読み終えても迷う『鳩の撃退法』|事実とフィクションの境界が崩れる二つの事件:MANPA Blog

ごきげんいかがですか。まんぱです。

小説より先に映画を観ました。全く予備知識なしで観たのですが、思いのほか面白かったです。

キャストも豪華ですが、特に主人公を演じた藤原竜也が目立ちます。あの独特の危うさが、津田伸一のイメージにぴったりです。

小説のジャンルはミステリーです。単行本で上下巻、合わせてほぼ1000ページ近い長編です。

主人公は元小説家の津田伸一。現実の出来事と彼が書くフィクションが混ざっています。何が事実で、何が創作なのか。読み進めるほどに謎は深まります。ページをめくる手が止まらないのも無理はありません。

 

 

事実と創作

津田伸一は元小説家です。表紙をめくると、次の注釈があります。

「この物語は、実在の事件をベースにしているが、登場人物はすべて仮名である。僕自身を例外として。 津田伸一」

この「物語」は、本書全体を指しているのでしょう。

本作の著者は佐藤正午です。なので、津田伸一も当然架空の人物ですが、津田の視点で津田が書いていることを宣言しています。

小説では、津田がいない場所の出来事も描かれます。津田視点だけでは描けないからです。物語として成立させるためには、佐藤正午の視点で全体を見渡す必要があります。津田伸一がいない場所でも物語は動くからです。

読者のために、津田伸一がいない場所は第三者的視点で書くのが一般的です。ですが、佐藤正午は津田の視点に落とし込みました。謎を深める仕掛けです。

「僕自身を例外として」とあるので、津田が直接経験したことは事実として信頼できます。でも、津田がいない場面は創作です。ありえたことと考えればいいのでしょう。

実在の事件をベースにしているとは、過去の事実や起こりえたことを組み合わせて描くことです。事実と創作が混ざることで、実際に起こったこととありえたことの境界は曖昧になります。

読者は描かれた状況や台詞を現実の出来事のように感じます。津田自身も、どこまでが事実でどこからが創作かを明確にはしていません。これは佐藤正午の意図で、読者を翻弄するための仕掛けかもしれません。

単純に考えれば、津田がその場にいた場合は事実でしょう。でも、津田がいる場面でも創作が混ざっているかもしれません。実在の事件をベースにしているという表現は、事実と創作の境界を曖昧にし、読者を引き込むための工夫です。

本作はそもそも全てフィクションです。その中に、元小説家という津田伸一を登場させます。彼を実在人物と仮定して物語を書かせることで、事実と創作の境界を揺らしています。

実在の事件ではないので、佐藤正午は自由に事件を作れます。どれを事実にして、どれを創作にするかも著者次第です。境界線は非常に曖昧で、読者も自然に混乱します。注釈は、読者に謎を深めさせるための仕掛けです。

 

ふたつの事件の謎

物語は二つの事件を軸に動きます。

一つ目は「家族三人失踪事件」です。幸地秀吉と家族が突然姿を消します。津田は失踪直前、ドーナツショップで秀吉とわずかに会話しました。津田と秀吉の接触はドーナツショップでの会話のみです。それ以外は津田の創作でしょう。

二つ目は「偽札事件」です。房州老人が津田に残した遺産に含まれた偽札が発端です。そこから事件が起こります。偽札事件は津田が直接経験しており、事実が多く含まれます。ただし、津田のいない場所での出来事は、ありえた事実として描かれています。

二つの事件は、一見すると無関係です。しかし、共通人物の倉田健次郎が絡むことで複雑に結びつきます。

倉田の名前は、津田が以前勤めていたデリヘルの社長から聞いています。社長の怯えぶりからも尋常でないことがわかります。偽札事件にも深く関わっています。秀吉とはどう関わるのでしょうか。

ここから事実と創作が入り混じります。津田は秀吉のことをほとんど知りません。だから、ほとんどが創作だと思われます。

ただし、秀吉と倉田は古くからの友人ということになっています。ふたりが登場するシーンは多く描かれています。津田がいない場面なので創作ですが、ありえた事実として提示されています。

津田が見聞きした事実としては、バー「スピン」で秀吉と倉田の関係を聞いた場面があります。さらに、偽札事件への倉田の関与も確認しています。こうして二つの事件が無関係とは言えない状況が生まれます。

倉田にとって偽札事件は計画外です。秀吉の失踪と重なり、小説家の津田は想像力を最大限に働かせます。

「家族三人失踪事件」の主役は秀吉。「偽札事件」の黒幕は倉田健次郎です。両者の関係が明らかになると、ありえた事実の幅は広がります。逆に一つに絞られることもあります。

その結末を追うのが津田の役割であり、読者が求める謎解きでもあります。津田は、自身の望む結末を書くことで、現実に小説を上書きするように物語を操ります。

 

残る謎

長編を読み終えても、違和感や謎は残ります。津田は事件の全てを見通しているわけではありません。創作による物語ですから、全てを説明できるわけではないのです。謎が残るのは当然でしょう。あるいは、私の読解力の問題かもしれません。

まずは、房州老人が残したお金と偽札の枚数です。津田が受け取った総額は3403万円。
徹夜で勘定したので、間違いないでしょう。一方、倉田が用意した偽札は3万円と推測されます。これは秀吉が預かる予定だった封筒に入っていた額です。

最初の偽札事件は房州老人が使用した1万円です。手元に残ったのは2枚の偽札2万円です。津田が手に入れた3403万円のうち、偽札は2万円です。

その後、津田は1枚の偽札を使用します。残る3402万円のうち、残っている偽札は1枚だけです。

3301万円は銀行を経由して寄付されます。差額の100万円の説明は省きますが、これは真札です。となれば、房州老人は3401万円の遺産に2枚の偽札を加えたものを津田に残しています。

この中途半端な端数は何を意味するのか不明です。もしかしたら、私が何か見落としているのかもしれません。

もう一つの謎は、晴山次郎と共に死体で発見された若い女性です。彼女の正体は明示されません。スピンの従業員・佐野ではないかと思いますが、正解は示されません。

 

終わりに

長編ですが、一気に読めるくらい引き込まれます。時間軸は前後するので、一見わかりにくいですが、少しずつ全体像が見えてきます。その全体像も、津田が経験した事実と創作したありえた事実が混ざったものです。

映画を先に観ていたので、読みながら藤原竜也の顔が浮かびます。津田伸一と藤原竜也の間に違和感はありません。キャスティングの妙に感心します。

長編を映画に落とし込む完成度も高いです。細部は小説と違うところもありますが、どちらも十分に楽しめます。

読書って本当にいいものですね。