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『ひと』:小野寺 史宜【感想】|たった一人になった。でも、ひとりきりじゃなかった。

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 2019年本屋大賞第2位。人との繋がりを描いた作品です。

 生きていく上で大事なものはいろいろありますが、人との繋がりもそのうちの一つです。誰にも関わらず、たった一人で生きていくことは難しい。一人で生きていると思っている人も、多くの人の支えがあることに気付いていないだけではないでしょうか。家族の繋がりは多くの人にあるでしょうし、それも繋がりのひとつです。好ましいものかどうかは別にしてですが。

 柏木聖輔は家族の繋がりを永遠に失います。友人たちがいるので完全に孤独になってしまう訳ではありませんが、大きな繋がりを失ったことは事実です。一人で生きていかなければならないと思い込みます。

 物語は、母の突然死と大学の中退から始まり、「おかずの田野倉」でのバイトへ繋がり、新しい日常が描かれていきます。何気ない日常の中で、人との繋がりはあまり意識しません。当たり前のように存在しているから大事なことだと気付きにくい。

 日々過ぎていく日常の中で、いつ、どのようにして気付いていくのか。誰もが聖輔を助けてくれる訳ではありません。人間関係は冷酷な部分もあります。暖かい部分とそうでない部分を対比することで、真に素晴らしい繋がりが見えてきます。

 誰もが濃密な人間関係を求めているとは限りません。一人は気楽かもしれませんが、気楽以上の何かが人間関係の中に潜んでいると思います。 

「ひと」の内容

母の故郷の鳥取で店を開くも失敗、交通事故死した調理師の父。女手ひとつ、学食で働きながら一人っ子の僕を東京の大学に進ませてくれた母。――その母が急死した。柏木聖輔は二十歳の秋、たった一人になった。全財産は百五十万円、奨学金を返せる自信はなく、大学は中退。仕事を探さなければと思いつつ、動き出せない日々が続いた。そんなある日の午後、空腹に負けて吸い寄せられた商店街の総菜屋で、買おうとしていた最後に残った五十円コロッケを見知らぬお婆さんに譲った。それが運命を変えるとも知らずに……。  

 

「ひと」の感想

人で生きること

 一人で生きることは金銭的な側面と精神的な側面があります。どのような意味であろうと社会で生きていく限り、誰かと関わらずに生きていけないし、関わるべきだと思います。聖輔は東京の大学に進学し、一人暮らしを始めています。友人ができるまでは一人ですが、それは本当の意味での一人ではありません。母の存在があり、いずれ友人もできます。

 母が突然死したことで、聖輔は一人で生きていくことになります。その意味は、経済的な側面が大きい。だからこそ大学を中退します。多いとは言えませんが、聖輔には友人もいます。しかし、友人との繋がりだけでは食べていけません。誰かに世話になり続けこともできないし、そもそも世話になる相手もいません。

 聖輔の憂鬱は、母の喪失と先行きの不安です。甘えて生きてきたことを、母の苦労と死で実感させられます。失って初めて気付いた後悔は手遅れでしかありません。それでも生きていくためには糧が必要です。現実は待ってくれません。

 財布の中身を思い浮かべながら歩く姿が現実的な問題を描いています。すなわち空腹です。最初に考えなければならないことは経済的な自立です。経済的自立のために、大学は必須ではありません。大学を中退しても未来は閉ざされません。聖輔が動けない理由は母の死のショックもあるでしょうが、何をすべきか途方に暮れていることも大きいい。何の準備もないところに、二つが一気に襲い掛かってきます。私自身の身に置き換えると、必ずしも聖輔が甘えていると思えません。

 

会いと再会

 聖輔にとっての繋がりは三つあります。

  1. 剣たちとの友人関係
  2. おかずの田野倉との出会い
  3. 青葉との再会 

 

剣たちとの友人関係 

 大学を辞めれば疎遠になりそうですが、それは聖輔や剣たちの気持ちの問題です。剣たちとの繋がりがあることで聖輔は支えを得て、心のバランスを取れてきたのです。

  

おかずの田野倉との出会い 

 「おかずの田野倉」の店主「田野倉」の行動は特別なものではありません。いかにも商店街の商売人といった雰囲気です。問題は聖輔の受け取り方です。聖輔は運命的なものと感じたのかもしれません。単なる値引きと求人が組み合わさっただけに過ぎないが、聖輔の気持ちと感情が重要です。同じ行動でも受け取り方次第で違ったものになります。

値引きに対して、単に儲けたと思うか、温かみを感じるか。

 アルバイト募集に反応した理由は、他人の情を感じたからかもしれません。少なくとも、聖輔はそのように感じたはずです。なかなか働かなかった聖輔が働く決心をしたのは、田野倉の態度に影響されたからです。

 田野倉に自身の境遇を話しているのも、田野倉に特別なものを感じたからでしょう。その上で聖輔を特別扱いしないことが田野倉らしい。聖輔は大人だし一人で生きていかなければならないのだから、特別扱いする必要はありません。気の毒な状況ですが特別な援助をすべきでないですし、その方が聖輔のためになると思っているのでしょう。基本的に人情味があるから温かく感じます。

 田野倉の従業員もいい人ばかりです。いい人の基準はなかなか難しいですが。映樹の要領が良いが憎めない性格は持って生まれた性質かもしれません。要領が良い人は、時に敵を作りやすい。同じことをしていても許されない人もいます。悪い人ではないが紙一重の性格です。一美は離婚して一人で子供を育てています。金銭的にも大変だし、一人での子育ても大変です。

 彼らは極めて普通です。あまりの悪意のなさが普通ではない気もしますが。職場で自身の境遇を話すことは親しくなってからが普通なので、最初は仕事上の付き合いを超えてきません。田野倉の雰囲気が家族的だから、聖輔も徐々に田野倉に馴染み、それぞれの状況を知っていきます。映樹の彼女の登場は出来過ぎな感もありますが。彼氏の職場に謝りに行く恋人がいるだろうかと思ってしまいます。 

 

青葉との再会 

 地元から遠く離れた東京で青葉と再会します。これも出来過ぎな印象を受けますし、彼女が聖輔にとって特別な存在になっていくのも都合の良さを感じます。青葉の行動が、単に同窓生というだけには見えません。彼女にも友人関係があり、生活がありますがあまり見えてきません。聖輔と距離を縮めていきますが、彼女の気持ちはどこにあるのでしょうか。

 聖輔が青葉のことを好きになっていくことは想像できます。二人の関係はいい部分しか描かれません。彼女は自身の悪い部分も披露しますが、自身の短所を短所として気付いている時点で短所ではない気もします。都合の良い登場と聖輔との関係性の構築がスムーズ過ぎて違和感があります。

 田野倉の従業員は個性があり人物が見えやすい。青葉は見えてきません。表層的な部分は見えますが、彼女の心の内がどこにあるのか。彼女の意義は、異性の存在だということでしょうか。

 

常は進んでいく

 大学生の聖輔の日常は、母の死で突然変わります。それでも日常は進み、繰り返します。田野倉で働いている聖輔はフリーターです。ただ、聖輔には調理師になるという目標があります。何かを目指して生きることは特別なことではありませんが、大学生だった頃の聖輔には持ちえなかった目標です。彼の人生が、彼自身の意思で進み始めます。

 秋から始まり冬、そして春を過ぎ、夏までの物語です。日常は日常として進みます。自分自身も他人も全く変化のない日常はありません。田野倉で働きだしてからの聖輔は新しい日常を踏み出します。映樹は結婚と子供。一美は子供の成長。誰もが日常を変化させていきます。

 田野倉も店の存続の問題を抱えています。誰もが日常の変化の中で生きています。聖輔は青葉と再会し、徐々に日常が変化します。女友達と出掛け、意識し始め、好きになっていくことは普通のことです。普通のことができるかどうかで、彼の日常の変化を表しています。

 人との関係性の中で人は生きています。関係性は一定ではなく、常に変化しています。一人で関係性は築けません。誰かとの間で生まれてくるものであり、変わっていくのは必然です。状況だけでなく心の問題も大きく影響します。

 日常は小さな出来事の積み重ねです。登場する人たちは小さな出来事を積み重ねた日常を過ごしており、特別な人間はいません。だからこそ読みやすい。未来を感じさせる人が多いのも気持ち良さの一つです。

  

の二面性

 社会はいい人ばかりではありません。親戚の基志と青葉の元カレの高瀬涼が悪意の象徴です。自覚している悪意と自覚していない悪意の両者を表現しています。

 基志はどうしてあのような行動を起こしたのでしょうか。もちろんお金に困っているからですが、その理由は描かれていません。そこまで追い詰められている理由は何なのか。基志の生活が見えづらいので、彼は聖輔に対する悪意のためだけに存在しているように見えます。基志の生活や背景を詳細に描く必要はないと思いますが、基志を通じて感じるのは人の醜さだけです。不自然さを感じます。

 高瀬涼は気持ち良さのない人物ですが悪人ではありません。彼の性質に過ぎません。受け取り手が許容できるかどうかです。映樹も仕事をさぼり、聖輔に押し付けることもあります。それでも許されるのは、その人の持つ雰囲気に加え、受け取る側の感覚の問題です。

 善意と悪意を登場人物で表現しています。人の繋がりの中で善意と悪意は重要です。だからと言って、善意の人と悪意の人を分けてしまうのは無理があります。人は二面性を有していて、一人の人間の中に善と悪があります。意識的か無意識的かは別にしてですが。

 田野倉の人たちの中にも悪意の部分があり、基志や涼の中にも善意の部分があるはずです。極端に二分したことにより、どちらも現実感が薄れます。あくまで聖輔から見た人々の印象ということで描かれているのだとしたら、聖輔は人の深みを理解していないことになります。聖輔自身にも二面性があるはずです。悪意の作り方が極端すぎて違和感があります。

 

終わりに

 何気ない日常の中の人との繋がりを描いています。田野倉で働く人々の裏表のない心の有り様に気持ち良さを感じる一方、出来過ぎな感も拭えません。聖輔の周りには二極化された人たちが集まり、悪意を感じさせる人たちはことごとく追い払われていきます。スムーズに進む展開は安心感がありますが、意外性を感じさせません。

 感動する物語ですが、感動させようという意図も見え隠れします。一度、そのように感じてしまうと冷めてしまいます。