑠璃」です。彼女が変貌していく様子。それに対する妻の苦悩。それに向き合わない堅。小山内の娘「瑠璃」の変化と目の前にいる「緑坂るり」の謎の言葉。この二つの関係について、この段階では全く予想も想像も出来ませんでした。 

「正木瑠璃」の恋人・三角哲彦 

 この2人の関係が物語の始まりです。大学生の三角と人妻の「瑠璃」。偶然の出会いから、生まれ変わってまで一緒にいたいと思うほどの繋がりになるまでの経緯が描かれています。人妻と大学生の関係は、一般的に言えば許されない関係です。しかし、彼女は、それでも三角との関係を望みます。三角も「瑠璃」との関係を望みます。2人が出会うべくして出会ったということなのかもしれません。会話の中で、夫の話が出てくることもありますが、彼女の家庭については、あまり言及されません。

 三角にとって初めて深い関係になった女性であり、熱に浮かされた印象を受けます。ただ、2人の関係が深まるにつれ、単なる一過性の愛情でないことが描かれていきます。彼らの心の在り方、求め合い方、お互いの存在の意味などを細やかな表現で描いています。2人の関係が、この後の30余年の運命を決めることになります。予期せぬ彼女の死が30余年の物語の始まりです。 

 タイトル「月の満ち欠け」の意味が、三角と「瑠璃」の会話の中で語られます。 

月の満ち欠けのように、生と死を繰り返す。 

 彼女の言葉です。また、死に関する出来事や台詞が多く含まれていることも気にかかります。2人の関係の終わりの暗喩のように感じます。 

「正木瑠璃」の夫・正木竜之介 

 「正木瑠璃」とは、一体どのような人物なのか。前述の三角との恋愛の中では、謎に包まれた部分が多くあります。三角が「瑠璃」を求めるのは、何となく分かります。初めての女性だからです。「瑠璃」が三角を求める理由。それは「瑠璃」の実生活、すなわち結婚生活が大きな理由です。正木竜之介と「瑠璃」の関係は、全く望ましいものではありません。竜之介が「瑠璃」に求めているものを、「瑠璃」が竜之介に与えない。竜之介の勝手な思い込みで「瑠璃」を追い詰めます。子供が出来ないことが決定的な要素として描かれています。竜之介が浮気をすることも、「瑠璃」が三角を求める理由の一つかもしれません。結果として、「瑠璃」は不慮の事故で死にます。竜之介にとっては、その事故ですら彼女が竜之介を苦しめるために死んだと解釈するのです。

 彼女にとって、竜之介は悪意の存在として描かれています。その悪意に接していることが、生まれ変わってまで三角を求める要因となっているのでしょう。およそ20数年後、正木竜之介は「瑠璃」の2回目の生まれ変わりである「希美」に気付きます。彼女が「瑠璃」の記憶を取り戻してから、竜之介は再び「瑠璃」によって人生を狂わされます。「希美」の問題でなく、竜之介自身の問題だと感じざるを得ませんが。 

月の満ち欠けのように・・・ 

 愛する人に再会するために、生まれ変わりを繰り返す。
 これだけを見れば、純愛の物語のように感じます。しかし、何故、これほど苦しくて切なく感じてしまうのだろうか。それは、生まれ変わりが必ずしも幸せを持ってくるとは限らないことを描いているからかもしれません。生まれ変わるために必要なことは何か。それは死ぬことです。死ななければ生まれ変わることは出来ません。そして、死は必ず周りの人間に大きな影響を及ぼします。

  • 三角にとっては、恋人の喪失。
  • 小山内にとっては、娘の喪失。
  • 正木にとっては、妻の喪失。

 生まれ変わって、愛する人の元に再び現れる。生まれ変わりの数だけ、不幸が生まれることになるのです。だから、単純に幸せな物語とならないのでしょう。

 最後に「るり」は思いを遂げ三角の前に現れることになるのですが、果たして、そのことも単純に喜べることなのか。50代の三角と7歳の「るり」。2人が過ごせたはずの多くの時間は、すでに失われています。それでも三角の最後の一言が、この30余年の生まれ変わりが無駄でなかったことを語っています。

 三角が7歳の「るり」に呼びかけた一言。

「瑠璃さん、ずっと待ってたんだよ」

 7歳の「るり」に、50代の三角が「瑠璃さん」と呼びかける。その瞬間、失われた時間がすべて取り戻せたような感覚が全身を覆いました。