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『暗幕のゲルニカ』:原田マハ【感想】|ゲルニカに込めたピカソの思い

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 原田マハの小説を読むのは、「たゆたえども沈まず」に続いて2作品目です。私は美術史に詳しくありません。アートに対する造詣も深くありません。ピカソの知識も教科書レベルです。それでも「ゲルニカ」は知っていますし、彼が美術界に大きな影響を与えたことも分かります。それ以上に、彼の作品の影響力が美術界に留まらないことを感じさせてくれたのが、この小説です。

 1937年、ドイツ空軍のコンドル軍団による「ゲルニカ爆撃」。この無差別爆撃をテーマとして描かれた「ゲルニカ」。その残虐な行為による悲劇を、圧倒的な迫力で観るものに訴えてくる巨大な絵画。彼が「ゲルニカ」に込めたメッセージは、戦争・暴力に対する果てしない批判と抵抗です。それが全編を通じて伝わってきます。「暗幕のゲルニカ」には、以下のように記述があります。 

本作は史実に基づいたフィクションです。
二十世紀パートの登場人物は、架空の人物であるパルド・イグナシオとルース・ロックフェラーを除き、実在の人物です。
二十一世紀パートの登場人物は、全員が架空の人物です。
【「暗幕のゲルニカ」単行本より】 

 「たゆたえども沈まず」でも同様でしたが、フィクションと史実が混然となり物語が進んでいきます。史実を詳細に知らないので、どこまでが事実でどこまでがフィクションなのか判別し難い。ただ、判別する必要はない気もします。架空の人物・出来事も、「ゲルニカ」に込められたピカソのメッセージを知るために必要な構成要素なのでしょう。「ゲルニカ」を知ることにより、ピカソを理解する。更に世界の不条理さを知ることにもなる。 物語は、ピカソが「ゲルニカ」を制作した20世紀パートと、テロとの戦いが本格化した21世紀パートのふたつの時間軸で進んでいきます。「ゲルニカ」を中心に進んでいくふたつの物語に引き込まれていきます。 

「暗幕のゲルニカ」の内容

ニューヨーク、国連本部。イラク攻撃を宣言する米国務長官の背後から、「ゲルニカ」のタペストリーが消えた。MoMAのキュレーター八神瑶子はピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。故国スペイン内戦下に創造した衝撃作に、世紀の画家は何を託したか。ピカソの恋人で写真家のドラ・マールが生きた過去と、瑶子が生きる現代との交錯の中で辿り着く一つの真実。【引用「BOOK」データベース】  

「暗幕のゲルニカ」の感想

カソが込めた思い

 20世紀パートは1937年から1945年の期間を描いています。ゲルニカ爆撃が起こり、ピカソがゲルニカの制作を始めた頃からです。ただ、視点はピカソ自身でなく、愛人のドラ・マールです。彼に語らせるのではなく、側にいた彼女に語らせる。ピカソの視点ではないので、彼の内面の全てを描き出す訳ではありません。あくまでドラが感じたピカソを描いています。しかし、ゲルニカを制作した時に一番側にいた女性です。彼女の見るピカソは、他の誰が見るピカソよりも本質を捉えているはずです。

 著者は、ピカソの内面の全てを理解することは難しいと感じているのかもしれません。ピカソの視点で描こうとすれば、ピカソの全てを理解しなければならない。それは難しい。なので、彼の側にいたドラが感じていたこととして描いたのかも。また、愛人のドラが見るピカソは芸術家としてのピカソだけでなく、男性としてのピカソも描くことになります。男性というよりも人間としてのピカソと言えます。 

ピカソの人物像が、いろんな角度から描かれます。  

 ドラは、ピカソのゲルニカ制作をカメラで撮影し続けます。これは史実ですし、実際に写真も残っています。ピカソは制作現場を人に見せることはなかったようです。ただ、ゲルニカに関しては積極的に公開していました。それだけゲルニカは特別な作品であり、込められたメッセージを世界に広げたいという思惑もあったのでしょう。作品にメッセージを込めても、世界に届かなければ意味がありません。ピカソにとって、ゲルニカは世界に必ず届けなければならないメッセージです。ドラは、ピカソがゲルニカを制作している様子を見ています。彼の思いを十分に感じているはずです。 

 もう一人、重要な登場人物がいます。「パルド・イグナシオ」。スペインの名門イグナシオ公爵家の長男です。彼は架空の人物なので、彼が関わるシーンは架空です。彼の役割はピカソの芸術の庇護者です。ピカソと彼の芸術を守るために、出来る限りのことをする。彼はドラと同様か、それ以上に存在感を放っています。

 彼を登場させた理由は一体何なのか。ピカソの芸術は強力な庇護者がいないと守れないほどのメッセージが込められていた。大戦下におけるナチス・ドイツやスペインのフランコ政権にとっては都合が悪い。ピカソの影響力と大戦下におけるヨーロッパの不安定さ。それらを表現するために、パルドという協力な庇護者を登場させたのかも。パルドは20世紀パートだけでなく21世紀パートでも重要な役割を果たし、両方の時代を繋ぐ役割もあります。  

ルニカを受け継ぐ

 21世紀パートは、2001年から2003年の期間を描いています。アメリカ同時多発テロ事件の年からです。21世紀パートの登場人物は、全て架空の人物です。なので、物語の大半はフィクションです。ただ、全てがフィクションと言う訳ではありません。国連安保理議場ロビーにあるゲルニカのタペストリーに暗幕が掛けられていたのは事実です。著者は、この光景に相当のショックを受けたようです。パウエル国務長官のイラク空爆の会見でゲルニカを隠す。それは、ゲルニカに込められたメッセージの影響力の大きさを表しています。 

 ニューヨーク近代美術館のキュレーター八神瑤子が、同時多発テロから始まる負の連鎖を止めるために「ピカソの戦争」展の開催を決意します。彼女は、展覧会に欠かせないゲルニカを展示するために行動し続けます。スペインのレイナ・ソフィア芸術センターにあるゲルニカを動かすことの難しさが、彼女を追い詰めていきます。ゲルニカの移動には、技術的な理由の背景に政治的な思惑もあります。ゲルニカを取り巻く状況は、時代が変わっても複雑です。もちろん、ピカソがゲルニカを書いた時代とは取り巻く環境の背景は違いますが。 

 世界を覆うテロリズム。対抗するために行われる戦闘行為。終わりのない負の連鎖を止めることが出来るのかどうか。アートが立ち向かうことができるのかどうか。アートが暴力に立ち向かえることを、ピカソは証明しています。瑤子は同じ過ちを繰り返そうとしている人類に、かつてのピカソのようにアートで立ち向かいます。  

最後に 

 実際のところ、ゲルニカの置かれている状況はどうなのだろうか。現在は、ソフィア王妃芸術センターに保管されています。各国が貸与を希望しても、貸し出されたことはないようです。厳重に管理されたゲルニカは、後の世代に延々と受け継がれていくのでしょう。ただ動かすことが出来ないのならば、スペインに行かなければ見ることは出来ません。果たして、写真や複製でゲルニカを感じることが出来るのだろうか。ゲルニカを守るという観点からは動かさない方がいい。しかし、多くの人々に伝えるという意味では動かしたい。

 原田マハの描く文章は、現実に絵画を見たように感じさせるほど表現が見事です。ピカソがゲルニカを描いている様子やゲルニカが見る者に与える影響などがひしひしと伝わってきます。著者の芸術に対する思いが小説内のあらゆる箇所に現れています。読み応えがありました。