『キングスマン:ゴールデン・サークル』考察|ハリー復活という「禁じ手」の代償。完璧だった前作の余韻を失った理由:MANPA Blog

タロン・エガートン主演 『キングスマン:ゴールデン・サークル』

キングスマン

ごきげんいかがですか。まんぱです。

2014年、それまでのスパイ映画の常識をガラリと変えてしまったのが、前作『キングスマン』です。

ビシッと決めた高級スーツ姿の紳士が、ノリノリの音楽に合わせてとんでもなく派手なアクションを繰り広げる。あのワクワク感に、誰もが心を奪われたはずです。

待望の続編となる本作は、まさにファンへのプレゼントのような豪華な一作です。

ですが、観終わったあとに「楽しかったけど、前作ほどの衝撃はないかも」というモヤモヤを感じた人も多いのではないでしょうか。

今回の記事は、ハリーの復活やキングスマンの壊滅、そして敵役の描き方というポイントから、どうして「前作の壁」を超えられなかったのか、その正体を探っていきます。

 

 

 

衝撃の消失と「組織壊滅」の軽さ

前作の『キングスマン』があんなにも熱狂させたのは、スパイ映画というジャンルのルールを、いい意味でメチャクチャに壊してくれたからでした。

礼儀正しいイギリス紳士が、アップテンポな曲をバックに、ものすごいスピードで敵を倒していく。

「不謹慎だけど最高にかっこいい」というギャップが作品の命であり、その予測できない展開に夢中になったわけです。ところが、今作では、その最大の特徴がすでに当たり前のことになっていました。

マシュー・ヴォーン監督も、この「慣れ」をどうにかしないといけないと考えたはずです。

そこで選んだのが、物語の最初でキングスマンの拠点をミサイルで一気に吹き飛ばすという大胆でショッキングな展開だったのでしょう。

このシーンは、物語を一気に盛り上げるための起爆剤になるはずでした。ですが、観ていて感じたのは、驚きよりも「大切に築いてきた歴史をそんなに簡単に壊してしまうの」という寂しい気持ちです。

前作でエグジーと一緒に厳しい訓練を乗り越えた仲間が、活躍する場もほとんどないまま退場していく様子は、物語を先に進めるための事務的な展開のように見えてしまいます。

秘密組織が全滅するなんて、普通なら立ち直れないほどの絶望的な事件のはずですが、その悲しみをじっくり描く間もなく、物語がスピード重視で進んでいってしまいます。

組織がなくなってしまったことで、生き残ったエグジーとマーリンは、アメリカにある諜報組織「ステイツマン」を頼ることになります。

カウボーイ姿でウイスキーを愛するステイツマンのメンバーは、見た目も性格もすごく個性的です。イギリス紳士のスマートさとアメリカのワイルドさがぶつかり合う様子は、見ていて楽しい。

ですが、大切な仲間をたくさん失った直後なのに、エグジーたちが意外とあっさり立ち直って、新しい組織と協力し合っているのを見ると、少し感情がついていかない部分もあります。

世界観を広げるために一度組織をリセットするというやり方はわかりますが、その流れが急ぎ足すぎたせいで、エグジーたちの悲しみに共感する暇はありません。

次から次へと飛んでくる派手なアクションに振り回されることになってしまったのです。

アクションそのものについても、「慣れ」という壁が立ちはだかります。映像がゆっくりになったり急加速したりする独特のカメラワークは、今作でも見事に決まっています。

冒頭のカーチェイスから雪山での戦いまで、アクション映画としてこれ以上ないくらい洗練されていて、観ているだけで気持ちがいいのは間違いありません。

ですが、前作の教会でのシーンのような「こんなの観たことない」というゾクゾクするような興奮は、残念ながら今作ではあまり感じられませんでした。

すごい演出も、一度「こういうものだ」と知ってしまうと、次は何が来るか予想できてしまいます。安定して面白いけれど、心臓が止まるようなスリルはありません。

組織が簡単に壊滅させられてしまったことで、物語のリアリティが少しだけ薄れてしまったことと繋がっているような気がします。

 

ハリー復活が奪った「命の重み」

ゴールデンサークル

コリン・ファース演じるハリー・ハートの復活も見逃せません。前作で、あれほど完璧で悲しい最期を遂げた彼を再登場させる決断は、ファンへのサービスとしては満点でした。

ハリーが持っている圧倒的な品格、コリン・ファースが醸し出す「これこそイギリス紳士」という雰囲気は、このシリーズになくてはならないものです。

実際、エグジーとハリーが再会して、二人で並んで戦う姿をスクリーンで観たときは、多くのファンが「待ってました」と胸を熱くしたはずです。

ですが、映画としての物語の強さという点で見ると、この復活はとても大きなリスクを抱えた危険な賭けです。

ハリーを生き返らせるために出てきた「アルファ・ジェル」という道具は、あまりにも便利すぎて、キャラクターが命を落とすことの重みをすっかり消してしまいました。

「たとえ頭を撃たれても大丈夫」と思ってしまうと、エージェントたちがどんなに危険な目に遭っても、「また生き返るんでしょう」という気持ちになって、心の底からハラハラできなくなってしまいます。

前作の魅力は、たとえ主役級のキャラであっても、ダメなときはダメだという冷徹な厳しさにありました。

ハリーを戻したことで、その厳しいスリルが消えてしまい、「主要キャラは絶対に死なない」という、少し甘口なエンターテインメントに変わってしまいました。

さらに、ハリーの復活は主人公エグジーの成長物語にもブレーキをかけてしまいました。

前作で、ハリーを失った悲しみを乗り越えて、一人前の紳士になったエグジー。彼の物語は、ハリーの意志を継ぐことで一度きれいに完結していたはずです。

ところが、ハリーが奇跡的に戻ってきたことで、エグジーは再び「教わる弟子」の立場に戻ってしまいました。

記憶をなくして頼りなくなったハリーをエグジーが支えるという新しい関係性も描かれていますが、やはりハリーの存在感が強すぎて、エグジーの自立や成長がぼやけてしまったように感じます。

ファンが喜ぶからといって安易に復活させてしまうのは、キャラを愛する楽しさは増えますが、物語が持っている本物の重みを奪ってしまうという皮肉な結果を招いてしまったのです。

また、ハリーが戻ってきたことで、作品全体の雰囲気が少ししっとりしすぎてしまったのも気になるところです。

前作は、どこか冷たくて突き放したようなドライな感覚がかっこよかったのですが、今作はエグジーとハリーの親子のような絆を確かめ合うシーンに多くの時間が使われています。

それはそれで感動的なのですが、シリーズ本来の持ち味だった「やりすぎなブラックジョーク」や「笑ってしまうくらいの不謹慎さ」が、少し大人しくなってしまった気がします。

ハリーという人気のキャラを守ることは、シリーズのシンボルを守ることと同じでしたが、その「守り」の姿勢が、前作にあった「何をやらかすかわからない」という尖った魅力を丸くしてしまったのかもしれません。

 

敵役ポピーが「箱庭」を出られなかった理由

アクションやキャラクターの華やかさに目を奪われがちですが、今作の評価を分けるもう一つの大きな理由は、敵役であるポピーの描き方です。

名女優ジュリアン・ムーアが演じるポピーは、1950年代のアメリカが大好きな麻薬組織の女王です。設定を聞くだけですごく面白そうなキャラです。

ジャングルの奥にカラフルなダイナーを作って、裏切り者をミンチ機にかけてハンバーガーにしてしまうという残虐さ。一方、優しそうな笑顔も合わせ持っている。「これぞキングスマンの悪役」という感じがします。

ですが、物語全体を振り返ってみると、彼女の存在感は前作の敵だったヴァレンタインに比べると、驚くほど影が薄いまま終わってしまいました。

一番の理由は、ポピーが最後まで自分の「おもちゃ箱」のような拠点から一歩も出ることなく、物語が終わってしまったからです。

前作のヴァレンタインは、有名なIT企業のトップとして表の世界に堂々と現れ、大統領やVIPたちを仲間に引き込み、世界を乗っ取ろうとするスケールの大きさがありました。

それに対してポピーの脅威は、遠く離れた秘密基地でモニター越しに世界を脅しているだけで、なんだかこじんまりとした閉鎖的な感じが拭えません。

彼女が世界中の麻薬利用者に毒を仕込んで、何億人もの命を奪おうとしているという事実は、セリフでは説明されます。ですが、そのせいで社会がどれだけパニックになっているのかという空気感が伝わってこないのです。

結果として、観ている側が感じる危機感は小さなものになってしまい、世界を救うという大仕事が「敵の基地に乗り込んで暴れる」だけのミッションのように感じられてしまいました。

キングスマンが壊滅して、ハリーが記憶を取り戻すというドラマに力が入りすぎたせいで、立ち向かうべき悪の側が、最後に倒されるための看板みたいな役割になってしまいました。

彼女の動機である「麻薬を合法化する」という歪んだ目的も、見た目の派手さに比べると、なんだか自分勝手な理屈に聞こえてしまいます。世界を揺るがすほどの悪役としてのカリスマ性を感じるには至りませんでした。

ポピーの最期も、呆気ない終わり方でした。強力なロボット犬や暗殺者を送り込んできますが、彼女自身が本当に恐ろしい壁になるようなシーンは少なく、最後はとても事務的に処理されてしまいます。

前作のヴァレンタインが、その独特な話し方や性格でみんなの記憶に強く残ったのに対し、ポピーは「よくある悪役の設定」をなぞっただけで終わってしまった感があります。

キングスマンを壊滅させるというダメージを与えたのに、その本人との戦いに盛り上がりが欠けていたことは、本作が抱える「スケールの大きさのわりに、やっていることが小さく見える」という矛盾をよく表しています。

 

終わりに:次作への願い、不謹慎な紳士を求めて

『キングスマン:ゴールデン・サークル』は、2時間ちょっとという長い上映時間も気にならないくらいのテンポの良さがあります。

また、俳優陣が演じるスタイリッシュな世界観も特別な体験をプレゼントしてくれます。

ハリーとエグジーの再会に感動したり、最新の道具を使った戦いに手に汗握ったりする。その瞬間の楽しさは間違いなく本物です。

シリーズを支えてきたファンの期待に応えようとするスタッフの熱い思いがしっかり伝わってくる作品です。

ですが、「最高だった前作」という、続編がどうしても避けて通れない壁にぶつかって、その衝撃をうまく受け流す道を選んだ作品でもあります。

組織を壊してハリーを生き返らせるという決断は、物語を安定させて長く続けるための選択です。ですが、前作が持っていた「毒っぽさ」や「危うさ」を薄めてしまうことにもなりました。

敵役のポピーがどこか小さな世界に閉じこもっているように見えたのも、シリーズが「過激な問題児」から「みんなに愛される定番」へ変わろうとした結果なのかもしれません。

観客は、面白いだけでなく、既存のルールを笑い飛ばしてスパイ映画の常識を鮮やかに裏切るような不敵な反骨心を求めていたのではないでしょうか。

そんなトガった部分よりも、ファンが何を求めているかというリクエストに、とても真面目に応えすぎてしまったのかもしれません。

それでも、完璧なスーツを着こなして「マナーが人を作る」と語る姿を見れば、やっぱりワクワクして、次作を期待してしまいます。

私たちの予想を気持ちよく裏切ってくれるような「不謹慎で最高なキングスマン」が帰ってくることを楽しみに待ちたいと思います。

 

 作品との出会いをもっと手軽に。

Amazon Prime Videoなら、映画やドラマを好きな場所で手軽に楽しめます。
【Prime Videoはこちら】