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『テスカトリポカ』:佐藤 究【感想】|われらは彼の奴隷

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ご覧いただきありがとうございます。今回は、佐藤 究さんの「テスカトリポカ」の読書感想です。

第165回直木賞受賞作。麻薬や臓器売買など生々しい犯罪を描いたクライムノベルです。しかし、クライムノベルと一言で言い表せるほど単純ではありません。その理由はタイトルが示しています。

「テスカトリポカ」という言葉を、本書で初めて知りました。アステカ神話の神の一人です。ナワトル語で 「tezcatl (鏡)」と「poca (煙る)」という言葉で成り立っています。「煙を吐く鏡」を意味し、黒曜石の鏡のことです。アステカの神が、どのように犯罪組織や犯罪人を関わってくるのか。物語にどのような影響を及ぼすのか。気になります。

主要な登場人物は、メキシコの麻薬密売人のバルミロ・カサソラです。彼は麻薬カルテルの戦いに敗れ、メキシコを追われます。次に、元心臓外科医の末永充嗣です。彼は麻薬常習と轢き逃げで人生を狂わせています。そして、メキシコ人の母と日本人の父を持つ土方コシモです。他にも多様な人物が物語に影響を及ぼしていますが、この3人が物語を動かしていく主要な人物です。特に、バルミロが重要な役割を果たします。アステカ神話が物語を構成する上で必須だからです。

単なるクライムノベルに収まらないのは、バルミロがアステカの宗教儀式を自身の生き方に取り込んでいるからです。彼の生き様はアステカ神話、特にテスカトリポカとともにあります。

生々しい描写に嫌悪感を抱くかもしれないし、現実的でないと感じる読者もいるでしょう。アステカ神話の宗教観もなかなか理解しがたい。気軽に読む小説ではないのかもしれません。

「テスカトリポカ」のあらすじ

心臓密売人の恐怖がやってくる。メキシコのカルテルに君臨した麻薬密売人のバルミロ・カサソラは、潜伏先のジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会う。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へ向かった。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年、土方コシモは、バルミロに見いだされ、知らぬ間に彼らの犯罪に巻きこまれていくー。【引用:「BOOK」データベース】

 

「テスカトリポカ」の感想

薬カルテルの恐ろしさ

麻薬カルテルの非情な殺人を伴う縄張り争いは人間の所業とは思えません。人の残虐性に終わりはないのでしょう。

縄張り争いは金を生むシステムの奪い合いです。共存は存在せず、常に相手の隙を伺っています。カルテルに所属している以上、明日の命が保証されることはありません。また、カルテルこそが命を守ってくれます。

バルミロの麻薬カルテルはメキシコにあります。メキシコだけが特別ではなく、中南米の麻薬組織は世界的な勢力を誇るのでしょう。麻薬カルテルは世界中に存在すると思いますが、中南米の存在感が強いのはアメリカという莫大な利益を生むマーケットが近いからでしょう。そのマーケットを取り合うとなれば、敵対組織に容赦はしていられません。

また、戦いを挑めば、反撃されます。勝ったとしても報復があります。報復を避けるためには、敵を一人残らず殲滅しなければなりません。カルテルの幹部はもちろん末端に至るまで皆殺しにしなければ、枕を高くして寝られません。だからこそ、彼らの抗争は想像を絶するほど残虐になります。

麻薬カルテルの幹部バルミロは敵対組織から襲撃されます。メキシコで起こった抗争は一方的な虐殺ですが、殲滅を目的にすればここまで容赦なく皆殺しにできるのだと感じます。日本に住んでいると実感できませんが、現実に起こり得ることだとすると恐ろしい。

ただ、バルミロはこの襲撃を理不尽なものだと感じていない気もします。カルテル同士の抗争として受け入れています。彼は負けたに過ぎず、次に目指すのは復讐です。その思考はカルテルによって育まれたのでしょう。どちらにしても、関わりたくないし、理解できる世界とも思えませんが。

 

育と愛情

重要な登場人物のひとりが土方コシモです。母親のルシアは観光ビザで日本に入国したので、まともな仕事で働けません。それが理由かどうか分かりませんが、彼女はヤクザの土方興三と結婚します。結果として、合法に日本に滞在できるようになります。

両親の職業や立場などで差別してはいけないのですが、コシモがまともな育児や教育を受けることができるとは思えません。実際、育児放棄を受け、義務教育すら受けていません。彼の不幸は、彼自身の責任ではなく親の問題です。子供に多くの選択肢を与えるかどうかは親次第です。コシモは選べる道がありませんでした。

ただ、ルシアがコシモに対して愛情を抱いていなかったと断言はできません。彼女は薬物中毒であり、正常な判断力を持っていません。育児放棄も麻薬の影響でしょう。麻薬に手を出したのは、彼女の状況があまりに恵まれていなかったからです。

コシモは麻薬をしていない時の母を美しいと感じています。母親に対して愛情を抱く瞬間があるということは、母親からの愛情を感じているのでしょう。コシモの願望や錯覚かもしれません。しかし、母親のことを完全に嫌悪していないところを見れば、あながち的外れではないと思います。

しかし、コシモは両親を惨殺します。殺すしか選択肢がない状況に追い込まれたからかもしれませんが、問題はコシモに罪の意識が希薄だということです。やはり、コシモの成長には重要な何かが欠けていたのでしょう。

一体、コシモに何が欠けていたのか。人が成長していくために必要なものは多岐にわたり、様々なことが複合的に作用します。特定の理由に限定できません。しかし、圧倒的に不足していたのは、教育と満たされた家庭環境、両親の愛情です。それらが不足した環境で大人になれば、人格形成に良くない影響があります。同じ状況だからと言って、必ずしも誰もがコシモのようになるとは限りませんが。

コシモは両親を殺した犯罪者になり、殺し屋になります。彼が選んだ道のように見えますが、彼にはそれ以外の選択肢はなかったはずです。コシモは被害者と言えるかもしれません。

 

ルミロの復讐の実現の可否

バルミロは家族を皆殺しにされ、カルテルは壊滅しました。莫大なお金を生むビジネスの奪い合いだから、生易しいものではありません。

争いは勝者と敗者を生み、敗者は復讐を誓います。やられっぱなしで済ますような気質の者は、麻薬カルテルを維持できないでしょう。それは勝者も理解しています。相手を皆殺しにしなければ、いずれ復讐が訪れます。新たな戦いが起こる。次も勝てるとは限りません。だからこそ、バルミロを徹底的に追跡し、殺そうとしているのでしょう。

バルミロも追っ手が簡単に諦めるとは考えません。むしろ、逃げ切る方が難しいと思っています。それでも、バルミロは策を巡らし、逃げ切ります。逃げ切れば、復讐のための行動を起こしていくのは当然です。復讐し、カルテルを再興するために逃げたのだから。

ジャカルタはかなり雑多な街のようです。また、多様な人種が入り交じっています。メキシコからは距離も遠い。バルミロが再起を図るために適当な場所です。多少、治安が悪い方が自由に動けます。追っ手から逃げながら、力を蓄えるには格好の場所なのでしょう。

復讐とカルテルの再起という明確な目的があるから、バルミロの行動には迷いがありません。慎重でありながらも、的確な判断で行動しています。末永充嗣と手を組むのも、最終的にメキシコに戻るための手段になると判断したからです。最も必要なのは金と人です。臓器移植ビジネスは金になります。

末永と手を組んだことで、バルミロは日本に移動します。日本は世界の中でもかなり治安のいい国です。裏の社会は物騒なのかもしれませんが、街中で発砲事件も起きないし、組織同士の抗争も滅多にありません。もし起きれば、警察がすぐに動きます。

そんな日本で、メキシコの麻薬カルテルに立ち向かう組織を一から作り出すことができるでしょうか。バルミロは日本に地盤がありません。影響力もバックもない。そんな中で、ヤクザやマフィアと対等に渡り合うことができるとは考えにくい。

バルミロは忠実で冷徹な殺し屋を作り出し、配下に加えていきます。物理的な力を持つことは存在感を強めます。それでも極めて少数です。簡単に抹殺されてしまいそうです。しかし、バルミロは圧倒的な力を付けていきます。その過程に納得感はあまり感じられません。日本で可能なやり方なのかどうか。メキシコのやり方を日本に持ち込んでもうまくいくようには思えません。

 

ステカ神話の複雑さ

信仰を理解するのは難しい。信じる者にとっては人生の絶対的な存在です。信仰しない者にとっては受け入れがたいものも多い。

宗教はその地の文化を色濃く反映しています。また、年月を経て、人々に浸透していきます。周りから見て理不尽や不可解なものであっても、あらゆることに理由があります。信者にとって重要な理由です。

バルミロが信じるアステカの神とそれに付随する儀式は、彼の人生の指針を示します。人生そのものかもしれません。際立つのが生贄の存在です。バルミロは目的を達成するために残虐な殺人を繰り返します。その中に、アステカの儀式で捧げられる生贄の概念が持ち込まれます。

現在社会では生贄は残酷な宗教儀式と認識されていますが、当時は当たり前のものとして受け入れられていたのでしょう。だからこそ、バルミロは生贄を捧げることに躊躇はないし、むしろ絶対的な正当性を持っています。

アステカ神話を理解することは難しい。多神教のようですが、それぞれの神が担う役割や立場などが複雑過ぎて理解が追い付きません。しかし、バルミロの行動の根幹を成すものです。理解しなければ、バルミロを理解できません。果たして、バルミロを真に理解できた読者はどれくらいいたのでしょうか。

 

終わりに

バルミロの最終目的は、メキシコに舞い戻り、復讐を果たすことです。ジャカルタも日本も、そのための過程に過ぎません。臓器売買ビジネスも殺し屋の育成も、復讐の手段です。しかし、物語が一番盛り上がるのが、臓器売買に関わる部分です。メキシコは忘れ去られています。

コシモを結末に持ってきたことで読後感は悪くありません。ただ、バルミロの物語が中途半端に終わった感はあります。メキシコからの追っ手が登場することも期待しましたが、麻薬カルテルは忘れ去られたようです。だからと言って、読み応えがない訳ではありません。

最後までご覧いただきありがとうございました。