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『Phantom』:羽田 圭介【感想】|自分たちが、追いかけてくる。自分たちに、のみこまれる。

ご覧いただきありがとうございます。今回は、羽田圭介さんの「Phantom」の読書感想です。

羽田圭介さんの小説は、芥川賞受賞作「スクラップ・アンド・ビルド」以来です。芥川賞受賞作でありながら、読みやすくて面白かった。又吉直樹さんの「火花」とのダブル受賞で少し影が薄くなってしまった気がしますが。

本作は、お金を軸にふたつの生き方を描いています。将来のために日常を切り詰め投資をする主人公の華美。一方、使わないお金は死んでいると言って派手に散財し、怪しげなオンラインサロンに傾倒していく恋人の直幸。ふたつの生き方の対立を描き、充実した生き方とは何かということを考えさせています。

そういえば「スクラップ・アンド・ビルド」も、若者の健斗と老人の祖父の対立でした。健斗から見た老人の価値観は面白かったのものですが。

初出が「文學界」なので少し身構えて読み始めましたが、読みやすくて面白い。内容も株式投資やカルト集団など興味の引く話題が登場します。一気読みできる内容です。

「Phantom」のあらすじ

外資系食料品メーカーの事務職として働く元地下アイドルの華美は、生活費を切り詰め株に投資することで、給与収入と同じ配当を生む分身の構築を目論んでいる。

恋人の直幸は「使わないお金は死んでいる」と華美を笑い、とある人物率いるオンラインコミュニティ活動にのめる込んでゆく。そのアップデートされた物々交換の世界は、マネーゲームに明け暮れる現代の金融システムを乗り越えゆくのだ、と。

やがて会員たちと集団生活を始めた直幸を取り戻すべく、華美は“分身”の力を使おうとするのだが…。【引用:「BOOK」データベース】

 

「Phantom」の感想

たつの生き方

華美の年収は250万程度。恋人の直幸も同じくらいです。日常生活に余裕はありません。お金のことを気にかけながら生活をしなければなりません。彼女たちと同じくらいの賃金で働く人は大勢いるはずです。将来的に収入が増えていく見込みがあるならば、若い時の収入が少なくても安心して暮らしていけます。しかし、現実はそれほど楽観できる状況ではありません。

華美と直幸は同じ環境ですが、考え方も生き方も全く違います。もちろん、お金の有無だけで生き方が決まることはないですが、大きな要素であることは間違いありません。ふたりの生き方が大きく違う要素は、現状に満足しているかどうかと将来に不安を感じるかどうかです。

華美は賃金が少ない現状が不満であり、将来にも不安を感じています。少ない給与を貯めても金銭的に余裕のある生活が見込めません。結婚という選択肢が出てこないのは、彼女自身が自立した人生を求めているからでしょう。賃金が上がることを期待できないのなら、何らかの収入源を確保しなければなりません。

その手段が米国株です。金融資産を増やして、配当を受け取り生活することが彼女の将来設計です。働きながら別の収入を得る手段として、株などの金融取引はひとつの選択肢です。株取引をしている若い世代は少なからずいるでしょう。彼女の生き方はひとつの現実的な姿です。

一方、直幸の生き方も良いか悪いかは別にしてひとつの形です。現在の人生を充実させることも間違っていないでしょう。借金をするのではなく、今の給与の範囲内で生活をしている分には何も問題はありません。誰かに非難されることもない。ただ、30歳代になっても、将来設計が全くないというのは少し楽観的すぎる気もしますが。

生きていく上でお金は重要です。ふたりは恋人同士ですが、お金に対する考え方は正反対です。ここに大きな考え方の違いがあると、いずれはお互いを許容できなくなるでしょう。どちらが良くて、どちらが悪いというものではありませんが。

 

確実な未来

華美が配当で安定的な収入を得ようとするのは、将来が不安だからです。生きていく上でお金は欠かせません。人生の意義はお金だけではありませんが、余裕のある暮らしは人生を豊かにするでしょう。常に将来の不安に苛まれて生きていくのはとても疲れます。

250万円の収入もずっと続くかどうか分かりません。給与が下がるかもしれないし、雇用が終わるかもしれません。250万円の収入は将来的に約束されていません。実際に手当が減額されたり、リストラされた社員が登場するのは不確実な未来を示唆しているのでしょう。かなりの現実感があります。実際の社会でも珍しくはない。

今を楽しく生きて将来を考えなければいいのですが、そこまで現実を見ずに生活を送れるほど華美は楽観的ではありません。お金に関していえば、華美の考え方は一般的だと言えます。

「FIRE」という言葉があります。「Financial Independence, Retire Early」の頭文字で、「経済的自立と早期リタイア」を意味します。華美が求めているのは、厳密にはFIREではないでしょう。250万円の年収は多くはありませんが、経済的には自立しています。早期リタイアは選択肢のひとつに入っているかもしれませんが、そのこと自体が目的ではありません。彼女が求めているのは将来的な安定でしょう。金銭的に安定した人生を送ることです。

直幸は不確実な未来を見ません。見ないというよりは、見ているけど悲観的に捉えていないのでしょう。それもひとつの生き方です。未来はどうなるか分かりません。将来の10,000円よりも、今の10,000円の方が価値があると考えるのもあながち間違っていません。

華美のように不確実性を無くす努力をするのはなく、楽観的に未来を考えるのも悪くない。一方、不安感を完全に消し去ることもできていないのでしょう。だからこそ、現在の金融システムを否定する「末(スエ)」や「ムラ」に傾倒するのでしょう。

実際、将来はどうなるか分かりません。分からないからこそ、華美と直幸のどちらの生き方が正しいのかは決められない。

 

金とカルト

華美が株で収入を得ようとしているのは、お金が人生にとって重要なことだと認識しているからです。多くの人が彼女に共感できるでしょう。お金よりも大事なことがあると言う人は、お金に困っていない人か現実逃避をしているかのどちらかです。

直幸には、華美がお金に振り回されているように見えます。お金のために日常生活を犠牲にしていると感じています。確かに将来の安定のために、今の生活を犠牲にしている姿は滑稽に見えるかもしれません。

では、直幸自身はお金に振り回されていないのでしょうか。今を楽しむために散在する直幸は、お金に囚われていないように見えます。しかし、怪しげなオンラインサロン「ムラ」の考え方に共感するのは、お金に囚われている証拠かもしれません。

「ムラ」内では円でなく、物々交換や独自通貨の「シンライ」でコミュニティを運営しています。円に振り回されている人々を批判しながらも独自通貨を作っているのは、通貨の必要性を排除していないからでしょう。「ムラ」の矛盾を感じさせる部分です。しかし、円を否定することが目的であれば、その矛盾もそれほど重要ではなくなってきます。

「ムラ」は悪意のあるカルト集団として描かれます。冷静になれば、誰が見ても怪しい集団であることは間違いありません。気付かないのは、それだけ現実の社会に批判的な意識を持っているからです。「ムラ」は通貨システムに批判的であり、お金に振り回される人々にも批判的です。そこに共感することで、「ムラ」の怪しさに気付きません。

一方、共感するということは、それだけお金に意識が向いているということです。お金を批判するほどにお金に囚われている気がします。カルト集団の恐ろしさも感じます。

 

終わりに

根底にあるのは、将来に対する不安や不透明さです。お金を増やすことも、カルト集団に騙されることも、大きな不安があるからです。不安を前に人が取る行動は様々です。華美と直幸はその一例です。直幸は極端ですが、非現実的とまでは言えません。

社会の中で生きるなら、人間関係と同じくらいお金は重要です。そのことを理解しているかどうかは別にして、目を逸らして生きていけません。読みやすいがなかなか重いテーマです。

最後までご覧いただきありがとうございました。