読み始めたら止まらないくらい、面白く読み応えがある作品です。出来の良いハリウッド映画を観ているようです。もっと言えば、それ以上の奥行きがあります。小説なので視覚的な迫力はありません。その代わり、文章を読んで想像する世界は限りなく広がります。また、時間の限られた映画では描ききれない壮大なストーリーが描かれています。予備知識のない状態で読み始めたので、ここまでスケールの大きな話だと想像していませんでした。アメリカ合衆国大統領 バーンズから始まり、バグダッドで活動している傭兵 イエーガー、そして日本の大学院生 古賀研人。住む世界も背負っているものも全く違う彼らが、何をきっかけに繋がっていくのか。物語の先行きが予想できません。アメリカ、中東、アフリカ、日本。舞台を変えながら、物語は留まることなく進み続けます。
「ジェノサイド」の内容
急死したはずの父親から送られてきた一通のメール。それがすべての発端だった。創薬化学を専攻する大学院生・古賀研人は、その不可解な遺書を手掛かりに、隠されていた私設実験室に辿り着く。ウイルス学者だった父は、そこで何を研究しようとしていたのか。同じ頃、特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエーガーは、難病に冒された息子の治療費を稼ぐため、ある極秘の依頼を引き受けた。暗殺任務と思しき詳細不明の作戦。事前に明かされたのは、「人類全体に奉仕する仕事」ということだけだった。イエーガーは暗殺チームの一員となり、戦争状態にあるコンゴのジャングル地帯に潜入するが…。【引用:「BOOK」データベース】
「ジェノサイド」の感想
現実感
現実的な物語かと思えば、物語の最も重要な鍵となる部分はSF的です。だからと言って、現実感が損なわれることはありません。何故なら、物語の舞台が詳細に設定されているからでしょう。そのことは、主要参考文献の数や著者が取材した人々の数に現れています。アメリカ合衆国大統領 バーンズが体現している覇権主義が、果たして現実に則しているのかどうかは別にして、いかにもアメリカらしい印象を与えます。バーンズを取り巻く閣僚や情報機関のトップ達の政治的な駆け引きや思惑が状況を複雑にしていきます。アメリカが世界の中心であり続けるために不安要素は排除する。アメリカに対して、一方的な印象かもしれない。ただ、冷静で良識的な判断を行い、状況を変えようとする勢力もある。
それぞれの思惑が行き交う政治の混沌さが生々しい。
また、バグダッドの民間軍事会社に所属するイエーガー。いわゆる傭兵です。冒頭、彼が任務に就いていたバグダッドの状況は、イラク戦争後の混乱した状況を背景にしています。バグダッドは物語の舞台にはならないのですが、イエーガーという傭兵を描くために最も適した国だと判断したのかもしれません。
そして、日本です。大学院で創薬化学を研究している古賀研人。父親が急死することから始まります。理系の大学院生は忙しいのですが、それでも日本ののんびりとした社会で生きている長閑さは感じます。自分の周りの世界だけに興味を持ち、それ以外には興味を示すことも積極的に関わることもしない。一般的な日本の学生と言えるかもしれません。
イエーガーは特殊ですが、彼らが置かれた環境や状況はとても現実感があります。現実的な状況から始まるからこそ、その後の展開においても現実感が引き継がれていくのでしょう。
錯綜するストーリー
物語は3人を軸に進みます。バーンズは意思決定を行いますが、アメリカの行動はアーサー・ルーベンスを中心として動いていきます。
- バーンズは「ハイズマン・レポート」。
- イエーガーは「コンゴ民主共和国での任務」。
- 研人は死んだはずの「父親からのメール」。
これらをきっかけに、彼らは大きな転機を迎えます。読者にとって、ハイズマン・レポートが物語の重要な鍵になるのは明白です。コンゴに新しい人類が誕生したことも、当初から予想できます。アメリカがイエーガー達をコンゴに派遣し新人類ヌースを抹殺しようとすることも、いかにもアメリカらしい行動に感じます。
しかし、イエーガー達がアメリカの思惑通りに動くのか。それとも予想外の展開が起こるのか。彼らが与えられた任務をこなすだけで終わるはずはありません。では、どのような展開が待っているのか。予想出来ません。彼らは、ヌースの存在を知りません。なので純粋な作戦行動として、ヌースがいるピグミー族のカンガ・バンドへと進みます。
彼らの作戦行動は、とても詳細に描かれておりリアルです。目的地に着いた時に、彼らが目にするものが何なのか。新人類と分かっていますが、果たしてどういうものなのか。想像出来ません。彼らがカンガ・バンドで遭遇した未知の存在と人類学者ピアースにより知らされた事実。ここから一気に物語が展開します。ヌースの策略により、彼らは作戦を放棄することになります。その仕組まれた策略が、ヌースが人類と違う特別な存在だと思い知らせます。また、アメリカに反旗を翻したことにより、アメリカとイエーガー達の行動が予測出来なくなります。ここからアフリカを脱出するまでの彼らの行動は、緊迫感と残虐さと生々しさに彩られます。人によっては嫌悪感を抱くほどの描写です。
しかし、内戦状態の国では、これこそが現実かもしれません。
平和の中に生きていると世界で戦争が起こっていると理解していても、その悲惨さは想像出来ません。著者の描写は誇張されているのか現実なのかは分かりませんが、かけ離れたものではないでしょう。
ここで、日本の古賀研人の存在です。研人とイエーガーの関係は、肺胞上皮細胞硬化症で繋がっています。しかし、何故、日本の古賀研人なのか。元々は父親の古賀誠治ですが。
ヌースが登場してから、物語は一気に展開していきます。遠く離れた日本の研人も、その渦に巻き込まれていきます。アメリカの陰謀に巻き込まれた一大学院生。彼が想像する以上の危険さに心臓が鼓動が早まります。 彼らが、どのように繋がっていくのか。ヌースはどのような作戦を描いているのか。後半に入ってからは、一気に読み切ってしまうほどの勢いがあります。
著者の思想
エンターテイメント性の高い小説ですが、随所に著者の思想が紛れ込んでいる気がします。南京大虐殺に関わるくだりや、在日朝鮮人に対する差別意識などは違和感を感じる人もいるでしょう。著者の考えは考えとして構わないのですが、敢えて書く必要があったのかなと疑問を抱きます。研人とともに薬を開発する韓国人留学生「李正勲」。優秀で穏やかで協力的な様子は、研人との会話や行動で表現されています。なのに、在日朝鮮人の差別のエピソードは要るのだろうか。差別意識を一般論的に思わせる印象があります。もちろん在日朝鮮人に対する差別意識は存在したのでしょうが、物語の構成上、必要なかったのではと感じます。
著者の抱く思いをメッセージとして潜ませたのかもしれません。しかし、これほど完成度の高いエンターテイメント作品なので、割り切ってエンターテイメントに徹しても良かったのではないでしょうか。
最後に
壮大なスケールのストーリー。複雑なプロットでありながら、結末までストーリーが食い違ったり辻褄が合わなかったりすることがありません。複雑に錯綜したストーリーを一点に収束させ、納得できる結末を用意しています。必ずしも、ハッピーエンドではありません。途中で多くの人が死んでいますし、戦闘では残虐で悲惨な死も描かれています。それでもイエーガーと研人の邂逅は、物語を終わらせるのに相応しいシーンでした。長編ですが、一気読みに近い勢いで読んでしまいます。かなりのお勧め作品です。人によって温度差は出るかもしれませんが。