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『七つの会議』:池井戸 潤【感想】|積み上げられた不正に立ち向かう

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 2019年2月1日に劇場公開されます。映画化される小説が未読の場合、いつも頭を悩ませるのがどちらを先に読むか(観るか)という問題です。「空飛ぶタイヤ」の時も同じ悩みを抱えた気がします。結局は小説を先に読むことにしましたが、どちらが正解だったのかは映画を見てみないと分かりません。そもそも正解はないかもしれませんが。 

 全八話から成る連作短編集です。短編ごとに視点が変わる群像劇なので、誰が主役という訳でもありません。強いて言うなら、舞台となる東京建電が主役かな。各短編ごとに立場や地位の違う人物が視点となるので飽きさせません。  

「七つの会議」の内容 

きっかけはパワハラだった!トップセールスマンのエリート課長を社内委員会に訴えたのは、歳上の部下だった。そして役員会が下した不可解な人事。いったい二人の間に何があったのか。今、会社で何が起きているのか。事態の収拾を命じられた原島は、親会社と取引先を巻き込んだ大掛かりな会社の秘密に迫る。【引用:「BOOK」データベース】 

「七つの会議」の感想

社に対する姿勢

 登場人物たちは、皆、会社に対する姿勢が違います。会社内の役職や立場に起因しているのかもしれないし、元々の姿勢が違うから役職や立場が変わってくるのかもしれない。

 会社のために働くのか、自分のために働くのか。その二択しか選択肢がないという事態が、もはや異常と言えます。本来は、両立すべきものだと思うからです。本作ではどちらか一方のために、もう一方を犠牲にしている社員がとても多い。そのことに疑問を抱いている者もいれば、そういうものだと割り切っている者もいます。また、気付いていない者もいるように感じます。

 生きていく以上は、お金を稼がないといけない。そのためには働かないといけない。よほど特殊な技能を有している者でない限り、会社に属することは必要なことです。そうなれば会社と社員の力関係は、どうしても前者が優位になります。現実は労組を組織し対抗したりするのですが、そこまで言及している訳ではありません。本作を通じて感じるのは、会社内の立場がそのまま力関係を表しているということです。 

立場が上なほど力を有する。当たり前のことですが。

 そもそも会社という実体はあるのでしょうか。会社という組織は、法人として別個の人格が存在しています。しかし、人の集合体としての組織が会社である以上、上司との関係が会社との関係になってきます。株式会社の所有者は株主でありながらも、現実的には社長を始めとする役員が会社の所有者のように振る舞う。結果、上司=会社となり、上司に対する態度が会社に対する態度となってしまう。自然、会社での立場を確保したり、出世したり、会社に留まろうとするならば、上司や役員の言うことを聞かざるを得なくなります。そうでなければ、会社にとって必須の存在になるしかない。現実的には、前者に属する社員が多いのでしょう。会社に対する態度は、会社内における自分の立場とイコールになっていると感じます。 

力への対処

 前述のように上司=会社であれば、上司との関係性がとても重要になってきます。求められる業績を果たさなければ、当然会社内での立場を失います。立場や出世を確保しようとすれば、無理も出てきます。そのことが、本作における重要な要素です。会社=上司からの圧力にどう対応するか。その対応の仕方が千差万別だから、本作は読んでいて面白いのでしょう。

 自分の実力に見合う結果=上司の求める結果であれば、何も問題はありません。しかし、利益を追求するのが会社です。上司は当然、より大きな結果を求めます。それに応え続けるのは、余程の実力者か嘘つきか。その分かれ目が人生の分かれ目にもなります。登場人物の行く末の違いは彼らの行動がもたらした結果だとしても、素直に割り切って受け止められません。

 本作の事件のきっかけは、坂戸宣彦のねじ仕入れに伴う強度偽装です。彼ひとりだけで行えた事柄ではないですが、彼自身が招いた事態でもあります。実績を作りたいという願望と成果を上げなければという焦りが招いた結果です。それほどの圧力を一人で抱えれば判断を間違うのは当然かもしれません。しかも、プレッシャーを与えてくる上司たちが、そのことを暗黙の了解としているところに会社の闇があります。出世を果たしている役員達の中には、過去に同様のことを行っている者もいます。そのことが、坂戸のブレーキを壊したのかもしれない。

 圧力と過去の事実。違法に走るかどうかは別にして、ここに登場する人物は常にプレッシャーと戦っています。恫喝による直接的な圧力であったり、降格や馘首であったり。不正や企業内政治・足の引っ張り合いは、生産的とは言えません。ただ、利益や結果を生むなら容認されてしまうのでしょう。だから会社からの圧力はなくならないし、それに応えようとする者も出てくる。対抗しようとする者がいることは救いであるが、果たして正しい選択であったかどうかは分かりません。少なくとも不法・違法を働かない選択が必要なことは間違いない。 

までの人生

 登場人物たちの会社内での振る舞いは、彼らの育ちに影響されているところが多い。彼らの人生がバックボーンとして描かれています。そのことが彼らの行動に説得力を与え、現実感を増しています。100人いれば、100通りの人生があります。どれだけ典型的な人生を送ってきたとしても、全く同じ人生は存在しません。些細な出来事の積み重ねが、現在の自分を形成しているはずです。本作に登場する人物は、誰も人間的で弱いところがあります。不正を働いた坂戸だけでなく、社長や副社長・北川営業部長・稲葉製造部長ですら弱い部分があった。彼らの性質は、過去の人生において自らが積み上げてきたものもあれば、会社に入ってから積み上げてきたものもあります。

 部署も立場も違う人物が視点となるから、登場人物は結構多い。しかし、登場する人物全ての個性が際立ち、彼らの人生が描かれることで引き込まれていきます。時には共感を感じる登場人物もいます。 

どちらかと言えば、弱い人間に共感してしまいます。

 物語の前半では悪者に感じられた人物たちも、彼らの人生が描かれることで必ずしも一方的な見方だけで判断できなくなってきます。視点が変わるので、同じ人物に対しても違う見方がされます。自らが視点の時は自身を自己評価し、行動の拠り所を選んでいく。短編が変わり視点が変われば、今度は別の視点でその人物が描かれることになります。多面的に描かれる人物は、同じ人物でありながら違った側面を見せます。そのことが人物描写に深みを与えています。 

がるストーリー

 単に会社員の悲哀を描いたものでなく、本筋は東京建電の不正と隠蔽です。企業の不正をテーマにするのは、著者の小説の醍醐味とも言えます。連作短編集という手法で短編を描きながら、最終的にはひとつの不正へと収束していきます。

 不正に対する対応方法として、何を優先すべきか。会社の論理を基に決断されていくことになりますが、必ずしも正しいものとは言えません。会社を守るか、顧客を守るか。その二択に行きつくことが間違いの原因であるのでしょう。

 登場人物の相関を考慮しつつ、過去と現在の出来事を巧妙に組み合わせていきます。徐々に物語の核心へと迫っていく緊張感は、読んでいて頁を捲る手が止まりません。短編ごとで視点が変わるので、誰が一番悪いのか判断しづらいところもあります。同じ人物に対しても評価が違ってきますので。悪い人物は多く登場しますが、絶対的な悪や正義が存在しないのも本作の特徴と言えるかもしれません。結末まで持っていく物語の進展の仕方は、とても計算されているように感じます。 

駄な会議

 物語と直接関係ないですが、会社には無駄な会議が多過ぎる。無駄な会議が多いということは、その準備に要する時間も無駄になります。そもそも会議を行う前には相当の根回しを行い、実際の会議では反対意見が出ないようにする。開催前に結果が出ているような会議が多い。会議の場は単なる確認作業に過ぎません。もしくは吊し上げを行い、そのことで全体に発破をかけるだけ。建設的な会議だと実感することは少ない。

 会議の8割が無駄であると、どこかで読んだか聞いた覚えがあります。もしくは、会議の内容の8割が無駄であると。今のビジネスで最も重要なのは時間です。その時間を無駄に使うだけの会議はマイナスの効果を与えます。「会議」はいかにも重要な印象を与える言葉ですが、重要性は中身だと気付かない人間が多すぎるということでしょう。  

終わりに

 短編集なので、長編と比べると読み応えは少し劣ります。しかし視点を変えることで善悪が時に曖昧になり、人間関係に複雑さを感じさせる効果もあります。一方的な見方になっていないことも面白みのひとつです。もちろん、不正に対する厳然たる追及の意志は強く感じさせます。不正が発生する企業風土が一番の悪であり、そこに追い込まれる登場人物は積極的・消極的の差はあれど被害者なのかもしれません。誰も、不正を働くために会社に入った訳ではないのだから。