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『ユービック』:フィリップ・K・ディック【感想】|あらゆるものが一九四〇年代へと逆もどりする

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 こんにちは。本日は、フィリップ・K・ディック氏の「ユービック」の感想です。 

 

 「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」以来のディック作品です。秀逸な海外SF作品と言えば、「ユービック」は必ずと言っていいほど名前が上がります。

 ディックの作品は映像化されているものが多い。「ブレードランナー」「トータル・リコール」「マイノリティ・リポート」「ペイチェック」など有名作品ばかりです。ディックの名前を知らなくても、映画を知っている人は多い。

 本作は1992年が舞台であり、発刊当時(1969年)は近未来です。1969年は人類が初めて月に降り立った年です。執筆中は、月面に人類が降り立つのも時間の問題だった頃だろうか。物語の発端が月面での戦いだったのは、そういう時代背景もあったのかもしれません。月が人類にとってより身近な存在になっていたのでしょう。残念ながら、現在でも月面に人類が移住することはできていませんが。

 物語は、超能力者の失踪から始まり、月面での不活性者との戦いへと進みます。SF的要素を詰め込んだ冒頭です。しかし、物語の核心は超能力者と不活性者の戦いではありません。

 

  • 時間の退行
  • 不活性者たちの謎の死
  • 半生者の存在

 

 ジョー・チップを取り巻く不可解な状況が、読者を惑わせます。物語はどこに向かっていくか。何が起こっているのか。現実の境界線が曖昧になっていき、真実が何なのか分からなくなってきます。チップが理解していく状況は、さらに理解を超えて変貌し、先が読めません。 

「ユービック」の内容

一九九二年、予知能力者狩りを行なうべく月に結集したジョー・チップら反予知能力者たちが、予知能力者側のテロにあった瞬間から、時間退行がはじまった。あらゆるものが一九四〇年代へと逆もどりする時間退行。だが、奇妙な現象を矯正するものがあった――

それが、ユービックだ!   

 

「ユービック」の感想

生者とモラトリアム

 最も重要な要素は「半生者」です。超能力者と不活性者(反能力者)の戦いが主軸のような印象を受けるが、それすらきっかけに過ぎません。核心は、ランスターが訪れたスイスのモラトリアム(安息所)にあります。

 冷凍保存された肉体に残る半生命が、人間の死をただちに完全な死へと繋げません。半生命が残っている間は、いつでも呼び覚まし、会話をすることができます。ランシターが妻エラと会話することで、半生者の存在が当たり前の世界が描かれます。完全な死に向かう一時的な「生」を、果たして「生」と呼んでいいのかどうかは疑問ですが。

 半生者が保管(冷凍保存)されている場所は安息所(モラトリアム)と呼ばれています。「半生」は安息をもたらしているのだろうか。完全な死と完全な生の間にある時間と空間を安息と呼ぶのに皮肉を感じます。半生命の真実は身体状況の測定や会話から想像するしかありません。真実は半生者にならないと分からない。安息と呼ぶのは生者の希望であり言い訳なのだろう。完全な死という恐怖に向かう一時期は安息でありたいという願望の表れかもしれません。

 半生者は現実世界に影響を及ぼせません。こちらからアクセスしない限り話すことはできない。現実世界を生きる者から見た半生者は、生者の理解できる範囲でしか想像できません。半生者の世界の真実は半生者しか理解できないということだろう。

 超能力者と不活性者の戦いはSF的で分かりやすい。超能力者も不活性者も現実世界で行動しているからです。半生者は現実世界に一時的にしか戻らず、それ以外の時間はどうなっているのか正確なところは分かりません。半生者の技術的・状況的な側面は理解できますが、それ以上は想像するしかない。

 物語が進むにつれ、半生者が物語の核心だと分かってきます。

  

間の退行とランシターの実体化現象

 どこまで現実で、どこから現実でなくなったのだろうか。

 月での超能力者との戦いまでは明らかに現実世界です。爆弾が爆発し、生き残った不活性者が地球に逃げます。ひからびたタバコの存在が現実世界から外れたことを示唆します。ジョー・チップたちを取り巻く世界の時間が退行を始めます。

 

  • ひからびたタバコ
  • 腐ったコーヒー
  • 前世代の車やエレベーターや家電

 

 全てが時間を遡っていきます。ドアだけは相変わらずコインを求め続けるのは面白いが。ジョー・チップたちが過去に行っているのではなく、彼らの周りが時間を退行していきます。

 彼らの周りで起きる奇怪な現象は、月に行く前にいた現実世界とは違うことを表しています。どこかの段階で現実世界が終わり、違う世界へと変わった。月での出来事が境界でしょう。時間の退行は現実世界から離れたことを示しています。

 しかし、チップたちは理解しません。不可解な現象は現実世界で起きていると理解します。パットの存在がその可能性を消しません。時間の退行も、彼女が関わっているのではないかと想像します。パットの能力が時間の退行を可能にするのかどうかは疑問だが、パットには何か秘密があると考えたのだろう。時間の退行は自身の問題か、もしくは他者の能力によるもので現実世界は揺るがないと信じています。

 ランシターの実体化現象が現実世界の存在を不確かにします。実体化現象と時間の退行との関係性が説明できません。チップたちが現実と信じている世界に、ランシターの残した痕跡やメッセージが現れます。

 少なくとも、ジョーたちの中ではランシターは死んでいます。ランシターからのメッセージはどういうことなのか。現実世界が、月の爆発で現実ではなくなったと受け入れざるを得なくなります。ランシターが死に、ジョーたちが生き続けている前提は成り立たなくなってきます。ジョーたちが死に、ランシターが生きている方が状況を納得できます。

 

  • ランシターからのアクセスが現実世界のモラトリアムからだったとしたら?
  • 時間の退行は、半生者が経験する通常の過程だとしたら?

 

 ジョーたちが死を受け入れ、半生者と半生世界の存在を受け入れれば、時間の退行とランシターの実体化現象は説明できます。

 ジョーたちを追い詰め、完全な死へと追いやろうとしている存在がいることは間違いありません。パットも死んでいたとなれば、ジョーたちが経験していることは誰の仕業なのか。ようやく真の敵が見えてきます。 

 

実世界と半生世界の境界

 世界の境界はどこにあるのだろうか。ジョーたちが死んだこと(半生者になったこと)を理解できない理由は、半生世界が極めて現実世界と酷似しているからです。現実世界が続いているとしか思えない世界で、自身の死を認識するのは難しい。

 「時間の退行」と「実体化現象」を目の当たりにして、まずは他者を疑います。現実世界と半生世界の境界を明確にできるかどうかは、半生世界の存在を認識し、現在どちらにいるのか理解する必要がある。

 現実世界にいると境界線を引いてしまえば、そこで起こることは境界線の内側すなわち現実世界での出来事になります。どれほど不可解であったとしてもです。逆に半生世界にいると気付けば状況はより把握できます。

 アルの方が早く真実に近づこうとしていたのだろう。「時間の退行」も「実体化現象」も半生世界だと考えるほうが適切です。チップも自身の死と半生世界の存在に確信を持ちます。実体化したランシターに告げられたことも大きな理由です。

 チップは、この世界が半生世界だとすれば、ランシターの実体化現象の意味も捉えていたのだろう。現実世界から半生世界への接触は会話でしかできません。ランシターの実体化現象のようにメッセージを残したり実体化して会話することはできない。

 このことから考えられることは、ランシターも半生者となっているということです。彼はすでに真の現実世界にはいない。チップは自身が半生世界にいて、現実世界との境界を認識したことでランシターとの境界も明確にします。

 エラがチップと接触し会話します。そのことからもランシターとチップの会話は彼が半生者であることを物語っています。結末でランシターは気付いただろうか。ジョー・チップ通貨は、そのことを証拠として証明しています。

 

昧な境界

 ランシターが半生状態にあったとしても、彼は現実世界のフォーゲルザングやレン・ニッゲルマンと会話しています。ランシターが現実世界と思っている世界が半生世界だとすれば、どういう世界なのか。

 ランシターの半生世界と現実世界の境界は明確に描かれていません。ランシターは現実と半生の間の境界を明確に正確に認識していないだろう。ランシターも死んで半生者になったのならば、彼の実体化現象は納得できます。

 一方、エラがチップを助けた理由は、ランシターに助言し援助することです。かつてエラがしてきたように。ランシターが半生状態ならば、全生状態と同じように半生状態の彼にも助けが必要ということだろうか。それとも、エラはランシターの半生状態を知らなかったのか。

 エラはランシターの半生状態を知らないのだとすれば、ランシターはスイスではない別の場所で半生状態になっている可能性が高い。望むかどうかは別にして、モラトリアム内では相互接続し意識を通わせることができます。

 ランシターがチップと接触できたということは、モラトリアム同士も繋がっていたということだろうか。そうなれば、エラはランシターの半生状態を知っていた可能性も出てきます。

 

  • 現実世界と半生世界の境界
  • 半生世界同士の境界

 

 全てが曖昧で変化していきます。その変化についていくのが難しい。

 

終わりに

 超能力者と不活性者の戦いから始まり、半生世界でのジョリーとの戦いへと移行していく。その過程には、現実世界と半生世界の境界が曖昧に横たわります。自身の存在する世界を確実にするには、他の世界との境界を定める必要があります。

 現実世界しか存在しないと考えている時には境界は不要だろう。ひとつしかないのだから。二つ以上の異なった世界があった時、どのようにして境界を区切るか。自分はどこにいるのか。認識や状況で境界線は変わります。

 半生世界という現実の物質が存在しない世界、意識でしか存在しない世界は、どのようにも変化します。変化は境界を明確にせず、常に変化する境界に惑わされます。