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『コンタクト』:カール・セーガン【感想】|どこかの惑星に必ず知的な生物がいる

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 こんにちは。本日は、カール・セーガン氏の「コンタクト」の感想です。  

 

 1986年に日本語訳の文庫が発刊されました。地球外知的生命体とのファーストコンタクトを描いており、天文学者でもあるカール・セーガンの中でも知られた作品です。

 地球外知的生命体探査(SETI)に携わる科学者 エリーナ・アロウェイを中心に描かれます。地球外に生命体が存在する可能性を否定する人は少ないのではないだろうか。しかし、知的生命体となると話は変わってきます。また、知的生命体がいたとしてもコンタクトできるかどうかも大きな問題です。

 作中では、1960年代の地球外知的生命体に対する科学者たちやSETIの立場も描かれています。SETIの必要性は認められているが、あまり重要視されていない印象です。地球外知的生命体がいるかどうかも重要ですが、物語の核心はコンタクトした後の人類の行動と変化です。変化は外形的な変化と内面な変化があります。

 とにかく長い小説です。難解な科学の知識は必要ありませんが、ある程度の知識は必要だろう。読み終わるにはそれなりの根気が必要です。 

「コンタクト」の内容

20世紀末のある日、ニューメキシコ砂漠の天文台が、奇妙な電波信号をキャッチした。それは厖大な素数系列で、発信源は26光年彼方のヴェガ系惑星と判明した。地球外知的生物からの電波探査機関〈アーガス〉の責任者エリーが、待ち望んだ瞬間だった。世界の専門家が協力しついに信号は映像化されたが、スクリーンに現われたのは、あまりにも意外な…。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「コンタクト」の感想 

SETIの推移

 1960年代当時、SETIは科学界で確固たる地位を持っていたのだろうか。地球外知的生命体探査( Search for extraterrestrial intelligence)は魅力と夢のある研究テーマです。しかし、研究テーマとして主流にはなりえていなかったように感じます。優先順位が低かったのだろう。

 人類には解決すべき問題、追求するべき科学的真実が数多くあります。作中でも、電波望遠鏡の使用を巡り、科学者たちの本心が描かれています。誰もが自身の研究を優先したい。限られた資源(電波望遠鏡)を使いたい。それを使えば、研究の成果が得られる確信や高い可能性があれば当然です。

 SETIは壮大なテーマであり、地球外知的生命体の存在を確認して交流できれば、人類の未来は劇的に変わります。しかし、地球外知的生命体がいる確証はありません。何らかの兆候や明確な痕跡が在るわけでもない。地球に人類がいるのだから、宇宙に人類以外の知的生命体がいる可能性は否定できないというところだろう。

 存在したとしても接触できるとは限りません。結果の見えない研究に、研究資源の大半を使用されることに反発が生まれるのは当然です。SETIは、最初に科学者たちとの戦いが必要だったのだろう。

 科学界におけるSETIの立場は、現在、力を増しているのだろうか。どの程度の力を有しているかは分かりませんが、人類が宇宙に存在する限り、SETIという研究分野はなくならないだろう。 

 

球外知的生命体がもたらすもの

 地球外知的生命体の存在が分かった時、人類はどのように振る舞うのだろうか。少なくとも、現在の地球の科学では人類から直接的な接触を図ることはできません。通信が限界だろう。意志疎通が可能かどうかすら相手方次第です。

 知的生命体が地球に来れるかどうかで人類の対応は変わるだろう。地球に来ることがないと確信できれば、人類はそれほど変わらないかもしれません。悪意のある地球外知的生命体だとしても、物理的に人類に影響を与えることができなければ驚異になりません。

 悪意があり、地球に接触できる技術力を持った知的生命体だったらどうなるだろうか。SETIの目的は地球外知的生命体とのコンタクトですが、その先に見据えているものは何だろうか。未知のものを知りたいというのは、科学者の強い欲求です。しかし、知ることや新しい技術が必ずしも幸福を招くとは限りません。

 技術力と政治と戦争は複雑に絡み合っています。地球外知的生命体の存在が、人類をひとつにするというのは楽観的過ぎるだろう。意見の一致をもたらすためには、共通の強大な敵が必要かもしれませんが、友好的な相手では人類をひとつにできません。皮肉なことですが。

 本作においても、エリーたちは国家や政治から逃れられません。地球外知的生命体が何をもたらすかは、その時にならないと分からない。両者の関係性次第であり、人類だけで決められるものではないだろう。 

 

学と神

 神とは一体どのような存在だろうか。エリーが探している神は、人類が信仰している宗教上の神ではありません。宇宙に絶対的なルールを作り出した存在です。彼女たちがコンタクトした地球外知的生命体ですら、宇宙の神のルールの元で生きています。それらの存在に対して、人類が存在する意味は何だろうか。それらの存在にコンタクトできるのか。そもそも存在に気づけるのかどうか。

 エリーは宇宙の真理を作った神の存在を目の当たりにします。円周率に隠された「神の署名」です。円周率が示す図形は、偶然では有り得ません。宇宙に働きかける絶対的な知性の存在を示します。人類だけでなく宇宙に存在する全てが、その知性の元で生き続けるのだろう。

 一方、エリーは母親の手紙で身近にある愛にも気付かされます。彼女は宇宙の深淵を探し求め続けながら、愛の真実に気付かずに生きてきました。気付かないようにしていたのかもしれません。母の手紙と円周率に隠された「神の署名」がエリーにもたらしたものは同じなのだろう。どちらも知ろうとしなければ分かりません。存在しているかどうかも分かりません。気付くことで人生が変わるのだろう。 

 

類の未来

 地球外知的生命体が同じ宇宙で生まれたとしても、同じ進化の過程を辿らないだろう。思考から外見に至るまで全く違う生物のはずです。もし、コンタクトが取れれば、人類の未来に何らかの影響を与えるのは間違いありません。知的生命体からの影響と人類内部から沸き起こる影響です。

 人類は未来永劫、存在し続けることはありません。人類自身で滅亡の道を歩むかもしれません。そうでないとしても、宇宙の時間で考えればいずれ太陽は寿命を迎えます。人類が地球を見捨てない限り、生き延びることはできません。人類は自身で未来を切り開かなくてはならない。

 しかし、精神的にも技術的にもあまりに力不足です。人類が進化し、技術力も上がるかもしれませんが、楽観的に過ぎるだろう。ひとつの手段として、地球外知的生命体とのコンタクトがあるのかもしれません。外圧による変化は、内部から沸き起こる変化よりも強力でスピードも早い。必ずしも人類の望む変化をもたらすとは限りませんが、望む変化をもたらすかもしれません。人類の遠い未来は、人類の力だけでは乗り越えられないほど厳しい。 

 

終わりに

 劉慈欣氏の「三体」を思い出します。「三体」も地球外知的生命体とのファーストコンタクトがテーマです。しかし、アプローチは全く違います。著者のスタンスが違うと、これだけ内容が変わってくるのだろう。

 本作は、ジョディ・フォスター主演で映画化もされています。映画を未視聴ですが、この小説がどのような映画になったか興味はあります。