第14回本屋大賞第2位受賞作。単行本で460頁超の長編作品です。著者の作品は、「カラフル」と「風に舞いあがるビニールシート」の2作品しか読んだことがありません。「カラフル」は中高生向けですし、「風に舞いあがるビニールシート」は短編集なので、読みやすかったですが物足りなさもあったように感じます。本作は物足りなさは全く感じません。文章のボリュームだけでなく、内容にも引き込まれていきます。
物語の主題は「教育」と「家族」です。昭和36年から平成20年までの47年間。その間の教育と、それに携わる大島家三代の壮大な物語です。戦後から平成までの教育の変遷を軸としながらも、吾郎を始めとする大島家の人間模様にも重点が置かれています。
- 教育はそれに携わる人次第で形が変わる。
- 人によって、向かい合い方も全く違う。
- 教育の置かれた環境も時代とともに変わる。
常に揺れ動く教育と彼らの教育に対する考え方・捉え方に引き込まれていきます。戦後教育などはあまりに古すぎて実感の沸かない部分もありますが、それでも分かりやすく描かれています。読んでいて手が止まることはありませんでした。
「みかづき」の内容
昭和36年。小学校用務員の大島吾郎は、勉強を教えていた児童の母親、赤坂千明に誘われ、ともに学習塾を立ち上げる。女手ひとつで娘を育てる千明と結婚し、家族になった吾郎。ベビーブームと経済成長を背景に、塾も順調に成長してゆくが、予期せぬ波瀾がふたりを襲い―。山あり谷あり涙あり。昭和~平成の塾業界を舞台に、三世代にわたって奮闘を続ける家族の感動巨編【引用:「BOOK」データベース】
「みかづき」の感想
塾の視点から
教育を描く時、舞台になるのはどこだろうか。まず思い浮かぶのは学校です。教育の中心は、学校教育です。小学校・中学校・高校・大学。どこが舞台になるか、公立か私立化は別にして、学校を舞台にして教育が描かれることが多い。しかし、本作で描かれているのは塾です。塾と学校は密接に結び付いています。塾を描くことは、学校教育を描くことと同義とも言えるのでしょう。
本作における塾の立ち位置は、時代とともに大きく変わっていきます。そもそも物語の冒頭、昭和36年当時は「塾」という言葉に馴染みがない。塾の存在意義と価値が確立していない時代です。塾とはいかにあるべきなのか。自問自答しながら進んでいくしかない状況に感じます。
塾の視点ですが、正確に言うと塾に関わる3人の視点で描かれています。
塾という立場に身を置くことは同じでも、教育に対する考え方は違います。塾という同じ立場でも、必ずしも同じ視点から塾や教育を眺めている訳ではありません。吾郎と千明は、違うと言うよりも違ってきたと言うべきだろうか。吾郎と千明が塾を立ち上げた時は、少なくとも志は同じだったはずです。だからこそ、吾郎は千明の説得に応じたのでしょう。千明の裏工作もありましたが。
塾から教育を眺めるということは、塾に関わる人々の視点で見ているのです。塾の視点でありながら、関わる人の数だけの視点がある。必ずしも塾という一つの視点で描かれている訳ではありません。
塾と学校の関係
塾と学校の関係は、一言で言い表すことは難しい。時代とともに変遷しているからです。ただ、吾郎と千明が塾を創設した頃から友好的な関係とは言い難い。学校が塾を敵対視することもあれば、塾が学校を敵と見做すこともあります。同じ教育であり、しかも同じ子供に対して与える教育でありながら、どうしてここまで反目するのだろうか。
塾を創設する時、千明は吾郎に次のように語り勧誘します。
私、学校教育が太陽だとしたら、塾は月のような存在になると思うんです。
彼ら夫婦が求めた塾は、学校教育という太陽に十分に照らされていない子供を、月である塾が優しく照らす。学校教育を主軸としながらも、付いていけない子供に補講を行う。塾が単独で教育を担うことは出来ない。吾郎と千明は、同じ視点で教育を眺めていたのかもしれません。そういうことであれば、塾は学校教育の先を行く必要はない。吾郎は、その考えに基づき行動していきます。
しかし、千明は違った。当初から違ったのか、徐々に変わっていったのか。戦中の軍事教育に嫌悪を抱いている千明にとって、公教育は当初から敵だったのでしょう。彼女が吾郎に語った先ほどの言葉に嘘はないのかもしれません。しかし、公教育を敵と見做している彼女も存在する。そこが吾郎と違うところであり、彼らの考え方が乖離していく原因であった。
吾郎が考える学校と塾の関係と、千明のそれとは明らかに違います。
ただ、千明の方が現実的な対応をしていると思えます。千明が公教育を憎むかどうかは別にして、当初から学校は塾を嫌っています。学校自体が塾を敵と認識していく。そうなれば、千明は防御するために学校に対し憎悪を強め、戦いを挑む。相容れないものとして存在していくことになるのは、公教育にも問題があると感じます。
- 国に守られた学校教育と、そうでない塾。
- あまりに立場の違う環境で行われる教育という同じ行為。
同じ教育でありながら、馴染まない水と油のようです。塾の立場があまりに脆弱で、国の政策に翻弄されていきます。塾が翻弄されるということは、そこで教える教育者も翻弄され、更には塾生(子供)も翻弄されます。だからこそ、千明は必死に生き残りを模索し続けたのでしょう。それが健全な関係を築けないと分かっていたとしても。
多様な教育者
塾だからこそ、多様な教育者が存在するのだと思います。学校教育の現場では、思い通りの教育を行うことは出来ない。国すなわち文部省の学習指導要領に従わざるを得ません。学習指導要領に従った教育を行うから、全国のどこでも均一な教育を受けられるメリットもあるのでしょう。教師の資質により影響されるところも多いでしょうが、それでも同水準の教育が提供されます。公立と私立によって環境は違うでしょうし、受験を経た高校教育では学校ごとに差が出てくることもあります。しかし、公立中学校に関して言えば、それほど差は出ないと思います。
しかし、塾には従うべき学習指導要領はありません。もちろん学校教育の影響を受けない訳がないし、学習指導要領は塾にとっても無視は出来ない。ただ、授業のやり方やクラス編成、難易度など学校よりも自由度が高いのも事実です。だからこそ、多様な講師が存在してくる。また、多様な講師が存在することにより、塾生も講師を選ぶことが出来ます。学校では担任を変えることは出来ないが、塾ならばクラスを変えることも可能ですし、他の塾に移ることも出来ます。自分の求める教育をしてくれる塾と講師を選ぶ。公立小・中学校と違い、塾は選ばれる存在になることにより競争原理の中に放り込まれます。塾にとって、それはとても厳しい。しかし、塾の教育や講師の水準が上がり、多様で有能な教育者が存在することになります。全てがそうではないと思いますが。
塾の存在意義
塾の存在意義は時代とともに変化しています。学校教育の補足的側面であったり、受験のための教育であったり。時代ごとに求められる講師の形も変わります。その変化に付いていけない塾は淘汰されます。経済原理の中に置かれた教育は、果たして正しい姿で居続けることが出来るのか。
少なくとも、塾は時代の要請に応じた教育を与えてくれます。その要請は、塾生すなわち保護者からです。そして保護者は国の教育政策に大きく影響されています。塾は自由な教育を与えることが出来るようで、国の政策と無関係ではいられない。むしろ、多大な影響を受けている。学校で受けきれない変化を塾が担うということでしょうか。
少なくとも需要があるからこそ成り立っています。需要に応えられない塾は淘汰されていく。公立学校が競争原理により淘汰されることはありません。しかし、塾は自らの存在意義を示し続けなければなりません。塾が世間に認知されたとしても、自らが経営する塾が認められなければ破綻する。経済原理と競争社会の中で存在価値を示し続けたことで、社会の中で確実な地位を築いたのでしょう。過去には考えられないほどの地位を。
家族の繋がり
本作は、教育を軸に描かれた大島家の物語でもあります。吾郎と千明が塾を創設し結婚することで、彼ら家族の物語が始まります。二人が学校の教員であれば、彼らも安定した家族であったかもしれない。教育論が違ってきても、学校教育の枠内での議論であれば、家族関係にまで影響を与えなかったでしょう。しかし、二人が選んだ教育は塾でした。塾の立場は時代とともに変わっていきます。
- その変化に対応していくのか。
- それとも自分が信じた教育を進んでいくのか。
吾郎と千明は、進むべき道が違ってしまった。どちらが正しいのか一概には言えません。塾を維持し教育を続けるのならば、千明の選択が現実的で正しかったと感じます。吾郎の教育観では時代の変化に押し潰されていたでしょう。確固たる地位を築いていなかった時代の塾だったから、家族の繋がりも確固たるものではなかった。土台がしっかりしていない教育とともに構築された家族は脆い。だから、吾郎と千明は離れていってしまった。
しかし、読んでいてそれほど悲壮感が漂っているようには感じません。千明の奮闘振りには鬼気迫るものがあります。また家族を失っていく様は、読んでいて息苦しくなる時もあります。それでも、大島家には見えない絆があるように感じます。離れ離れになったり、分かり合えないことがあったとしても、彼らは戻るべき場所として認識していたのではないだろうか。明確に描かれている訳ではないですが、いずれ戻ってくるのだろうなと思ってしまいます。それほど大島家の絆は強く感じました。
終わりに
私は小学校5年生から中学校3年生まで塾に通っていました。目的は高校受験のためです。私が通っていたのは、昭和60年から昭和63年まで。私にとって塾は受験のために存在していました。学校の授業よりはるかに先を学び、学校では学べない受験のための勉強をしていました。そのためか学校の授業をまともに聞いていなかった記憶があります。当時は、それが塾の存在意義だったように思います。果たして、それが教育の姿として正しいのかどうか。
そもそも教育に正解があるのだろうか。教育は、社会の中のひとつの要素です。教育を考える時は、社会の在り方も考える必要が出てくるはずです。社会が変化し続けるならば、教育も定型化した正解は存在しない。常に変化を求められ、検証していくべきことなのだろう。