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『項羽と劉邦』:司馬遼太郎【感想】|武と徳のいずれが勝つのか

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 舞台となる楚漢戦争は、紀元前206年から紀元前202年です。日本は弥生時代です。始皇帝の死により、再び戦乱の世になった中国の激動振りが伝わります。激動だからこそ魅力的な人物が現れるのでしょう。本作に登場する人物は、誰もが印象に残ります。

 前半は始皇帝の死後の混乱期と秦の滅亡が描かれ、後半は項羽と劉邦の戦いが描かれます。大きくふたつの構成ですが、もちろん歴史は一連の流れとして存在しています。項羽と劉邦を中心に描かれますが、彼ら以外の多くの人々の思惑と行動と死が複雑に絡まり合い物語を重層的にしています。

 「項羽と劉邦」と聞くと、本宮ひろ志の「赤龍王」を思い出します。当時、引き込まれて読んだことを覚えています。それほど項羽と劉邦の生き様に魅力があったということです。赤龍王では、虞姫の扱いがかなり変えられています。虞を巡り、項羽と劉邦を恋敵にしているのはいかにも漫画らしい。

 中国大陸の各都市の位置関係や地域の民族特性などが物語の重要な要素になっていますが、事前に知識がなくても自然と分かってきます。また、人間関係はそれほど複雑ではありません。項羽と劉邦の人間性が物語の最も重要な肝であり、彼らの違いが物語を際立たせます。結果は分かっていますが、人間ドラマとして新しい発見があります。 

「項羽と劉邦」の内容

紀元前3世紀末、秦の始皇帝は中国史上初の統一帝国を創出し戦国時代に終止符をうった。しかし彼の死後、秦の統制力は弱まり、陳勝・呉広の一揆がおこると、天下は再び大乱の時代に入る。 

「項羽と劉邦」の感想

義と不義・善と悪

 正義と不義を論じる時に基準となるのが人の道ですが、この時代に現代に通じる人の道が確立されていたのかどうかは疑問です。また、善悪は多分に主観的な要素が大きい。どちらも流動的であり、自身の立ち位置次第でどのようにも変わる時代だったのでしょう。

 春秋戦国時代、秦、秦末期の混乱、楚漢戦争。

 正義や善を論じる時代でなく、生き抜くことが重要な時代です。同じ人物でも、時に正義になり不義になります。

 映画「キングダム」は、秦の始皇帝が秦帝国を築く物語です。漫画は読んでいないので映画だけの感想ですが、彼らが正義であり善です。始皇帝は歴史上ではいいイメージがあまりありません。本作でも秦と始皇帝は悪です。だからと言って、秦に対抗する国々が全て正義であるとは限りません。結局は勝ち残ったものが正義とになるのでしょう。いつの世も同じです。 

の統治

 法治国家としての秦は革新的で合理的です。現在の国々の大半が法治国家である以上、国を統治する最上の方法と言えます。実際、秦が滅んだのは法治が理由というよりも、重い租税・土木工事への懲役が原因です。蕭何は秦の悪政と法治を別物と見ており、法治は合理的で国を治める手法として肯定的に捉えています。必ずしも秦の全てが悪ではありません。どんな存在も善と悪の両方を含んでいます。どちらの比重が大きいかが問題なだけかもしれません。

 秦末期においては、悪の比重が大きくなったのでしょう。秦=悪と定義されてしまいます。逆に言えば、秦に立ち向かうものは相対的に正義です。秦の悪政に苦しんでいる者からすればですが。

 ただ、民衆は少し違います。項羽や劉邦や彼らに付き従う武将たちには信念があり、正義の所在にも敏感でしょう。一方、民衆は食を保証してくれるものに従います。

 陳勝と呉広の反乱は、その後の騒乱のきっかけです。彼らの反乱がきっかけになるほど、秦の悪政に苦しむ人々が多かった。一方、秦にも正義を抱く者がいます。ただ、秦の崩壊はもはや止めることができないほど民は苦しんでいます。章邯の抵抗も流れには逆らえません。 

国を統一する

 始皇帝がこれほど知られている理由は、中国大陸を統一したからです。当時、中国大陸を統一することは不可能な事業と思われていたのでしょう。秦が統一を果たしたことにより、秦にとって代われば中国大陸を統一したことになります。ただ、秦を倒すには結集しなければなりません。陳勝・呉広の反乱に呼応したのは、裏を返せばそれだけ秦が強大だったということです。陳勝が死ねば、彼にとって代わって反乱を主導できるという思惑もあったでしょう。

 項梁は力を溜めて機会を待ちます。秦を倒した後まで意識しています。そのことが当初の楚軍の強さです。流れに乗っただけの陳勝とは全く違います。陳勝の反乱が無駄だったという訳ではありませんが。一方、戦略を項梁に頼り過ぎていたのが、楚軍の弱点です。項梁のあっけない死が楚軍の命運を揺らがせるのは、人材が不足していたというよりは項羽と項梁という突出した人材がいたからです。

 楚軍が中心になったとしても、秦を倒すために集まったのは楚だけではありません。秦を倒した後の勢力図がどのようになるのか。戦後処理の難しさは相当です。実際、項羽は論功行賞で失敗してしまいます。

 一口に中国と言っても、統一されるまでの中国はいくつかの国の集まりです。その記憶が消えないうちは、消えた国家であっても帰属意識は消えません。大陸統一の難しさは、国への帰属意識も大きな要因です。始皇帝は強大な力で統一したが、維持するのは別物であったということです。中国大陸の広さ(あらゆる意味で)を実感します。  

羽と劉邦の多面性

 一般的なイメージは、項羽は勇猛果敢で冷徹、劉邦は臆病で無能だが人を惹きつける徳がある。そういったところでしょうか。ただ、読み進めるほどにそれほど単純でないことが分かります。項梁が敗死したことで項羽の人間性は露わになっていきます。項羽と劉邦の違いが顕著になります。

  • 項羽はそんなに冷酷だったのか。
  • 劉邦はそれほど徳があったのか。

 彼らは拠るべきところが違うだけのように感じます。項羽は敵味方を区分することが基本ですが、彼の中での白黒の付け方はそれほど単純ではありません。誰もが理解できる区別の仕方ではなさそうですが。ただ、彼の軍勢が彼に心酔していることからも、彼の魅力は強さだけではありません。敵に対しては容赦がないが、味方の死に対しては涙を流して悲しみます。その姿が、彼の軍勢に死を恐れさせないのです。また、敵である章邯の戦いぶりを認め許します。彼の中では基準は明確なのでしょうが、彼以外には理解できない部分もあったはずです。そこも含めて心酔していたのかもしれませんが。

 一方、冷酷な面は筆舌に尽くしがたい。秦軍20万人の大虐殺。降伏した城においては民間人も含めて苛烈な仕打ちを与えます。その部分が強調されれば悪魔に見えますが、それだけを以って項羽を定義できるほど底は浅くありません。劉邦以上の魅力を感じるところもあります。

 では、劉邦は仁徳に溢れているのでしょうか。味方に対する愛情は必ずしも厚くありません。味方を残し、自分だけが敗走することも多々あることからも明らかです。一方、敵に対して圧倒的な悪意を抱くことも少ないので、項羽と比べると穏やかに見えます。行動力・決断力がないだけかもしれませんが。劉邦の魅力は、彼を取り巻く人材です。魅力ある配下がいれば、間接的に劉邦に魅力が生まれます。

 どちらが魅力的なのでしょうか。歴史の登場人物としては項羽の方が魅力的です。冷酷な反面、撤退時には殿(しんがり)を務める。先頭切って逃げ出す劉邦より惹きつけられます。 

力の自負と無能の自覚

 能力を自負することは武将として必須です。一方、無能を自覚することも必要です。全ての面において有能な人間は数少ない。何を持ち、何を持っていないかを理解することが重要です。項羽も劉邦も理解しているのでしょう。その上で、持っていない物の重要性を理解しなければなりません。そこが項羽と劉邦の決定的な違いです。

 項羽にはあまりに武が有り過ぎました。武で全てが解決できると思い、持っていない物を軽んじてしまいます。項梁は項羽にない知略を持っていましたが、項羽はその知略の重要性を理解していたのかどうか疑問です。少なくとも二人がいる時は補い合えた。

 項梁が敗死し知略を失って、どれほどの喪失を感じたのでしょうか。范増の存在をどれほど重要視していたのかで見えてきます。知略・謀略自体を軽視していたのは明らかです。武に頼るのが一番楽だったのでしょう。

 劉邦はどうでしょうか。自身の能力を無能だと自覚していますので、誰かに頼り信頼せざるを得ません。形はどうあれ信頼します。そうなれば信頼されます。必ずしも一貫した信頼を持っていませんので、都合の良さも感じます。しかし、絶体絶命の時に頼られれば、臣下は命を懸けます。劉邦にとって信頼が全てであり、臣下も理解しています。無能さを誰もが理解しているからこそ、敗走を続けても失望させない。

 天下を取るためには、一つのことだけに秀でていても無理です。全てを持っている人物はいません。だからこそ多彩な人物が登場します。

  • 項羽の臣下は印象が薄い
  • 劉邦の臣下は印象が濃い

 それぞれの臣下に能力の差はありません。才能を活かすか殺すかは使うもの次第です。項羽は自身の能力に絶対的な自信があったために、臣下の能力を殺してしまいます。個人で戦う訳でない以上、持っている能力(臣下の能力も含めて)をより活用できたものが勝つのは当然です。 

終わりに 

 史実を作り変えることは出来ません。だからと言って、小説の面白みが損なわれる訳ではありません。史実に基づくからこそ重みが出ます。

 一方、史実に基づくストーリーを作るためには、作者の創作する部分が制限されます。作者の想像力を発揮しづらい。全体的に平坦に感じるのはそのためでしょうか。結末を知っていることも理由かもしれません。読み応えが無くなるということではありません。