晴耕雨読で生きる

本を読み、感想や書評を綴るブログです。主に小説。

ーおすすめ記事ー
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト

映画「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」を観た

  ツィッターを見ていると、かなりの確率で高評価されている「フロリダ・プロジェクト」。高評価というよりも高評価ばかりな気がします。そこまで評価されている映画なので、あまり事前情報はなかったのですが見に行きました。

 アメリカの貧困層にいる母子のひと夏の日常を、色鮮やかなパステルカラーを背景に、子供の視点で描き出す。正直なところ、高評価されている理由があまりよく分からなかった。このように書くと、映画に込められたメッセージや表現を読み解くことの出来ない感性のない人間だと思われるかもしれませんが。  

  

「フロリダ・プロジェクト」のあらすじ 

鮮やかなブルーの空、モーテルのピンクやパープル
どこか現実離れしたパステルカラーに彩られた世界で、社会の片隅で生きる人々の日常を、登場人物たちに優しく寄り添いながら、眩いほどの映像美《ベイカー・レインボー》でカラフルにそしてリアルに描き出す
最強にキュートなムーニーを演じるのは、天才子役、ブルックリン・プリンス。ヘイリー役には監督がインスタグラムで発掘し、初演技とは思えない存在感を放つブリア・ヴィネイト。さらに二人を見守るモーテルの管理人のボビーを、ウィレム・デフォーが好演。
過酷な現実を打ち消すほどの、ムーニーとヘイリーの笑顔溢れる愛おしい日々。かけがえのない日常の裏にある真実は観るものの胸を締め付け、そして詩的で優しさに満ちたラストは、高揚と陶酔の後に、全ての人の心に深い余韻を刻む【公式HPより】  

「フロリダ・プロジェクト」の感想

富の差

 この作品のテーマのひとつは、アメリカにおける貧富の差なのでしょう。貧困層と書きましたが、ホームレスほどの貧困ではありません。低所得者層の下層に位置する人々なのでしょうか。アメリカの貧困事情に詳しくないのでよく分かりませんが、「今日寝る場所がない」「食べるものがない」と言った逼迫した状況に置かれている訳ではなさそうです。ただ、主人公のムーニーの母親ヘイリーは仕事に就けず、ホテルの前で香水の押売りみたいなことをしたり、友人が働いているレストランから食べ物を分けてもらったり、ボランティアからパンをもらったり。その日暮らしを余儀なくされ、抜け出すことが出来ない層なのでしょう。 

 同じようにモーテルで暮らす友人はレストランで働き、子供を育てています。ムーニーの友達ジャンシーの母親の職業は明確にされていませんが、不法なことはせず子供を育てているようです。そんな中、ヘイリーが仕事に就けないのは、アメリカの社会情勢のせいだけではない気がします。ヘイリーは働く気があるのか。そう感じてしまいます。

 確かにヘイリーが働けないのは、社会のシステムの問題が大きく影響しているのは間違いありません。ただ、同じ貧困層にいる人々であっても、働いて生活を維持している人もいます。ヘイリーの子供じみた言葉遣いや行動は、貧富の差に苦しむ彼女に対し共感を感じさせません。 

供たちの言動

 別のテーマとしては、過酷な現実の中でも子供たちは輝いて毎日を過ごしているということを描いているのだろうか。子供にとっては、貧しい生活の中でも日々は輝いて見えているのでしょう。彼女たちの年頃なら、自分の行動範囲が世界の全てです。他人と自分を比較することを、まだ知らない頃かもしれません。無邪気に笑顔を振りまいて、友達と遊んでいる。貧困の中で、そのような子供たちを見せられると心が締め付けられるかもしれません。 

しかし、ここに登場する子供たちは、あまりに下品です。 

 子供たちが、駐車している車に唾を吐きかけて遊んでいるシーンから始まります。それを咎められても、まったく反省せずに暴言を吐く始末。子供たちが、どういう環境で育てられているのかが表現されているのかもしれません。彼女たちがこのような言動を取ってしまうのも、貧困の中で育てられたからということなのでしょうか。親の教育の問題だと思いますが。その親が同じような環境で育ってきたのなら、負の連鎖が続きます。子供たちの言動が下品でどうしようもないのは、このことを表現しているのでしょうか。ただ、受け付けなかった。不快感を覚えてしまいます。 

子の愛情

 ヘイリーとムーニーの間には、親子の愛情が溢れんばかりに存在していたのでしょうか。それを感じませんでした。確かに24時間べったりと子供の面倒を見ることが、愛情の表現ではありません。しかし、ネグレクトとは言いませんが、愛情を注いで育てている印象はありません。親の愛情と言うよりは、友達?みたいな感じに見えます。それほどヘイリーが幼すぎる。何も考えず、行き当たりばったりにしか見えない。

 物語の終わりに、ムーニーが逃げ去ってしまったのに、ヘイリーは追いかけることをせずに警察や児童福祉局の職員に向かって暴言を吐くだけです。普通なら追いかけると思います。 

評価の理由

 何故、ここまで高評価されているのでしょうか。アメリカの人々にとっては、現実感があるのでしょう。身近に存在する貧困の世界なのかもしれません。それを悲壮感漂う表現で訴えるのではなく、子供の視点を通じて色鮮やかな映像で現実を描き出したことに対する評価ということでしょうか。

 子供たちの演技も、高評価の理由のようです。確かに演技ではなくドキュメンタリーの感じるくらい、見事な演技だったと思います。見事すぎて、汚い暴言が不快感を誘うのですが。 

最後に

 特に、ストーリー性があるように感じません。日常を描き出す。そのとおりに、日常を子供の視点で淡々と描いています。ドキュメンタリーでも通じるくらいです。ウィレム・デフォーの存在が、この映画を映画として見せています。彼の存在なしでは、映像と表現が秀逸なドキュメンタリー映画になったかも。

 パステルカラーの映像と貧困の現実。見事な表現でアメリカの現実を描いたのかもしれませんが、それ以上にヘイリーとムーニーの言動に不快感を感じました。いろいろ書きましたが、高評価できないというのが結論です。