『007/死ぬのは奴らだ』レビュー|ロジャー・ムーアが切り開いた新ボンドの革新:MANPA Blog

新ボンドの試金石と大胆な再創造

ごきげんいかがですか。まんぱです。

1973年に公開された『007/死ぬのは奴らだ』は、ボンドシリーズの方向性を決定づけた作品です。

この映画の使命はすごく大きかったと思います。初代コネリーの圧倒的なボンドのイメージ。さらに短命に終わったレーゼンビー。ロジャー・ムーアを第3代ボンドに迎え、ムーア版ボンドが観客に受け入れられるかどうかが試された映画です。

ムーアの魅力は、コネリーとは全く違います。動物的な色気より優雅なユーモアとウィットで勝負するタイプです。

制作陣はこれまでの欧州的スパイ活劇から少し離れて、当時アメリカで流行していた文化やエンタメを大胆に取り入れました。

特にブラックスプロイテーション映画のエッセンスや派手な演出を吸収したのが興味深いところです。

今回は、『007/死ぬのは奴らだ』の感想を書いていきたいと思います。

 

 

ロジャー・ムーアが新しいボンド像を確立

ムーアがボンドとして成功した理由はシンプルです。コネリーの荒々しい色気を追わず、自分の魅力を活かしたからです。粋でユーモラス、ウィットに富んだ紳士のスパイという新しいボンド像を作り上げました。

ムーアのボンドは、英国紳士的な軽妙さが持ち味です。皮肉を交えたジョークを言いながら、荒唐無稽なスタントで危機を切り抜けます。

コネリーとは違うけど新しいジェームズ・ボンドだと納得する。そんな安心感があります。

この映画は、ムーア時代を象徴する「ボンドが敵に捕まる」というコミカルな様式美の初期例でもあります。罠にかかりやすいボンドですが、脱出劇をより劇的でユーモラスにする布石として機能します。

ワニの背中を飛び越えるシーンはその典型です。英国紳士スパイ像を裏切る荒唐無稽さが、新しい娯楽性を生み出しました。

前作『007/ダイヤモンドは永遠に』が示したアメリカ的派手さも取り入れています。ニューオーリンズの湿地帯でのボートチェイスは圧巻で、広大な自然を背景に野性的でスピード感あふれるスペクタクルが展開します。

ユーモアとアクションが合わさることで、世界的な超大作としての地位を再確立したのです。

 

ブラックスプロイテーションの影響

死ぬのは奴らだ

本作の革新性のひとつは、ブラックスプロイテーション映画の要素を取り入れたことです。1970年代初頭に黒人俳優や文化を前面に押し出した映画のことです。

『007/死ぬのは奴らだ』では、ハーレムやカリブ海など黒人文化の根付く地域を舞台にしました。

悪役はヤフェット・コットー演じる麻薬王カナンガ。ブードゥー教を背景に持つ独創的なヴィランです。

さらに鉤爪の殺し屋ティー・ヒーや不気味なサメディ男爵なども登場し、シリーズの保守性を打破します。

ただ、批評家からは表層的で便乗的とも言われます。映画の焦点はムーア・ボンドの活躍で、黒人キャラクターは主に悪役やコミックリリーフです。社会的背景まで深く掘り下げたわけではありません。

しかし、この大胆な取り込みが、新ボンドを観客に強烈に印象付ける効果を生んだのも事実です。

 

音楽とアクションー時代を象徴するスペクタクル

ムーア・ボンドの船出を彩ったのは、ポール・マッカートニー&ウィングスのテーマ曲「Live and Let Die」です。

ロックの巨匠を起用するという異例の挑戦でしたが大成功します。荘厳なオーケストラから爆発的なロックサウンドへの変化が映画の動と静、新旧の要素を見事に表現しました。

監督ガイ・ハミルトンのアクションも独創的です。ボートチェイスやワニの上を飛び跳ねる脱出劇は、荒唐無稽ですが視覚的に強烈です。ムーア・ボンドのありえない状況を楽しむ余裕を象徴しています。

環境や機知を駆使した脱出は、優雅さとタフネスを両立します。観客に新しいボンド像を印象付けるには十分です。

 

終わりに

『007/死ぬのは奴らだ』は、シリーズ存続と新ボンドの受容という二重の課題を抱えながら作られました。

ロジャー・ムーアという新ボンドを迎えて、文化的潮流や異質な題材を大胆に融合します。シリーズの保守性を打破した革新的な作品です。

ムーア・ボンドの軽快さや捕まって脱出するユーモラスな様式美。アメリカ的派手さを取り入れたスペクタクルはシリーズを冷戦時代から解放し、新しい段階へ導きました。

コネリーとは異なる魅力が観客に広く受け入れられ、本作の成功なくしてムーア時代は成立しません。

伝統を重んじつつ新時代の扉を開いたロジャー・ムーアを正当なボンドとして認めさせた作品です。

映画って本当にいいものですね。