晴耕雨読で生きる

本を読み、感想や書評を綴るブログです。主に小説。

ーおすすめ記事ー
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト

『クローズド・ノート』:雫井脩介【感想】|そのノートが開かれたとき・・・

f:id:dokusho-suki:20200315121740j:plain

 こんにちは。本日は、雫井脩介氏の「クローズド・ノート」の感想です。

 

 携帯電話サイトで配信されていた作品のようです。私にとってはあまり馴染みのない媒体です。映画化もされています。

 タイトルを聞いて思い浮かべるのは映画の初日舞台挨拶です。沢尻エリカの不機嫌な態度が今でも頭に残っていますし、「別に」という言葉も聞こえてくるようです。この後、しばらく沢尻エリカを見なくなってしまいました。今は違う理由で見なくなりましたが。舞台挨拶のインパクトが強すぎて、映画化されたほどの小説なのに全く内容を知りません。

 「クローズド・ノート」のタイトルのとおり、ノートが重要な役割を果たします。登場人物は少なめです。主人公の香恵は大学生なので、学校・サークル・バイトは妥当な交友範囲ですが。

 恋愛が主軸ですが、彼女は常に一歩引き気味の印象です。恋愛に関して真面目です。そのことに現実感を抱けるかどうか。彼女の行動に共感し理解できるかどうかも重要です。 

「クローズド・ノート」の内容

堀井香恵は、文具店でのアルバイトと音楽サークルの活動に勤しむ、ごく普通の大学生だ。友人との関係も良好、アルバイトにもやりがいを感じてはいるが、何か物足りない思いを抱えたまま日々を過ごしている。そんななか、自室のクローゼットで、前の住人が置き忘れたと思しきノートを見つける。興味本位でそのノートを手にする香恵。閉じられたノートが開かれたとき、彼女の平凡な日常は大きく変わりはじめるのだった―。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「クローズド・ノート」の感想 

吹's note

 「クローズド・ノート」は閉じられたノートであると同時に、簡単に開かれてはいけないノートの意味もあります。香恵の部屋に残されたノートはいつでも開くことができますが、そのことが見れない理由になっているのかもしれません。物語の中盤近くまで開かれません。よっぽどのきっかけがないと開いてはいけないことを象徴しているのでしょう。

 親友の葉菜が海外留学したことで関係がギクシャクし、物理的にも精神的にも距離が遠くなります。直接会う機会が減ればそれなりの距離感になるのは仕方がありません。顔を合わせて話すのと電話で話すのは全く違うし、関係を維持しようとすれば努力が必要です。葉菜以外の友人もいますが、親友といえるかどうかは微妙です。ただ、孤独というよりは時間を持て余したという印象も受けますが。

 彼女は長い間開かなかったノートを開きます。葉菜との関係も理由のひとつであり、子供たちのグリーティングカードを見たのも理由のひとつです。しかし、暇つぶしの野次馬根性の側面もあるのではないでしょうか。うまくいかない自身の生活に何らかの変化を求めます。結果としてとても大きな変化をもたらすことになるのですが。

 物語の冒頭でノートの一部が明かされているので、どんなことが書かれているかは想像できます。グリーティングカードからも大体分かります。真野伊吹は小学校4年生の教師であり、ノートは彼女の日記のようなものです。香恵の読み始めは始業式からで、冒頭のノートは終業式です。伊吹先生の1年間が書かれているのでしょう。意外性のある中身ではありません。

 伊吹先生の1年間が、香恵にどのような影響を与えるのか。その変化を描くためには香恵の現状を詳細に伝える必要があります。変化の前後を比べ、その過程を描くことが重要です。なかなかノートが開かれないのは理由があります。香恵が一気にノートを読み切らないのにも理由があります。人は誰でも急激に変化できる訳ではありません。緩やかに変化するためには、ゆっくりと読む必要があります。

 ノートを開く前でも香恵は変化しています。葉菜の不在や石飛との出会い、鹿島の接触など全く変化しない日常はありえません。状況の変化は「伊吹's note」との出会いのための準備でしょうか。彼女が満たされている時に読めば、単なる読み物程度にしかならなかったでしょう。ノートが開かれるまでは退屈ですが、必要な部分だったかもしれません。

 

立していない香恵

 香恵は精神的に自立していないように見えます。優柔不断で自分の意見をあまり言わない。自分の考えがあるのかどうかも分かりません。言えないということは確固たる自己がないのでしょう。誰でも何かひとつくらいは自信のあるものや人に譲れないものがあります。何もかもを内に秘めることがいい事とは思えません。控えめとは違います。

 鹿島が言い寄ってきた時、葉菜の彼氏だから付き合えないというのはひとつの理由です。香恵にとって最も大事なことだとしたら、押し切られてずるずるするのもおかしい。曖昧な態度を示すので、鹿島が近寄ってくるのも仕方ないように思えます。鹿島は葉菜との関係にケリをつけていません。香恵と付き合ってから別れるつもりだとすれば都合の良い考え方ですが有り得ないやり方ではありません。

 香恵は石飛に対して好意を抱きます。愛情に変化していきますが、何故、言わないのでしょうか。思いは言葉に出さないと伝わりません。それは鹿島に対しても同じことです。石飛の考えていることが分からないのは、彼が心の内を香恵に話さないからです。同様に石飛も香恵の心の内は分からないでしょう。少なくとも何かを伝えれば何かが返ってきます。相手が応えてくれるかどうかは次の話です。

 気持ちは雰囲気で気付いてくれるほど簡単ではありません。実際、香恵は石飛の心の内を掴み切れない。香恵が石飛に対して態度で表しても気付かれない。気付いたとしても確証は持てない。そして思いを受け取っていないから応えられない。何も始まらず、何も終わりません。

 「伊吹'z note」にのめり込む理由は、自分を伊吹に重ねることで自己満足を得ようとしたのでしょうか。香恵の行動は子供っぽくはっきりしません。香恵の変化を際立たせるために必要な性質かもしれないがイライラします。 

 

末は見えている

 冒頭の「伊吹's note」と香恵の部屋を見上げる石飛の姿で二人の関係は分かります。現在の石飛は伊吹を失っていいて、彼女に訪れたのが「死」であることは容易に想像できます。伊吹と石飛の関係はノートからも分かり、現在の石飛にどのように繋がってくるかです。

 石飛の心は伊吹に繋がれたままです。部屋を見上げたり、香恵に部屋を見せてもらったりすることからも分かります。彼は何を求めているのか。過去に縋り付いているだけなのか。時間の止まった伊吹と動いている石飛にもはや接点は生まれません。

 香恵は「伊吹'z note」を通じてノートの中の隆へと近づいていきます。香恵は自分自身の気持ちで石飛に近づき、伊吹の立場で隆に近づきます。香恵自身は結末まで気付きませんが、同じ人に対して違う立場から追い続けます。石飛=隆にいつ気付くか。気付いた時、香恵はどのように振舞うか。伊吹とは恋敵になりますが、伊吹に共感もしています。

 著者は、石飛=隆を隠していません。著者が描きたかったのが香恵の成長だとすれば、成長させるものが必要です。それが「伊吹's note」であり、香恵を徐々に確実に変化させます。伊吹が持っていた隆に対する想いが香恵を変えます。石飛に対する気持ちをはっきりさせます。伊吹と同じ人を愛していたことに対して、香恵はどのような感情を持ったのでしょうか。

 物語の展開は予想どおりです。香恵の心の変化も予想の範囲内です。伊吹の思いを優先するか、香恵自身の思いを優先するか。最も重要な部分です。恋愛小説でありながら、香恵の変化と成長の物語です。変化の仕方に共感できますが、結末に納得できるかどうかは人によるかもしれません。

 

恵の思いはどこに

 結末で香恵がどのように振舞うかが気になります。

  • 自分の思いを石飛に伝える
  • 伊吹の思いを受け入れている隆をそっとしておく

 伊吹がすでにいないことが香恵に何を感じさせるでしょうか。伊吹が生きていて、対等な勝負ができるのなら悩まないはずです。伊吹と隆が付き合っているなら諦めるか奪うだけの話です。正々堂々と勝負できます。実際に香恵が動けるかどうかは別にして。

 伊吹がいないことが香恵を悩ませるでしょう。隆は伊吹を忘れていません。過去に縛られていて、戻らない時間にいつまでも囚われています。香恵が隆のことを考えるのなら、香恵の気持ちを香恵の言葉で伝えることで隆の時間を動かすでしょう。隆の答えがどのようになるかは分かりません。しかし、生きている人間からの告白は、隆に時間が動いていることを実感させます。

 伊吹の言葉を伝えれば、隆を過去に縛り付けることにならないでしょうか。最後の言葉として吹っ切るきっかけになり得るでしょうか。突然の事故死で二人の時間は突然に止まりました。伊吹の言葉は、時が止まることを前提に綴られていません。これからも二人の時間が続くことを前提に語られています。それを聞かされた隆はどうすればいいのか。伊吹のことをさらに心に残すことになるでしょう。隆の時間を止め、さらに過去に縛り付けます。

 香恵のしたことは隆のためになったのでしょうか。自分の言葉を持たず、伝える勇気がないことの逃げに見えます。

 

年筆の魅力

 万年筆は香恵と石飛を繋げる重要なツールです。万年筆自体が物語を進めるきっかけになります。作中を通じて万年筆の魅力が伝わってきます。

 「今井文具堂」は地域では大きな文具店です。ガラスケースに並べられた万年筆コーナーが、今井文具店の規模を物語っています。登場する万年筆は全て人の心を惹きつけます。万年筆に興味のない人も手に取ってみたくなります。ただ、高級な万年筆ばかりが登場します。高級の基準は人によって違いますが、私にとっては手の届きにくいものばかりです。

 一本だけ選ぶとすればどれにするでしょうか。慎重になる気持ちも分かるし、失敗したくありません。買ったものを運命の出会いと思えるかどうかですが。登場した万年筆のどれか一本でも手に入れたいと思わせます。

 

終わりに

 意外性のある展開はありません。香恵が優柔不断なので冗長に感じる部分も多い。物語の展開が遅いので途中でだれてきます。それでも結末では心が動かされます。「つばさものがたり」も展開は読めたが感動しました。 

 

 

 予想されたストーリーの安心感に加え、使われている言葉の魅力かもしれません。伝えたい思いを表現する文章の巧みさがあります。

 結末で伊吹の手紙を読み上げることに納得感はありません。ただ、手紙の内容は心を動かします。それまでの長い展開は、ここに収束させるための布石だったのでしょう。