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『きみにしか聞こえない』:乙一【感想】|彼女たちの苦しみは救われたのだろうか

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 乙一作品を読むのは、本作が初めてです。表題作を含む3篇の短編です。短編の中でも、かなり短い部類に入ると思います。登場人物は少なく、それほど複雑なストーリーでもありません。それぞれの短編に関係性がある訳でもないので、読み応えはそれほどないと感じます。感動的で涙を誘うようなエンディングに持っていこうとする著者の意図が読み取れてしまう部分もあります。

 どの物語も現実の世界を舞台にしていますが、設定はファンタジーの要素を多分に含んでいます。ファンタジーと登場人物たちの現実的な不幸や恵まれていない環境を交錯させ、物語を紡いでいく。彼らの心象を描いていく。共感できれば、きっと引き込まれていくのでしょう。各短編ごとの感想を書いていきたいと思います。 

「きみにしか聞こえない」の内容

私にはケイタイがない。友達が、いないから。でも本当は憧れてる。いつも友達とつながっている、幸福なクラスメイトたちに。「私はひとりぼっちなんだ」と確信する冬の日、とりとめなく空想をめぐらせていた、その時。美しい音が私の心に流れだした。それは世界のどこかで、私と同じさみしさを抱える少年からのSOSだった…。【引用:「BOOK」データベース】

「きみにしか聞こえない」の感想

Calling You

 私が高校生の頃は携帯電話もスマホもない時代でした。なので、高校生にとって携帯電話がどれほどの価値を持つのかは想像するしかありません。単なるツールに過ぎない携帯電話が、彼女たちの人間関係にどれほどの存在感を示しているのか。携帯電話の有無自体が人間関係に影響を与える側面もある。しかし、それ以上に携帯電話が交友範囲を示し、その人の価値を表しているかのように感じてしまいます。登録されている友人の数が交友範囲であり、携帯を通じて交わされる会話の多寡がその人との友情関係の濃さを表す。

 主人公のリョウは携帯電話を持たないから孤立しているのではなく、孤立しているからこそ携帯電話を持たない。彼女が携帯電話を持てば、携帯電話自体が彼女に孤立していることを突きつけてくる。だから持たない。彼女の孤立はいじめによるものです。特定の人間を孤立させる行為は、いじめに他なりません。 

携帯電話を持てば、彼女がいじめにあっていることを明確に示すことになります。

 しかし、彼女が孤立から救われることになるのも、頭の中の携帯電話によってです。携帯電話は道具に過ぎないことを表現しているのだろうか。使い方次第で、持ち主にとってプラスにもマイナスにもなる。要は、自身の受け止め方次第だということでしょう。

 頭の携帯で連絡を取り合っていたのは、たった2人だけです。彼女にとって完全な孤立から解放されたことは、彼女の人生の救いです。その2人との関係に時間の前後という仕掛けを施しているのは、結末に向けての伏線です。結末は早々に予想できますし、ほぼ予想どおりの結末です。

  • 果たして彼女が現状から救われたのか。
  • 何故、未来の彼女は黙っていたのか。

 謎に包まれている部分は多い。読者の解釈に委ねられているのでしょう。切なく感じさせるエンディングを意識して組み立てられているようで、少し白けてしまいます。 

ーKIZ/KIDS

 小学生が主人公の割には、小学生らしさをあまり感じません。彼らが特殊な環境の中で育ってきたということを加味しても、小学生離れしています。特に、傷を引き受ける能力を持ったアサトの自己犠牲の精神と忍耐力は、まるで聖人のようです。子供らしさを感じない。主人公の「オレ」の方が、自分のことを中心に考えている分だけまだ小学生らしい。

 虐待や差別や家庭環境の不遇など、社会的な問題を提起している側面もあります。取り立てて新しい見方を示したり、ハッとするような見解があったりする訳ではありませんが。

 そんな中、彼らが手に入れた特殊な能力が彼らを変化させたのでしょう。「オレ」は自分たちのために使おうとします。小学生としては妥当な考え方です。使い方によっては、自身の力では変えれなかった世界を変えることができるかもしれない。それほど有効な力でないとしても、人にない力を手に入れれば効果的な使い方を考えるものです。それも自分自身のために。彼の考え方には共感できます。

 しかし、アサトの行動は違和感を感じます。果たして小学生が、他人の痛みを引き受けることが出来るだろうか。彼の行動の動機は、一体どこにあっただろうか。存在を認められない世界から消えるつもりで他人の傷を道連れにしたのならば、矛盾を感じてしまいます。

  • 存在が許されない世界に恨みはないのだろうか。
  • その世界の痛みを引き受ける必要があるのだろうか。

 彼の行動は尊い自己犠牲に見えます。しかし、小学生に過ぎないアサトにそこまでの覚悟が果たして出来るのだろうか。また、「オレ」はその姿に純粋に感化されるものなのだろうか。ストーリーも登場人物も単純化されて、彼らの心象に深みは感じられません。 

 3篇の中で一番違和感がある作品です。もともとの設定が、どちらかと言えば気持ち悪い。人の顔を持った花が歌う。ある意味オカルトです。感動的な物語を展開しても、ベースにある花に気持ち悪さがあるので引き込まれていきません。普通、そんな花を見つけて持ち帰るだろうか。また隠し続けるだろうか。ファンタジー要素が含まれているにしても、持ち帰り匿う動機をどこに求めるのことができるのだろうか。理由付けはされているが、どことなく腑に落ちません。 

物語の展開に無理があるように感じてしまいます。

 また、本作には叙述トリックが仕込まれています。同じ病室に入院している3人の性別を男性と思わせ続けることですが、その必要性と必然性を感じません。花の正体を知り、その花の境遇を理解するには、女性の方が都合がいいのかもしれません。

 しかし、登場人物たちが女性と分かった時に疑問が残りました。花の正体が、自殺したミサキの子供であった。そのことが「私」に一体どのような感情をもたらすのだろうか。私は、少なくとも共感は有り得ないと思います。「私」は列車事故でお腹の子供を亡くし、子供を産めない身体になっています。それは彼女にとって不可抗力であり、抗いがたい力によって押し付けられた現実です。「私」は望んでそうなった訳ではない。

 しかし、ミサキは違います。彼女は自殺を選んだ。彼女の環境が相当に厳しく、自殺しか選ぶ道がなかったのかもしれません。しかし、ミサキは自分の命とともに子供の命を奪っています。「私」とは全く違う。むしろ「私」はミサキを許さないのではないかと思ってしまうのですが。 

終わりに

 乙一作品は初読でしたが、あまり引き込まれなかったというのが率直な感想です。短篇なのも理由のひとつかもしれません。物語の背景や結末までの道筋が単調なので。

 主人公は、高校生と小学生と成人女性です。その年代に当たる人たちには、共感できるものがあるのかもしれません。残念ながら、私はどの短編にも共感できません。著者の長編は読んでいませんし、たった一冊読んだだけでは乙一作品の良さは分からないでしょう。次は、長編作品を読んでみたい。