シンガポールから、本来の旅の出発地であるインドへと旅立つところから始まります。と言っても、旅の出発地となる「デリー」に向かわず手前の「カルカッタ」へ降り立つところは、いかにも放浪に近い「旅」の醍醐味なのであろう。カルカッタへ行くと決めれば、何がなんでもカルカッタに行こうとする著者の頑固さも面白い。シンガポールから行けないと分かると、わざわざバンコクへと引き返す。しかも、デリー行きの航空券を、カルカッタ行きへと変更してくれるかどうかの保証もないままに。まさしく、思いついたら即行動。何とかなるさ、という思い込みと気軽さ。香港から始まりシンガポールへと至った数カ月に及ぶ旅が、明らかに著者を成長(これを成長と呼ぶかどうかは分からないが)させているように感じる。
インド・ネパール編を読んで、今までの東南アジアの旅ですら序章でしかなかったのではと思わずにはいられない印象深い出来事ばかりでした。
「深夜特急3 インド・ネパール」の内容
風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。そうやって〈私〉はやっとインドに辿り着いた。カルカッタでは路上で突然物乞いに足首をつかまれ、ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活を体験した。ベナレスでは街中で日々演じられる生と死のドラマを眺め続けた。そんな日々を過ごすうちに、〈私〉は自分の中の何かから、一つ、また一つと自由になっていった―。【引用:「BOOK」データベース】
第七章 インドⅠ
第七章は、カルカッタとブッダガヤ(インドでは「ボドガヤー」と発音するらしい)が中心です。東南アジアと同じように、カルカッタにも貧富の差が目に見えて存在する。年端もいかない少女が身体を売る。道端の物乞いが足を掴み、金をねだる。下半身の動かない女が、カラスと争い残飯を漁る。人間として生を充実させることは絶対に叶わず、ただ命を繋ぐためだけに生きている。日本で生きてきた私にとって知識として知っていても、あまりに現実感がなかった。その現実感のなかった世界を、著者が現実的に書いているから怖くなってくる。
貧富の差は、カルカッタの人々の金に対する貪欲さにも表れているように感じます。
- 現地通貨との両替商との交渉。
- 偽の学生証の購入。
- ピーナッツ売り。
どれもが日本では考えられない世界です。しかし、カルカッタでは日常に溶け込んでいる。その混沌とした街に、著者は熱狂的な興奮を覚えています。著者は、カルカッタの街をひたすら歩き回ります。そして、彼がカルカッタについて語った言葉。
カルカッタにはすべてがあった。悲惨なものもあれば、滑稽なものもあり、崇高なものもあれば、卑小なものもあった。
彼は、カルカッタでインドと言う国を思い知らされたのかもしれません。カルカッタを半月ほどで後にし、とりあえずパトナに向かいます。この「とりあえず」と言うのが、いかにも著者らしい。しかし、移動手段としての列車が凄まじい。 著者のすごいところは、この混雑に辟易としながらも受け入れていくところです。普通だったら二度と乗りたくないと思いますが、これがインドだと納得するのが沢木耕太郎なのでしょう。列車の中で、次の行き先をボドガヤー(ブッダガヤ)と決めます。釈迦が悟りを開いた仏教の聖地です。
日本の寺もあり、とても静かな農村です。著者はカルカッタの喧騒から離れ、のんびりと過ごします。しかし、この静かな聖地にあっても、インドの貧しさからは逃れられないようです。著者は、アシュラムを訪れます。彼が訪れたアシュラムは、孤児や口減らしで親から捨てられたも同然の子供たちの共同生活の場です。インドのカースト制度は、どこに行っても逃れられないもののようです。
第八章 カトマンズからの手紙
ブッダガヤを後にした著者は、ネパールのカトマンズを訪れます。この章で語られるカトマンズは、手紙の形式で書かれています。カトマンズでの旅は、色がない。灰色の世界を彷徨っている印象を受けます。雨が多いことも、街に色彩を感じさせない一因かもしれません。長逗留するには、物価も安く食べ物の種類も豊富で穏やかな場所のようです。インドに比べれば。しかし、著者の心を動かすものはなかったのでしょう。次第に、著者の心を無気力にしていきます。
この章は、読んでいても心が躍らない。著者の心が沸き立たないから仕方ないかもしれませんが。カトマンズと言うと、エベレスト登頂のための入り口の町のイメージがあります。もっと活気溢れる町と思っていましたが。著者の感覚は、この町を受け入れなかったのでしょう。
第九章 インドⅡ
カトマンズを出発した著者は、ベナレスからカジュラホ、そしてデリーへと到着します。この章では、人間の苦である生老病死が際立って描かれているように感じます。もちろん、ベナレスでも貧富の差はあるようです。しかし、それ以上にインドの人々の死に対する行為に心を動かされます。ベナレスでは、ガンジス河の沐浴所の傍にある死体焼場に目を奪われる。日常の傍に死がある。そのことが、著者の心にどんな影響を与えたのか。死体置場での出来事は、詳細に描かれています。しかし、著者の心については、
無数の死に取り囲まれているうちに、しだいに私の頭の中は真っ白になり、体の中が空っぽになっていくように感じられてくる・・・。
と書かれているだけです。著者の気持ちは著者にしか分からず、それに少しでも近づこうとするならばベナレスに行かなければならない。
ベナレスを出発するあたりから、著者の体調が芳しくなくなります。かなりの重症です。死の次は病です。著者自身が病気にかかることで。ベナレスからデリーまでの行程は、病気との闘いでもあります。病気に耐えながら、本来の旅の出発地であるデリーへと向かいます。
本来なら、半年以上も前に、ロンドンまでの乗合いバスの出発点として、浮き立つような気分で足を踏み入れただろうこのデリーの地に、いま苦痛に顔を歪めながら降り立とうとしている。
申し訳ないが、いかにも著者の旅と言ったところでしょう。デリーでも、何か大きな出来事が起きそうな気配がします。