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『犬がいた季節』:伊吹 有喜【感想】|18歳。その迷いも覚悟も希望も。

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 こんにちは。本日は、伊吹 有喜氏の「犬がいた季節」の感想です。

 

 2021年本屋大賞第3位。6つの物語で構成される連作短編集です。

 八稜高校に飼われることになった白い犬「コーシロー」の目を通して描かれる高校生たちが主人公です。昭和63年から平成12年までを5つの短編で描き、最終章は令和元年です。昭和が終わり、20世紀が終わり、平成が終わって令和の始まります。時代が移り変わっていく中で、何が変わり、何が変わらないのか。高校生たちの視点と行動とコーシローの目を通して描かれていきます。

 舞台になる三重県四日市市にある進学校やコーシローは、著者の母校とそこに実在した犬がモデルになっています。高校で犬が飼われているのはあまりないことですが、著者が実際に経験したことだからこそ現実感を持って状況が伝わってくるのだろう。

 四日市市の風景やその時代の流行や事件などが描かれることで、当時を思い出させます。流行した音楽は特に時代の雰囲気を伝えてきます。著者も各短編で登場する音楽がエンディングで流れるようにイメージしながら執筆したとのことです。

 高校生を描いていますが、地方の高校生というところが重要なのだろう。高校を卒業する時に様々な決断を迫られます。その中でも地元に留まるか、地元を出ていくかは大きな決断です。希望する進路のために地元を出る必要がある者もいれば、地元を出ること自体を目的にすることもあります。同じように地方都市で育った読者は、自身の高校生の頃を思い出すだろう。また、現在、高校生の読者は自分自身のことのように感じるかもしれません。普通の高校生たちが主人公ですが、普通だからこそ共感できるのだろう。

「犬がいた季節」の内容

ある日、高校に迷い込んだ子犬。生徒と学校生活を送ってゆくなかで、その瞳に映ったものとは―。

最後の共通一次。自分の全力をぶつけようと決心する。18の本気。

鈴鹿でアイルトン・セナの激走に心通わせる二人。18の友情。

阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件を通し、進路の舵を切る。18の決意。

スピッツ「スカーレット」を胸に、新たな世界へ。18の出発。

ノストラダムスの大予言。世界が滅亡するなら、先生はどうする?18の恋…

12年間、高校で暮らした犬、コーシローが触れた18歳の想い―【引用:「BOOK」データベース】

 

「犬がいた季節」の感想 

身大の高校生を描く

 高校生にとって学校と家庭が世界の大半だろう。狭い世界に感じますが、友人関係や家庭環境は生活の中で大きな要素を占めます。また、高校を卒業後の進路は、これからの人生を左右する大きな岐路にもなります。人生全てが決まってしまう訳ではありませんが、そう思ってしまうほどの大きな選択を迫られるように感じるのは間違いありません。

 八稜高校は進学校なので、進学を前提に描かれています。しかし、進学と一言で言っても選択肢は山ほどあります。どの大学に進むか。学部はどうするか。地元に残るか出ていくか。

 目標が明確に決まっている者は、それに向けて努力すればいい。しかし、将来の目標が決まっていない者もいるだろう。決まっていなくても、時期が来れば高校を卒業しなければなりません。何らかの選択をして、卒業後の進路を決めなければならない。

 「第1話 めぐる潮の音」に登場する塩見優花と早瀬光司郎は進路に対するアプローチは全く違います。優花は地元を出て東京に行きたいという思いが最初にあります。一方、光司郎は絵を描くために東京の大学に進学したい。

 優花の方が消極的な選択に感じてしまいますが、高校生で将来のことを明確に決めている方が少ないだろう。何になりたいかが分からないからこそ、将来なりたいものややりたいことをできるように、より可能性のある大学を選ぶことは自然です。大事なのは後悔しないことだけです。目標が明確だと選択に後悔は少ないのかもしれないが、必ずしも思いどおりにはなりません。だからこそ、努力するのですが。

 登場する高校生たちの多くが進路を選択する上で地元を出るかどうかを大きな要素としています。地元を出ることも可能性を広げるひとつの理由です。一方、地元に縛り付けられたくないという思いもあるのだろう。

 地方と言っても、四日市市はそれほど不便な都市ではありません。位置関係や規模はよく知りませんが、名古屋まで通えれば大学の選択肢も多いだろう。また、地元を出るとしても、東京ほど遠くまで行くこともないだろう。

 人生の岐路は何度も訪れます。その大きさや重大性もさらに大きいものが現れます。しかし、高校卒業時の選択は、人生に初めて訪れた大きな岐路です。悩んで結論を出す高校生たちの姿はまさしく等身大の姿です。

 

代の変化と変わらないもの

 第1話から第5話までは、昭和63年から平成12年までのコーシローが生きていた時期を描いています。昭和63年度、平成3年度、平成6年度、平成9年度、平成11年度卒業生がそれぞれの主人公です。

 3年もしくは2年ごとに描かれる時代は劇的な変化はありませんが、それでも社会や情勢は変わります。高校生の服装や流行、興味を抱いていることに加えて、コーシローが年を重ねていくことで時間の流れが伝わってきます。高校生だった優花が20代後半になり、教師として八稜高校に赴任したことにも時間の流れを感じます。

 高校生は多感な年頃だから、時代の変化に敏感です。3年ならば差はあまり感じないしれないが、10年ほどの差ならばかなり考え方も変わっているだろう。しかし、全ての短編に通じているのは、彼らが様々なことに悩んで結論を出そうと努力していることです。

 高校生の世界は狭いが、悩みは深い。むしろ狭い世界だからこそ人間関係に悩みます。進路を決める時に自分の力だけで生きていけない不自由さも思い知るのかもしれない。時代がどれだけ変化しても、高校生としての悩みはあまり変わらないのかもしれません。人によって違いがあれども、年代差の違いはあまりないのだろう。

 コーシローが見続けているのは、常に高校生です。顔ぶれは変わっても、同じ年齢の学生たちです。高校生には高校生の悩みがあります。高校という瞬間だけに抱くものがたくさんあるのだろう。コーシローにとっては、毎年同じような悩みを抱いているように見えるだろう。しかし、同じだからこそ普遍的な悩みと言えます。誰もが経験する通過儀礼なのだろう。 

 

実とのオーバーラップと共感

 各短編には、当時を思い出させることがいろいろ描かれています。昭和63年から平成11年に高校生だった人は、現在、40歳代です。その年代の人は、第1話から第5話のどこかで自分自身が高校生だった頃を思い出すだろう。

 著者が執筆する時に意識した流行歌も思い出させる理由のひとつです。第2話で描かれたF1もすごい人気でした。夢中になっていた高校生も多いはずです。自転車で観戦に行く気持ちも分かります。

 また、阪神・淡路大震災を経験した人は、当時の苦しい思いや身内を失った悲しみを新たにしただろう。現実に起きた出来事が登場することで、自分が高校生だった頃を思い出します。当時の自分の心情や思いがよみがえる。高校生の気持ちになるからこそ、登場人物たちに共感するのだろう。

 同じような地方都市に住んでいたならなおさらです。高校生が抱く悩みは時代が違ってもあまり変わらないと書きました。自分が高校生だった頃に引き戻され、自分が抱いたのと同じような悩みを抱いている姿を見れば共感しない訳がありません。登場人物の誰かに自分自身を重ね合わせるのは自然なことだろう。 

 

終わりに

 第5話から最終話までには20年経過しています。各短編で登場した高校生たちも大人になっている。彼らのその後が満たされてものであることが読んでいて嬉しくなります。

 優花と光司郎が再会し、ようやくお互いの気持ちを分かち合います。2人が人生をともに歩むまでに多くの時間を必要としましたが、それでも結ばれたことに読後の感動と気持ち良さがあります。