今村翔吾『五葉のまつり』感想|石田三成ら五奉行の視点で描く「戦わない戦国小説」の魅力:MANPA Blog

天下静謐を支えた「裏方」たちの矜持

五葉のまつり

ごきげんいかがですか。まんぱです。

戦国小説といえば、派手な合戦や戦国武将たちの活躍が主役です。しかし、『五葉のまつり』は、あえてその華を削ぎ落としています。

本作が焦点を当てたのは、戦場を駆け抜ける名将ではありません。その背後で算盤を弾き、米を数え、祭りの設営に奔走した五奉行という官僚たちです。

豊臣秀吉が放つ圧倒的なまでの輝きに翻弄されながらも、彼らは何を守ろうとしたのか。戦国小説の枠組みを借りて、平和という名のプロジェクトの裏側を描写した現代人へのエールとも呼べる作品です。

 

 

戦後処理という名の戦い:算盤と知恵で乱世を終わらせる

本作の最大の魅力は、歴史の教科書では数行で片付けられてしまう「北野大茶会」や「太閤検地」を、「計画・設営・運営」の視点から描き出したところです。現代のビジネスシーンに置き換えると、なかなか無茶な要望で胃が痛くなるような状況だと思います。

秀吉が、「一千人を集める大イベントをやる。場所も予算も準備期間もないが、お前たちで何とかしろ」と突然言い出すわけです。

石田三成をはじめとする奉行たちは、まさにブラックな職場のプロジェクトマネージャーです。彼らが直面するのは敵軍の刃ではなく、絶望的な納期と予算不足、そして前例がないという乗り越えがたい壁なのです。

彼らはただ命令をこなしているわけではありません。秀吉の命令を成功させることが、戦なき世への第一歩だと信じています。その純粋な情熱が、事務作業という地味な営みに命を吹き込んでいます。

こうした裏方の苦労を読ませる際の筆致は驚くほど具体的です。たとえば、設営に必要な資材の調達や押し寄せる群衆の導線確保など、まるで現代のイベント制作会社の打ち合わせを覗いているような臨場感があります。

歴史を動かすという大仰な言葉の裏側には、名もなき工夫や地道な根回し、そして睡眠時間を削った実務が積み重なっている。その当たり前の事実に光を当てたことが、本作を唯一無二の作品にしています。

華々しい戦国の世の陰には、誰がトイレを設置し、誰が弁当の手配をしたのか。そんな視点で歴史を捉え直すと、歴史の人物たちが身近な仕事仲間のように思えてくるから不思議です。

特に、長束正家の章で見せる数字を通じた心理戦は、読んでいて手に汗を握ります。一石の誤差、一筆の書き込みが国家の命運を左右する。その緊張感は、城門を突破する武将の勢いにも勝る熱量があります。

派手な合戦シーンはありませんが、帳簿を舞台にした頭脳戦はどんな斬り合いよりもスリリングです。

検地のごまかしを暴こうとする正家の眼光は単なる税収確保のためではなく、国の公正さを守るための戦いです。武力で支配する時代を終わらせ、確かな数字で民を治める時代を作っていく。正家の戦いには、制度を構築するプロフェッショナルの誇りが宿っています。

彼らの内面には、組織の不条理に耐え、それでも仕事を完遂しようとする矜持を感じます。平和とは、こうした泥臭い調整の積み重ねでできているのだと改めて気づかされます。

 

石田三成の不器用な正義と五葉を彩る男たち

冷徹な官僚として描かれがちだった石田三成の造形も新鮮です。本作の三成は、理想が高すぎるゆえに周囲と摩擦を生んでしまう青臭くも純粋な人間として描かれています。

「正論だけでは世の中は動かない」

そんな当たり前の現実に目の前に悩み、少しずつ人間味を獲得していく姿には深い愛着を感じます。彼が孤独な官僚から、一人の人間へと成長していく過程は、本作の情緒面における最大の魅力です。

三成が少しずつ周囲に心を開き、効率だけでなく人の情を学び取っていく姿に魅力を感じます。頭では完璧な理屈を組み立てていても、現場の熱量や人の心の複雑さに触れるたび、彼は自問自答を繰り返します。この未完成さこそが、読者が彼に自己を投影できる最大のポイントです。

一方、浅野長政が見せる現場でのトラブル対応の巧みさや人間関係の火種を消して回る苦労も、三成の硬質さと対照的で実に味わい深い。

奉行たちは決して一枚岩ではありません。時には反発し、時には呆れながらも、心の底では互いの専門性を認め合っています。プロ同士の連帯感が殺伐とした戦国という時代の背景の中で、清涼剤のような爽やかさを届けてくれます。

一方、作品全体のバランスとして、登場人物の描写の密度に濃淡がある点は気になります。三成や正家、あるいは浅野長政の章では、個人の内面と歴史の事件が鮮やかに噛み合っています。

しかし、増田長盛や前田玄以に主眼が置かれる章では、彼ら自身の葛藤よりも、出来事の推移に比重が置かれている印象があります。

タイトルが「五葉」なので、五者五様の葛藤がもっと対等な熱量で描かれてほしかった気もします。

連作短編である以上、どうしても一章ごとの完結性が優先されます。五人が横に繋がって一つの壁に立ち向かうシーンがやや控えめだったのは、仕方ないのかもしれません。

しかし、それぞれの章を一人ひとりの職人たちの物語として見れば、この独立性は有効とも言えます。

それぞれの職能を象徴する五枚の葉。それらが重なることで、豊臣という巨大な樹木が支えられています。その構造自体が、当時の政権の輝きを象徴しているようにも感じられます。

均等ではないことこそが、人間が集まって組織を運営する面白さだと言えるのでしょう。

 

秀吉の光と影:システムに殉じた男たちの孤独

豊臣秀吉は、無理難題を突きつける絶対的な権力者という定型的な役割に徹しています。これが非常に面白いストレスの源として機能しています。

この秀吉の描き方が、奉行たちの苦労を際立たせる壁になっているのは確かです。しかし、物語を深いドラマへと変貌させるには、さらなる踏み込みが欲しかったという気もします。

秀吉の不可解な命令の裏にある苦悩や老いゆく権力者が抱える孤独がもっと描かれていたらどうだったでしょうか。奉行たちがなぜ彼に心酔しているのか。なぜ命を削ってまで仕え続けたのか。その納得感がより強固になったと思います。

たとえば、秀吉が突飛な命令を下す瞬間の狂気と紙一重の冷徹な計算がもっと見えていれば、奉行たちが抱く恐怖はより複雑なものになったでしょう。

秀吉は、自分たちを抜擢してくれた恩人であると同時に、いつ自分たちを使い捨てるか分からない底の見えない存在です。その緊張感の中、秀吉という個人のためだけではなく、秀吉が作ろうとしたシステムのために命を懸ける道を選んでいきます。

主君が老い、壊れていく中で、奉行たちが抱いたであろう寂寥感や愛憎の入り混じった複雑な心情。それをもっと色濃く描写できれば、官僚たちの忠義は、読者の胸をいっそう激しく揺さぶったのではないでしょうか。

怖い上司に従うだけではなく、その狂気すらも平和への近道だと信じる危うい信頼関係。秀吉の気まぐれに翻弄される中で、奉行たちが抱く憎悪と愛着が混ざり合った複雑な心理。これらがあれば、物語の奥行きはさらに広がったでしょう。

しかし、あえて秀吉を遠い存在として描くことで、現場で働く奉行たちの孤独な戦いがより際立っていることも否定できません。

そうはいっても、全体を通して感じるのは裏方への愛です。戦うことよりも、治めることの方がはるかに難しい。その真理を情緒豊かに、かつ論理的に描き出しています。

短編が集まったからこそ見えてくる歴史という名の襷が繋がれていく瞬間には、派手さはないけれど、じんわりと胸を打つ感傷がありました。

彼らが心血を注いだまつりごとが、秀吉亡き後の世界でどのように形を変えていくのか。その決意が心に深く沈み込みます。

この静かなクライマックスこそ、合戦シーンで終わる一般的な歴史小説にはない気高い到達点だと言えます。

 

終わりに

『五葉のまつり』を読み解くことは、働くということの意味を再定義する作業に似ています。

誰もが主役になりたいと願う世の中で、あえて支える側に徹し、自分の名前よりも成し遂げた仕事を歴史に残そうとした五奉行たち。効率や成果ばかりが求められる現代社会において、プロフェッショナルとしての真の美学とは何かを問いかけます。

もちろん、連作短編ゆえの物足りなさや人物描写の偏りなど、批評的な視点で見れば気になるところもあります。しかし、それらを補って余りあるのは、裏方への深い敬意です。

戦国の世を、血ではなく、帳簿の墨の色と桜の淡いピンクで描き出した本作は、歴史小説の可能性を示しています。

私たちの生きる現代社会も、誰かが準備し、誰かが調整し、誰かが計算したまつりの舞台なのでしょう。窓の外に広がる当たり前の日常を支えるために、現代の五奉行たちが頭を抱え、キーボードを叩いて、奔走しているのかもしれません。

そんな名もなきプロフェッショナルたちに温かい光を当てるような作品です。

読書っていいものですね。