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『子どもたちは夜と遊ぶ』:辻村深月【感想】|浅葱に救いはあったのだろうか

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 文庫で1,000頁を超える長編です。結末で明かされた謎の答えがあまりに予想外でした。読んできたことの整合性を確認したくなったので2度読みです。ミステリー小説で謎が明かされると、これまでの出来事に意味が与えられ、納得感と充実感があるものです。結末直前までは話の流れもスムーズで理解しやすい。しかし、全ての謎が明かされた時、再び迷路に放り込まれてしまったように感じます。長編なので、読み終えた時に全てを詳細に覚えていません。納得するためには、もう一度読むしかないと再読した次第です。

 極力ネタバレなしを心掛けます。特に、物語の核心である藍と浅葱の関係については書かないつもりですが、勘のいい人にはネタバレするかもしれません。ご了承ください。 

「子どもたちは夜と遊ぶ」の内容

大学受験間近の高校三年生が行方不明になった。家出か事件か。世間が騒ぐ中、木村浅葱だけはその真相を知っていた。「『i』はとてもうまくやった。さあ、次は、俺の番―」。姿の見えない『i』に会うために、ゲームを始める浅葱。孤独の闇に支配された子どもたちが招く事件は、さらなる悲劇を呼んでいく。【引用:「BOOK」データベース】 

「子どもたちは夜と遊ぶ」の感想

場人物の背景

 主要登場人物は、木村浅葱・狐塚孝太・月子の3人です。主に、彼らの視点で描かれています。大学の先輩や友人・教授など、彼らを取り巻く人々で物語は作られます。登場人物は少ないので、人間関係で混乱することはありません。混乱しないのは、彼らの個性が際立っていることも理由のひとつです。

 個性を表現する方法は、外見・言葉遣い・性格・所属する団体などいくつもあります。問題は、それらの個性にどれほど説得力を持たせられるかです。木村浅葱は特別な生い立ちなので別にしますが、普通の大学生・大学院生はそれほど多くの人生経験を積んでいません。日本のどこで育っても、環境にあまり違いはない。しかし、違いはなくても同じではありません。彼らは違う場所で違う人生を歩んできています。家庭や友人関係や育った環境の違いを背景に、現在の彼らが構成されています。彼らの背景と現在の姿の間に違和感を持つようでは登場人物に共感出来ません。人には持って生まれた性質がありますが、それ以上に育ってきた環境が人格を形成するものです。

 浅葱の過去は詳細に語られています。壮絶な過去を背負いながらも、他の大学生と交じって生きている浅葱に違和感はありません。過去から現在へと続く道筋が繋がっているからでしょう。浅葱ほどではありませんが、狐塚の過去も語られています。彼が形成された過程も納得出来ます。

 登場人物の過去は、厚く描かれている者もいれば薄く描かれている者もいます。薄く語られている者も納得できる背景が描かれています。登場人物たちはとても魅力的で引き込まれます。 

立つ内面描写

 内面を適切に描写しないと個性は伝わりません。言動と心の内は必ずしも一致しない。人はそれほど思い通りに生きることは出来ません。また、思い通りに行動できる部分とそうでない部分は人によって違います。

 内面描写は人を描く時に最も重要な要素です。著者が描く内面は生々しい。生々しいからこそ、現実味があります。男性より女性の内面が細やかに描かれています。女性の内面と女同士の人間関係の複雑さの表現は見事です。以前「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」を読んだ時にも感じましたが、生々しすぎて共感しづらい。男同士の友達関係と女同士の友達関係は、全く違うもののようです。

 月子の友人関係は複雑です。白根真紀との関係。片岡紫乃との関係。萩野清花との関係。狐塚日向子との関係。彼女が本来の自分自身を表現できているのは、萩野だけのように感じます。私は月子に共感するのではなく、恭司や浅葱が感じている彼女の友人関係の違和感や不快感に共感します。女同士の関係は複雑だし理解し難い。女性ならば共感したり理解するのでしょうか。

 狐塚と周りの関係性も特殊と言えば特殊でしょう。狐塚ほど出来た人間もあまりいません。人を妬んだり、憎んだりしない。冷めている訳でもない。常にニュートラルな視点で周りを見ています。こういう人もいるでしょうが、なかなか自分の周りにはいません。

 月子の内面描写だけでなく、浅葱の内面も詳細に描かれています。ただ、浅葱の場合は違う問題を抱えているので一般的な感覚では共感出来ません。  

述トリックに無理?

 多くの謎と多くのトリックが仕掛けられています。最も大きな仕掛けは叙述トリックです。叙述トリックは、物語の終盤、浅葱と月子の対面で生きてきます。ただ、月子の正体が隠されていたことが、浅葱の行動を大きく変えたのかどうか。藍に会うことは、浅葱の最初からの望みなのだから。浅葱の絶望のために仕組まれただけならば、少しもったいない。

 果たして、浅葱が勘違いしていたようなことが起こり得るでしょうか。月子の正体に気付いていないのは浅葱だけだったように描かれてます。同じ研究室にいながら有り得るのか。

 また、叙述トリックを完成させるために、狐塚が母親を日向子さんと呼びます。そのことが強烈に違和感を感じさせます。実の母親を日向子さんと呼び、義父をとうさんと呼ぶ。その違和感が、何かを仕掛けていることに気付かせます。トリックとしては無理があるし、気付きやすい。 

学生は子どもと言いながらも・・・

 登場人物の設定は極めて緻密に行われています。そのことが、あやふやで適当な人物の存在を許しません。彼らは信念を持っています。周りに流されることなく、自分の考えで行動し意見を述べる。月子と紫乃の関係における月子は、自らの信念とは違う行動です。しかし、そのことを十分に認識した上での行動です。冷静な分析が学生らしさを削いでいます。

 大学生はもっと周りに流されるものだと思います。ここまで現在の自分を評価し、将来を考えるものでしょうか。もちろん就職活動が始まれば将来を考えます。それでも、もっと打算的なものがあってもいい。

 狐塚は自分たちを子どもと評しています。しかし、彼らの考え方や人生に対する迷い方は立派な大人です。別の小説を持ち出して申し訳ないですが、大学生と言うと「横道世之介」や「砂漠」に登場する人たちの方が真実味があります。 

と浅葱 

 「i」を探し続ける浅葱が出会った藍。浅葱は藍に会うために殺人ゲームへと手を染め、自らを「θ」と名乗り始めます。

  • 藍と浅葱
  • 「i」と「θ」

 この関係が物語の主軸です。「i」を追い続ける浅葱がどのようになっていくのか。「i」は藍なのか。浅葱が藍に会うことが物語の終着点となるはずです。藍に会うことが目的でありながら、浅葱が起こす行動は望まぬ結果ばかりを生んでいきます。彼らが始めた殺人ゲームは、ターゲットを名指していません。条件さえ満たせば、自らの判断で相手を選ぶことが出来ます。事実、浅葱が最初に殺したのは、彼と関係のない女性でした。しかし、徐々に浅葱の周りの人間が選ばれていきます。彼が望んでいない方向へと意図的に進まされています。藍と浅葱の関係が明確になると、浅葱が追い詰められていった理由も分かった気がします。

 終盤、狐塚と浅葱が対面し語り合った時、全ての謎が明らかにされます。複雑過ぎて理解が追い付かない。よく考えても、全てが繋がりません。明確で納得のいく説明を出来るほど、彼らの関係性を理解できない。

 藍と浅葱の関係を詳しく解説したブログが多数あります。多くのブログで解説されていますが、全ての解説が一致していません。完全に理解するのは難しい。 

終わりに

 1回読んだだけで納得できるとは思えません。結末を知った上で、もう一度読む必要が出てきます。何度も読む必要があるということは、何度も読むことに耐えうる内容だということでしょうか。私の理解力の問題なのかもしれませんが。

 秋山教授が登場します。「ぼくのメジャースプーン」を読んでいたので、彼の行動が理解できます。未読の方は、秋山教授は謎の人物に映るのではないでしょうか。「ぼくのメジャースプーン」も読んで下さい。その後に「名前探しの放課後」も是非。