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『まほろ駅前狂騒曲』:三浦しをん【感想】|まほろシリーズ大団円

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 こんにちは。本日は、三浦しをんさんの「まほろ駅前狂騒曲」の感想です。

 

 行天が多田便利件に転がり込んでから2年が経過しています。相変わらず順風満帆な関係とは言えません。

 二人には重い過去があります。消えない心の傷です。「まほろ駅前多田便利軒」と「まほろ駅前番外地」で多田は変わっていきます。少なくとも変わることができると思い始めます。行天の過去も描かれてきましたが、まだまだ明かされていないことが多い。

 行天は変わっていくのか。過去と折り合いをつけるのか。本作の主役は行天だろう。もちろん多田便利件に関わる全ての人が過去を抱えているのだから、全員が主役と言えるかもしれません。 

 「まほろ駅前狂騒曲」の内容

まほろ市は東京都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田と、居候になって丸二年がたつ行天。四歳の女の子「はる」を預かることになった二人は、無農薬野菜を生産販売する謎の団体の沢村、まほろの裏社会を仕切る星、おなじみの岡老人たちにより、前代未聞の大騒動に巻き込まれる!【引用:「BOOK」データベース】

 

 「まほろ駅前狂騒曲」の感想 

去に囚われる

 まほろ駅前シリーズは、過去に囚われた二人の物語です。取り返しのつかない過去の出来事が未来を奪い、停滞した人生を続けるしかなくなってしまいます。その状況で二人は再会します。過去を変えることはできません。だからこそ、どのように向き合うかです。

 多田は自身の過失(不可避だったかもしれませんが)で息子を死なせてしまいます。息子の死を夫婦で乗り越えることはできなかった。夫婦のどちらにも防ぐことのできない状況なら、何とかなったかもしれません。ただ、少なくとも多田は責任を感じています。そのことを妻も感じているから、責任の所在を求めてしまうのだろう。二人の関係は壊れるしかありません。

 しかし、多田は少しずつだが未来を見るようになってきます。行天と再会したことが大きな要因です。同じように過去に囚われている行天を見て、過去に囚われ続ける不幸に気付いたのだろう。柏木亜沙子との出会いも大きなきっかけです。現在の感情を止めることはできません。本作はさらに未来に目を向けていく多田が描かれます。

 一方、行天の過去は未だに謎に包まれている部分が多い。子供の頃に、親から虐待を受けていたことは分かっています。それがどの程度のものか。何故、起こったのか。行天の過去はまだまだ見えてきません。行天の闇は相当に深い。その闇は家族、特に親子関係に起因していて、闇を見ないようにするには家族から遠ざからなければならない。

 行天は日々をふらふらと生きています。未来を見据えて生きていません。過去に囚われることで、未来を見ることができない。永遠の停滞を求めているようにも見えます。

 しかし、多田が変わることについて否定はしないし応援もしています。行天も変わる可能性があることを示しています。多田は、それを感じ取っています。だからこそ、行天に辟易としながらも、彼が変わる必要があると信じているのだろう。 

 

意のない罪

 罪の背後に必ず悪意があるとは限りません。誰かから見て罪でも、別の人は罪と感じていない。法律的な罪は明確ですが、倫理や道徳の罪は様々な側面を見せます。

 行天が受けていた虐待は、誰が見ても罪なのだろう。行天自身が耐え難い苦痛として受け止めているのだから明白です。一方、虐待の主である母親に悪意はありません。行天のために行っています。そのことを行天自身も分かっていたのだろう。

 だからといって、母親の罪が消える訳ではありません。母親の背後には宗教があります。盲目的に信じているがゆえの悲劇です。母親は善悪や正邪の区別がつかなかったのだろう。

 行天はどこに怒りを持っていくべきなのか。苦しみの原因をどこに求めるのか。虐待の実施者は母親です。しかし、母親は宗教を信じることで虐待を引き起こしています。行天のためにです。

 家族の繋がりが状況を酷くしているのかもしれません。母親が行天のためだと考えていたのは真実だろう。盲目的に信じる宗教と行天に対する期待が躾という虐待を引き起こした。

 行天は、虐待と認識できない母親を見てきました。歪んだ家族が歪んでいることに気付かないことを知ります。だからこそ、家族や家庭を怖いものだと感じているのだろう。正しいと信じることが正しいと限らないことを思い知らされた。悪意には抵抗できます。しかし、善意に抵抗するのは、悪意のそれより難しい。 

 

わらないものはない

 過去に縛られ、変わることを拒んだとしても変わらないものはない。人の心はなおさらだろう。

 多田にとっては息子の死が、行天は子どもの頃の虐待が変化を止めます。幸せになることを拒絶させます。しかし、拒絶し続けることは困難だろう。変わることに罪悪感を感じたとしても、心は思いどおりになりません。

 多田は戸惑いながらも変わってきました。柏木亜沙子との出会いが大きなきっかけになっています。息子の死は変えられません。過去をやり直すことも叶いません。だからといって、未来を否定する理由にはならない。なかったことにはできませんが、それを飲み込んだ上で、未来に向け生きることを選んだのだろう。

 多田は行天も変わることができるし、変わって欲しいと願います。多田にとっての柏木亜沙子のように、はるが行天の変化のきっかけになると感じたのだろう。行天が恐れているのは、現状が変わることで誰かを不幸にすることです。近しい人を作ることで、自分と同じ境遇にしてしまうことを恐れます。

 悪意がなくても、人を不幸にすることは身をもって知っています。行天は過去の呪縛から逃れられません。自身を信じることもできません。しかし、変わることが不幸を招くとは限りません。

 多田は戸惑いながらも変わっていきます。過去を消すことはできませんが、前を向くことはできます。行天もできると信じるのは、自分が変われたからです。二年も一緒に暮らしたのだから、多田の考えは間違いではありません。 

 

終わりに

 多田や行天の過去は重い。しかし、物語は重くなり過ぎません。軽妙に進んでいく部分もあります。二人の日常のやり取りも面白い。また、岡老人や星といった脇を固める登場人物も個性的で魅力的です。

 読みやすさと先が気になる展開と変わることのない大切なものを絡めた小説です。三作目ですが、飽きることなく読めます。