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『星の子』:今村 夏子【感想】|一緒に信じることが、できるだろうか。

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 こんにちは。本日は、今村 夏子さんの「星の子」の感想です。 

 

 第157回芥川賞候補であり、2018年本屋大賞第7位の小説です。主人公「ちひろ」の視点を通じて、家族の在り方・新興宗教・友人関係の中で、彼女自身の変化が描かれています。

 小学生から中学三年生までは、まだまだ世間を知らない年代です。それでいて徐々にではあるが、いろいろなことを知っていく時期です。家族だけでなく、学校というコミュニティにも属します。変化を止めることはできません。ちひろの一人称で描かれる物語は、あくまで子供から見た世界です。しかし、子供の考えることだからこそ、先入観なしに周りを受け止めることができるのだろう。

 芥川賞候補らしく、著者の真意を読み取るのが難しい。単純に読み進めるだけでは、全てに納得できる結末を読み解くことができなかった。また、人によって解釈の仕方はかなり変わるだろう。  

 「星の子」の内容

林ちひろは、中学3年生。出生直後から病弱だったちひろを救いたい一心で、両親は「あやしい宗教」にのめり込んでいき、その信仰は少しずつ家族のかたちを歪めていく…。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「星の子」の感想 

親と新興宗教

 親は子供が苦しむ姿を見たくない。苦しみを取り除いてあげたいと心から願います。幼いちひろの身体が弱かったことは、両親の心を苦しめ、弱らせていきます。そして両親を新興宗教に走らせます。

 「金星のめぐみ」と称する特殊な水が、ちひろの身体を回復させます。どんなことをしても治らなかったのだから、彼らにしてみれば奇跡に感じたに違いありません。信頼する会社の人から勧められたことも信じる要因だっただろう。一度信じると疑うことはできなくなります。

 冷静に考えれば、身体を治す特殊な水などない。濡らしたタオルを頭に乗せることで、何らかの効果をもたらすのも考えられません。ちひろの身体が回復したのは偶然だろう。もし治らなかったとしても、悪化しないのは金星のめぐみのおかげだとでも言ったかもしれません。

 信仰心をどこに向けるのかは、その人次第です。既存の宗教だけが正しく、新興宗教の全てが怪しいということはないだろう。しかし、信者を獲得し、金銭を吸い上げることを目的にしている新興宗教があるのも現実です。

 登場する新興宗教が、ちひろの親からお金を出させている描写はありません。しかし、彼らの住む家が小さくなったり、着ているものが貧相になっていくのは、お金がなくなっている証拠です。それでも両親は全く疑問に感じていません。むしろ満足しています。信じていない人を可哀想だと思っているかもしれません。

 両親がここまで信じこんだきっかけはちひろですが、その後は集会や合宿に参加することで洗脳されたのだろう。洗脳という言葉が適切かどうかは分かりませんが、両親の行動は理解しがたい。しかし、新興宗教に傾倒していく姿はこんなものなのだろう。子供は何よりも大事なのだから。 

 

しさと疑い

 両親はもはや怪しさも疑いも抱きません。それが信じるということです。しかし、周りから見れば、両親の行動はあまりにもおかしい。彼らが信じる金星のめぐみや宗教も怪しさを隠せません。

 伯父の雄三がちひろの両親の目を覚まさせようとするが、信仰を捨てさせるのは容易ではありません。言葉で説明しても納得しないだろう。金星のめぐみでちひろが回復したのを事実と信じているのだから、いわば奇跡を目撃しています。

 雄三が金星のめぐみを全て水道水に入れ替え、効果を否定します。水道水でも効果があったと両親に言わせることで、金星のめぐみの無意味さを身をもって知らしめようとします。しかし、信じているというのはなかなか手強い。両親の反応は新興宗教を信じる者の典型的な反応かもしれません。都合の悪いことは、理屈でなく感情で否定します。

 ちひろの姉も、両親が新興宗教を信じていることに嫌悪を示しています。両親を変えようと努力するのではなく、家出をして両親から離れようとします。両親に見切りをつけ、捨てたのだろう。

 両親はちひろをきっかけに宗教に入り込んだ。ちひろの親でない者から見れば、宗教の怪しさは一目瞭然です。金星のめぐみの胡散臭さも際立っています。怪しさを感じれば疑いが生じます。疑いがあれば信じることはできません。

 一片の疑いも抱いていない者に疑いを抱かせるのは至難の技だろう。だからこそ、現実の世界でも新興宗教による被害がなくならない。 

 

ひろの立場

 ちひろは家庭と学校の両方に属しています。新興宗教を盲目的に信じている特殊な家庭と学校という一般的な環境です。両者はあまりにも状況が違います。それでいながら、ちひろはどちらも受け入れています。

 ちひろが小学生と中学生の時の話なので、まだまだ自分の考えが確立していません。家庭や両親のことを積極的に話すこともないから、クラスメイトや教師から両親を批判されたりすることもほとんどないだろう。それでも、ちひろの家庭環境を知っているものはいます。また、他の子供たちを見れば、自分の家庭が普通でないことは分かります。 

 ちひろは他の家庭を否定することもなく、両親がおかしいとも考えません。両親が新興宗教にのめり込んだ理由は他ならぬちひろ自身です。実際、ちひろの体調は改善しました。そのことが、両親の気持ちを理解させるのかもしれません。また、新興宗教に対する知識もありません。

 金星のめぐみを紹介した落合さんは優しく、いろいろなものをくれます。また、集会に行けば海路さんや昇子さんと言った信頼できる大人がいます。ちひろが彼らを否定するには、あまりに物事を知らない。

 一方、クラスメイトたちを否定する理由もありません。彼らの多くはちひろが関わっている新興宗教のことを詳しく知りません。知らない人間の批判や意見は仕方ないと思っているのだろう。物事を知らない人間に対しては寛容になるか、諦めを抱くか、怒りを抱くかです。

 しかし、物事を知らないままで生きていくことはできません。成長とともにいろいろなことを知っていきます。周りの意見や自身の環境の変化の理由を考えます。いつまでも同じものを見続けることはできません。一度知ったことは消すこともできません。それが生きるということです。ちひろも徐々に知っていきます。知らなかった頃に戻ることはできない。 

 

終わりに

 両親とともに星空を見上げ、流れ星を探すシーンで終わります。両親とちひろは、同じ流れ星を見ることができません。同じ場所・時間を共有しながらも、別のものしか見えない。

 三人は同じ流れ星を見ようと努力し続けます。しかし、一度見えなくなると二度と見れないのだろう。意識しているかどうかは別にして、成長し物事を知っていくということは違う価値観になっていくということです。三人で星空を眺める結末は幸せそうに見えます。しかし、本質的には幸せではなくなっているのかもしれません。