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『まほろ駅前多田便利軒』:三浦しをん【感想】|戻らない過去を抱き、未来へ向けて

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 三浦しをんの作品は「舟を編む」以来2作目です。瑛太と松田龍平で映像化されていますが、読後の印象としてはキャスティングに違和感はありません。

 便利屋という職業は、それほど特殊ではありません。便利屋で検索すれば、星の数ほどの検索結果が出ます。掃除・片付け・犬の散歩。自分でもできるが、お金を出してやってくれるならやって欲しいことを依頼する。便利屋は探偵と違い幅が広い。便利屋を舞台にした中年男二人のドタバタ劇かと思って読み始めましたが、彼らを通じて生きることの幸せ・罪と罰など心の奥底が描かれます。

 便利屋として受ける様々な依頼も面白い。単なる労働力の提供もあれば、向こう側にある依頼人の人生も描かれます。 

「まほろ駅前多田便利軒」の内容

まほろ市は東京のはずれに位置する都南西部最大の町。駅前で便利屋を営む多田啓介のもとに高校時代の同級生・行天春彦がころがりこんだ。ペットあずかりに塾の送迎、納屋の整理etc.―ありふれた依頼のはずがこのコンビにかかると何故かきな臭い状況に。【引用:「BOOK」データベース】 

「まほろ駅前多田便利軒」の感想

便利屋と二人の男

 多田が行天と再会してからの1年間を描いています。多田は大きな目標がある訳でもなく、日々の暮らしのために確実に仕事をこなします。余計なことに首を突っ込まなければ問題も起きないはずですが、トラブルに巻き込まれていきます。行天が引き寄せたトラブルが多いが、時には多田自身が引き寄せることもあります。必ずしも相性が良くない個性的な二人が便利屋として活躍(?)します。便利屋稼業は、

  • 地味になろうと思えばなれる。
  • 派手に行こうと思えばいける。
  • トラブルもいくらでも作れる。

 依頼をきっかけにどんな話でも作れるし、多田と行天の軽快なやり取りはテンポが良く読み心地が良い。面白みのあるエンターテイメント作品です。時に見える多田の胸の内や行天の過去が、物語に奥行きの深さを感じさせます。簡単に笑い飛ばせない雰囲気もあります。恋愛が描かれないことも、彼らに集中できる要因です。

 彼らが受ける依頼は便利屋らしいものから犯罪に関わるものまで様々です。なかなか出会うことのない出来事が続きますが、全てが結末へと導くために繋がっています。それぞれの依頼自体も面白いが展開も面白い。彼らが真剣だからこそ、巻き込まれた時の反応や対処に面白みを感じます。 

えない過去

 誰でも今まで生きてきた過去を持っています。変えることができないものとして存在し、現在の自分を縛り、囚われ、時に癒すことがある過去です。多田の過去は物語が進むにつれ、徐々に明らかにされていきます。何が彼を縛り、どんな風に現在に影響を与えているのか。離婚していることに加え、彼の墓参りの様子から過去に起こった出来事はある程度想像できます。ただ、その裏に潜む多田と元妻の事情や彼が抱えることになった苦しみは想像以上です。彼が結末で語った時、その重さが初めて伝わった気がします。忘れることも逃れることもできない過去の重さです。

 行天の小指も多田の過去の一部です。元に戻ったように見えているだけで責任を取っていないし、なかったことにもできません。行天の小指は、彼に取り戻せない過去を思い出させます。彼の苦しみが小指という形で表現されています。多田の生活に妻の姿はありませんが、見えないからと言ってなくなった訳ではありません。多田に安らかな眠りが訪れないことからも分かります。

 行天の過去はあまり描かれません。親から虐待を受けていたみたいですが、それ以上語られません。ただ、彼の過去が望ましいものでなかったことは分かります。多田の心の内は描かれても行天の心の内は見えません。多田の過去も、結末までは明らかにされませんが。

 二人とも消したい過去や消せない過去を抱いています。過去は過ぎ去ったものであり目に見えません。行天の小指は、彼らの見えない過去を象徴しています。元に戻ったとも言えるし、戻っていないとも言えます。同じ傷痕を見る時も、多田と行天では感じ方は違います。もちろん加害者と被害者の違いはありますし、多田は加害者にもなれない苦しみも味わっています。 

と子

 物語を通じて親と子が重要なテーマになっています。多田が抱える過去も親と子に関係するものですし、彼を取り巻く人々も様々な形で親と子の関係が描かれます。物語は曽根田のばあちゃんの見舞いから始まります。便利屋の仕事としてお見舞いをしているのですが、とても褒められたことではありません。感心できないことですが、全くの無関心で放っておくよりは身代わりにお見舞いをさせる方がましなのかもしれません。そこには親子関係が存続しています。

 由良と母親の関係も親子関係のひとつの形です。彼の送迎は安全のためでなく母親の見栄のためだと由良は感じています。一方、彼女の中には優先順位があるのでしょう。由良への愛情は優先順位が低いだけ。子供に対する愛情や関心に優先順位があっていいのかどうかの問題はあります。

 行天と凪子とはるの関係は特殊です。少なくとも、はるは愛情を受けて育っています。行天ははるを育てている訳でもないし、頻繁に会う訳でもありません。凪子が抱く行天への思いは男女間の愛情ではありませんが、愛情に代わる何かを持っています。その思いを持ってはるを育てているのならば、行天は間接的にはるに関わっています。親子の関わり方は様々だが、行天の親子関係が多田の心を最も揺さぶったはずです。行天の親子関係の本質はどこにあるでしょうか。

  • 生物学上の親なのか。
  • 一緒に生活し育てることなのか。

 前者なら行天は間違いなくはるの父親です。後者ならば行天は父親でありません。行天自身もよく分からないでしょうし、簡単に二分できません。多田と大きく違う点もあります。

 行天と凪子とはるの関係は、はるが生まれる前から決められています。はるは別として、行天と凪子はお互い同意の上で現在の関係を築いています。行天たちの間には、何も問題はないはずですが、簡単に割り切れるものではないし行天自身も割り切れていません。

 多田の苦悩は、もう取り戻せない過去の出来事だということです。取り戻せないから苦しみます。なかったことにもできません。行天と凪子とはるの関係が多田に何をもたらしたのか。少なくとも母娘の関係を意識させ、以前より過去の出来事を思い出させます。罪として認識していることと罰を受けなければならないことについてです。

 北村周一は多田の未来の姿であり、多田は選ばれる側です。北村の選択次第では、多田は否定されます。妻への愛情と彼女が産んだ子への愛情で全てが乗り越えられると信じていた自分が、妻のDNA鑑定の一言で裏切られます。産まれてきた子供も応じてくれると信じていたのでしょう。浮気で裏切られ、DNA鑑定で裏切られ、離婚しました。多田自身の妻に対する復讐心も原因のひとつであり、そのことは多田も理解していますが。

 死んだ子供の成長した姿として北村が現れます。彼の行動次第で、過去の自分の思い・行動の全てが否定される恐怖を抱いた。自分が間違っていたことを感じていたから恐怖を覚えたのかもしれません。だからこそ、北村の依頼を受けません。そもそも北村は多田の子供ではありませんが、多田にとって過去は大きな傷痕です。 

終わりに

 多田は北村に救われます。北村の選択が唯一の正解ではありません。多田にとって救いをもたらす選択であったに過ぎませんし、過去の出来事がなくなった訳でもありません。妻との関係が修復され、彼の子が生き返ることもありません。

 ただ、過去に囚われて生きていく必要がないことに気付きます。最後に「幸福は再生する」と言っています。再生の意味は、再び生きること。再び生かすこと。元通りになることではありません。死んだ状態から生き返ることであり、多田自身が再生と言ったのはまさしく彼自身のことです。