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『ドクター・デスの遺産』:中山 七里【感想】|生きる権利と死ぬ権利が平等にある

ご覧いただきありがとうございます。今回は、中山 七里さんの「ドクター・デスの遺産」の読書感想です。

犬養隼人シリーズの第4作目です。刑事もののミステリーですが、本作では安楽死をテーマに生きる権利と死ぬ権利について深く踏み込んでいます。

姿の見えない犯人の正体を突き止め、捕まえるミステリーですが、それ以上に重要なのが安楽死の是非を問うことです。安楽死を犯人の罪にしていますが、それが果たして罪なのかどうか。法的には罪ですが、倫理的または人間としてどうなのか。読者に問題提起をする重厚な作品です。

「ドクター・デスの遺産」のあらすじ

警視庁に入った1人の少年からの通報。突然自宅にやって来た見知らぬ医師に父親が注射を打たれ、直後に息を引き取ったという。捜査一課の犬養刑事は少年の母親が「ドクター・デス」を名乗る人物が開設するサイトにアクセスしていたことを突き止める。

安らかで苦痛のない死を20万円で提供するという医師は、一体何者なのか。難航する捜査を嘲笑うかのように、日本各地で類似の事件が次々と発生する…。【引用:「BOOK」データベース】

 

「ドクター・デスの遺産」の感想

楽死と尊厳死

安楽死と尊厳死は同じ意味のように捉えている人もいるでしょう。私も、その違いを明確に説明できるかと言われると不安が残ります。

尊厳死は言葉のとおり、尊厳を持って死に望むことです。延命だけが目的の過剰な医療を行わず、人としての尊厳を維持したまま自然な死を迎えます。医療の進歩が、尊厳を損なってまで延命を可能にしたから生まれた言葉でしょう。ただ、尊厳という言葉は抽象的で、人によって考え方は違います。何をもって尊厳が保たれているのかは分かりづらい。

一方、安楽死はもっと単純に考えられます。終末期を迎えた患者の苦痛を取り除くために死期を早めることです。自然な死を迎えるのではなく、人の手で死をもたらします。その中でも、積極的安楽死と消極的安楽死があります。積極的安楽死は薬物などを用いて死に至らしめます。消極的安楽死は治療をしない、もしくは治療を中止することで死に至らしめます。

安楽死を求める患者は、想像を絶する苦痛があるはずです。でなければ、自ら死を求めません。死よりも辛い苦痛が死ぬまで続くとなれば延命治療を望まないし、自然死を待つこともできません。人としての尊厳を保てないのであれば、安楽死も尊厳死のひとつと考えていいのかもしれません。苦痛をコントロールする終末期医療もありますが、必ずしも効果が続くとは限らないでしょう。

尊厳死と安楽死は違うものですが、尊厳のために安楽死を選ばなければならない時もあるのではないでしょうか。両者の定義はされていますが、世界のコンセンサスを得ている定義があるのかどうかは分かりません。

 

きる権利と死ぬ権利

言うまでもなく、人は誰でも生きる権利があります。生きることについて考えるためには、対極にある死についても考えなければなりません。すなわち死ぬ権利です。

生きることが権利なら、生きないこと(死)の権利も存在して当然かもしれません。権利であれば、それを行使することに何も問題はありません。命は、その当人だけのものです。極論すれば、自分自身の命をどうしようと勝手です。だからと言って、自殺を肯定する訳ではありません。

死ぬ権利を認めることはなかなか難しい。人は生きるために生きているという考え方があるからです。生きている間は、生きるための努力をしなければならない。間違った考え方ではないでしょう。

死ぬ権利を認めない要素は他にもあります。法と倫理です。日本に限って言えば、法は死ぬ権利を認めていません。殺意をもって他人を死に至らしめれば殺人です。また、自殺に手を貸せば自殺幇助です。どちらも罪になります。

死ぬ権利を認めないのは、その死が本人の希望かどうかを確認できないからです。文書などの何らかの手段で意思を表明していたとしても、それが自発的なのか強要されたのか分かりません。安楽死を認めるためには、議論され尽くした法整備とそれを担保する現実感な手法が必要です。

倫理から見ても、なかなか死の権利は認められません。宗教も大きく影響しています。自殺を禁ずる宗教は多い。理由は宗教ごとに違うかもしれないが、人は生きるために生きているという考えが根底にあるのでしょう。

死ぬ権利がどんな時に認められるのかを議論しなければならない時が来ているのかもしれません。一時的な感情で死を選んでしまう危険もあります。死ぬ権利が認められたとしても、そのプロセスは厳格であるべきでしょう。

安楽死が認められている国もあります。世界の流れが安楽死を是としているのかもしれません。ただ、世界がそうだからと言って、日本もそうあるべきだというものではないでしょう。日本は独自で議論し結論を出すべきです。その結果はどちらになるか分かりませんが。

 

えない犯人

犯人の姿は見えているのに見えていない。この矛盾した状況に、どのようにして説得力を持たせるか。

確かに印象に残らない人間は存在します。特徴が無いと、人の記憶には残りづらい。そうは言っても全く特徴のない人間はいません。安楽死を施した医者と看護師の二人ともに特徴がなく記憶に残らないという設定では無理があります。やはり人には何らかの特徴があるはずです。

医者には確かに特徴がありました。禿げた頭です。禿げた頭の印象が強すぎて、ただでさえ印象の薄い顔がさらに薄くなります。また、依頼者は医者にばかり意識が向くので、看護師の記憶は残りにくい。捜査が難航する理由としては説得力があります。

ドクター・デスの仕事でない患者を登場させることで、連続する事件の統一感もあやふやにしてしまいます。犯人に繋がる道はなかなか見えてきません。

犬養が娘を使ったおとり捜査を提案しますが、現実的にはあり得ないでしょう。どれほど手掛かりがなくても、警察がおとり捜査をするとは思えません。ドクター・デスの事件と犬養と娘の関係を絡ませるためには、おとり捜査という手段が一番使いやすかったのかもしれません。ただ、現実的が薄まってしまったのは否めない。

 

終わりに

犯人逮捕の刑事ものでありながら、死ぬ権利の是非を問う作品でもあります。犬養が自身の問題として死ぬ権利を考えるので生々しさがあります。

犯人逮捕で結末を迎えますが、全ての問題が解決した訳ではありません。むしろ、犬養には大きな苦悩をもたらします。彼の苦悩は、社会に対する著者の問題提起でもあります。

ミステリーとしての読み応えもありますが、それ以上に死を考えさせられる作品です。

最後までご覧いただきありがとうございました。