豪華すぎる同窓会

ごきげんいかがですか。まんぱです。
『エクスペンダブルズ』は、単なるアクション映画ではありません。80〜90年代ハリウッドアクション映画の象徴たちを一堂に集結しました。
当時、暑苦しいくらいの強さと男らしさが映画の主役だった時代です。それを真正面から再現した作品と言っていいでしょう。しかし、同時に、時代遅れと紙一重の危うさを抱えています。
かつての英雄たちが、現代のスクリーンで何を証明しようとしたのか。その野心と誠実な思いを感じ取れればいいなと思い鑑賞しました。
映画の裏にあるアクション俳優の同窓会的な雰囲気
『エクスペンダブルズ』を観るとき、この映画の方向性がストーリーでないことに気が付きます。もちろん、ストーリーも大事ですが、それ以上に「誰が出演しているのか」という事実が最も重要視され、優先して作られている気がするからです。
出演者のリストを眺めるだけで、めまいがするほどの興奮を覚えます。
シルベスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、さらにミッキー・ローク。これだけでも豪華すぎるのに、ブルース・ウィリスとアーノルド・シュワルツェネッガーまでが同じ画面に映っています。
このキャスティングこそが、本作最大の魅力であり、最大の見どころなのです。
しかし、冷静に考えれば、ここには大きな落とし穴も潜んでいます。あまりにもスターたちの存在が巨大すぎるのです。その結果、物語の中で彼らが十分に活かされているかと言われると、少し首をかしげてしまいます。
もちろん、全員が素晴らしい働きをしています。ただ、現役感を漂わせるのは、ジェイソン・ステイサムくらいに見えてしまうのです。彼は、物語を前へ進めるエンジンとして、そのスピードとキレを遺憾なく発揮しています。
ですが、他のレジェンドたちはどうでしょう。彼らの多くは、レジェンドとしての存在感だけを求められているように見えてしまいます。
たとえば、アジアが誇る至宝、ジェット・リーです。彼の身のこなしは相変わらず見事です。しかし、劇中では、背が低いといった自虐的なジョークの的にされることが多い。彼なら、東洋の武術が持つ神秘性や静かなる強さを期待してしまいます。そのことを期待した人も多かったはずです。
しかし、キャラクターとしての厚みや、彼自身の内面が掘り下げられるシーンは驚くほど少ない。これは非常にもったいないことだと思います。
ドルフ・ラングレンが演じるガンナーについても同じことが言えます。薬物依存や裏切りといったドラマチックな要素を背負っているキャラクターです。『ユニバーサル・ソルジャー』を彷彿とさせる狂気を感じさせる場面もあります。
しかし、その描写は断片的で深みを感じません。彼が抱える心の闇が、物語を描く上での深みにまで到達しているとは言い難い。
レジェンドたちの顔見せというイベント性が強すぎて、キャラクターとしての役割と人物描写が薄まってしまっているのです。
シュワルツェネッガーとウィリスの登場シーンに至っては、もはや神話のサービスカットです。教会での三者の対峙は、ファンにとっては、まさに歴史が動いたと感じた瞬間だと思います。
スタローンが「彼は大統領になりたがっている」とジョークを飛ばすメタ的な楽しさは笑いも誘います。
ですが、映画としてのプロットを考えたとき、そのシーンが物語の必然性から生まれたものかと言えば、ノーと言わざるを得ないでしょう。物語の進行が一度止まり、楽屋裏の冗談を聞かされているような感覚に近いのです。
つまり、本作は、スターが同じ画面にいることに価値を置きすぎているのです。物語がスターを魅力的に見せるのではなく、スターの存在感が物語を脇へ押しやってしまっています。そんな歪な構造を感じます。
ストーリーも、非常にシンプルです。傭兵チームが中南米の小さな島国に乗り込み、独裁者を排除する。善悪ははっきりしていて、展開も一本道。今の映画のような複雑な伏線や政治的な裏読みもほとんどありません。
かつての『特攻野郎Aチーム』や『コマンドー』のような単純明快な楽しさを狙ったのでしょう。
この懐古主義を思わせる脚本は、スタローンが意図的に狙ったものかもしれません。ですが、その古さが洗練されたスタイルにまで昇華されているかと言えば、疑問が残ります。
懐かしいと感じる瞬間がある一方で、単純に一昔前のまま止まっているように見えてしまう場面も多いのです。演出のテンポが現代的な洗練を欠いているため、古臭さがそのまま露出してしまっています。
ノスタルジーは、この映画にとって強力な武器です。ですが、同時に、映画を縛り付ける足枷にもなっています。
神話の再集合には、間違いなく成功したと思います。しかし、その神話を現代の観客に向けてアップデートする脚本の工夫と映画的な驚きをそこに忍ばせる努力。それがあれば、本作はもっと映画史に燦然と輝く魅力策になったはずです。
肉体、痛み、老い—アクションの裏にあるテーマ
それでも、この映画が素晴らしいと思える理由もあります。それは、作品の底に流れる老いた戦士たちというテーマです。
スタローン演じるバーニー・ロスをはじめ、もはや彼らはかつての無敵ヒーローではありません。身体は鋼のように鍛えられていますが、どこか擦り減ってしまっています。
人生の目的を失いかけ、ただ戦うことだけが日常になってしまった男たち。輝かしい栄光はどこにもありません。帰る場所のない強者という設定が、単なる懐古アクションで終わらないための重要な鍵になっています。
象徴的なのは、ミッキー・ロークが演じるツールの独白シーンです。タトゥーを彫りながら、かつて戦地で見捨ててしまったある少女の話をします。あの場面で、映画の温度がふっと変わります。
それまでの騒がしい銃声が止まり、罪悪感と後悔が部屋を満たします。ミッキー・ロークの顔に刻まれた深いシワが、語られない苦悩の歳月を物語っています。
本作が、内面の葛藤をもっと追求すれば、アクションだけの映画でなく名作になり得たかもしれません。
「強さとは何か」「救えなかった命の重さをどう背負うのか」。あるいは、「引き際を見失った戦士の末路」とはどういうものか。そうした問いかけが、一瞬だけスクリーンに浮かび上がります。
残念ながら、この要素も提示に留まってしまいます。彼らの内面が物語の主軸になることはなく、物語は再び爆発と銃撃の中に飲み込まれていきます。
脚本上、ツールの役割はあくまでバーニーの心を動かすきっかけに過ぎません。なぜ彼らは戦い続けるのか。戦い以外に何が残っているのか。そこをもっと深く掘り下げてほしかったというのが本音です。
たとえば、ジェイソン・ステイサム演じるクリスマスが恋人と向き合うシーンも、普通の幸せを掴めない男の悲哀をもっと漂わせればよかった気もします。戦場で最強の男が、愛する女性の前では一人の男としての存在に過ぎない。そういった人間としての弱さをもっと強調すれば、アクションシーンの重みも増したと思います。
彼らが無敵であればあるほど、裏にある欠落を描くことで、心に響くキャラクターになるのです。
ここでも、スターを見せる映画であることが壁になっています。キャラクターは一人ひとり魅力的です。しかし、人間ドラマとしての積み重ねが薄いのです。
彼らの苦悩が観客の心に深く刺さる前に、次のアクションが始まってしまいます。見せ場を作らなければならないというスター映画の宿命が、展開を加速させすぎています。
もっと静かな対話の時間を増やし、彼らの過去や痛みに焦点を当てていれば。もし、戦いの合間の静寂をもっと深く描いていれば。そうなれば、本作は単なるエンターテインメントを超えて、老兵たちの挽歌になったはずです。
それでも、一つ断言できることがあります。スタローンが、ヒーロー像を若さではなく傷と経験で描こうとしたことは、現代の映画界において非常に価値のある挑戦だと思います。
若くて瑞々しさのあるスターがCGの中で宙を舞う時代に、泥にまみれる肉体の重みや殴られたときの痛みの実感を前面に出す。その姿勢こそが、私たちには新鮮に映るのです。
老いてなお、自分たちはここにいるという叫び。その切実なメッセージは、演出の粗さを超えて、心に響いてきます。
演出の荒さと本物のアクションの価値

演出についても、触れてみたいと思います。
監督としてのスタローンの手腕はとても情熱的ですが、洗練されていると言えません。カメラは激しく揺れ、編集はどこかバタバタしています。
揺れるカメラによる撮影ですが、それが効果的とは思えません。今、誰がどこで何をしているのか。それを把握するのが難しいシーンがいくつかあります。
敵と味方の位置関係が不明瞭なため、戦術的な面白さが削がれてしまっているのは残念です。映画としての技術的な弱点だと言えます。
特に、後半の大規模な戦闘シーンです。本来、映画のクライマックスであり、最高潮に盛り上がるべき場所です。テリー・クルーズが巨大なショットガンをぶっ放し、火炎が舞い踊る。素材としては申し分ありません。
ですが、画面が全体的に暗く、カットの繋ぎも荒いため、没入感が削がれてしまう瞬間があります。せっかくの豪華なアクションが、視覚的な混乱に邪魔されてしまいます。実にもったいない大きな損失です。
「何が起きているかよく分からないが、とにかく凄い」という力押しだけでは、現代の目の肥えた観客を完全に満足させるのは難しいでしょう。
敵側の描写も少し物足りません。エリック・ロバーツ演じる黒幕も、彼の用心棒たちも、いかにも記号的な悪役として描かれています。彼らには彼らの大義があるといった深掘りはありません。そのため、物語に緊張感が生まれにくい。
敵が強大で恐ろしいからこそ、それを打ち倒したときのカタルシスが大きくなります。 しかし、本作の敵はあまりに打たれ弱く、スタローンたちの引き立て役に終始してしまいました。脚本の古さが、キャラクターの深みを奪ってしまっている一例と言えます。
しかし、そうした欠点をすべて飲み込んだ上で、なお本作のアクションには抗いがたい魅力があります。それは、映画の質感です。
CGに頼り切らない本物の火薬を使った爆破。
爆風で吹き飛ぶスタントマンの体。
俳優たちが実際に汗を流し、泥にまみれて体をぶつけ合う格闘。
ステイサムが披露する流麗かつ残酷なナイフアクション。
ジェット・リーの重力を無視したかのような身体操作。
これらは、CGで描かれた魔法のアクションとは一線を画しています。そこには、確かな重力があります。観客にまで火薬の煙の匂いがしてくるような生々しさがあります。
特にスタローン自身の格闘シーン。全盛期のようなスピード感はありません。しかし、一撃一撃にこもった執念とも取れる重さが、腹にズシリと響きます。彼がアクション映画というジャンルに捧げてきた人生の証明でもあります。
本作は、映画として洗練されていない部分と、アクションとして誠実な部分が同居している不器用な作品なのです。そこには嘘がありません。
最近のアクション映画は綺麗すぎてつまらないと感じている映画ファンにとって、この泥臭さは最高の贈り物でしょう。その不器用さこそが、この映画の人間味であり、唯一無二の個性になっています。
洗練されていないからこそ、作り手の呼吸が聞こえてくる。デジタル時代におけるアナログの逆襲のような熱量が確かに存在しています。
終わりに
『エクスペンダブルズ』は完璧な映画ではありません。スターは豪華ですが活かしきれず、脚本は古臭さを拭えず、演出も粗い。後半の戦闘は見どころのはずが暗さに阻まれ、没入感を削がれる瞬間すらあります。
それでも、この映画には独自の存在価値があると思います。物語の完成度より映画の記憶を優先した作品だからです。
アクションが主役だった時代。スターの肉体が物語を語っていた時代。その空気を本気で呼び戻そうとした熱量は本物です。
名作とは言い切れませんが、時代とジャンルへの愛情をぶつけた記念碑的作品として、映画史の一角に立っています。かつての英雄たちの最後の輝きか、それとも失われた時代への憧憬なのか。ぜひ、その目で確かめてほしい作品です。
映画っていいものですね。

