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『夏への扉』:ロバート・A・ハインライン【感想】|かくいうぼくも、夏への扉を探していた

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 こんにちは。本日は、ロバート・A・ハインライン氏の「夏への扉」の感想です。

 

 SFの名作と言われています。1956年発表なので古典作品になるでしょうか。ロバート・A・ハインライン、アーサー・C・クラーク、アイザック・アシモフはビッグ・スリーと称されています。

 物語の舞台は1970年と2000年です。発表当時はある程度予想のできる近未来でした。今となっては過去ですが。著者が予測(想像)した世界は、どのくらい現実になっているのか。その点に関しても興味深い。

 タイムトラベルを扱った物語はそれほど目新しくありません。映画でも小説でもタイムトラベルを扱ったものは多い。玉石混合ですが。本作の面白さは、未来への行き方と過去への戻り方を違う方法で描いていることです。

  • 未来へは冷凍睡眠で。
  • 過去へはタイムマシンで。

 冷凍睡眠は厳格に言えばタイムトラベルではありませんが、見方によっては時間を超越すると言えます。自身と世界の時間の進み方を変えるのは同じです。冷凍睡眠は現在でも一般化された技術ではありませんが、一般化されれば片道切符のタイムマシンになるでしょう。

 登場人物は少なく、主人公ダンの視点で描かれます。1970年と2000年を行き来することで状況の複雑さがあり、結末への伏線も隠されています。 

「夏への扉」の内容

ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉を探しはじめる。家にあるいくつものドアのどれかひとつが、夏に通じていると固く信じているのだ。1970年12月3日、かくいうぼくも、夏への扉を探していた。最愛の恋人に裏切られ、生命から二番目に大切な発明までだましとられたぼくの心は、12月の空同様に凍てついていたのだ。そんな時、「冷凍睡眠保険」のネオンサインにひきよせられて…【引用:「BOOK」データベース】  

 

「夏への扉」の感想

者が予測した未来世界

 発表(1956年)当時、1970年は14年後、2000年は44年後です。現在の進歩のスピードでは10年後の未来予測も難しいですが、当時は予測可能な未来だったのでしょうか。1956年には存在しないものを新しい言葉で表現しなければなりません。ダンの発明品がイメージしやすいかどうかは名称にかかっています。日本語訳の難しさもあるでしょう。

 ダンの発明品の「Hired Girl」は「文化女中器」と表現されています。雇われた女性=女中です。当時、「文化」という言葉は高級なイメージを持っていたのでしょう。性能の違いはありますが、文化女中器は自動掃除機のルンバみたいなものです。実用化された時期は1970年ではありませんが、著者の予測は正しい。違いはあれど、文化女中器は現実になりました。当時としては夢物語だったのかもしれません。

 文化女中器を描いた理由は最も必要性が高く現実的だったからでしょう。ダンの開発目的も、女中や下男がいなくなったことで増加した主婦の家事労働からの解放です。掃除・料理・育児のためです。

 窓拭きウィリーも現実になっています。ウィンドウメイトやWINDYといった窓拭きロボットが開発されています。特化された機能の製品は開発しやすいのでしょう。窓拭きウィリーは窓ガラスだけでなく風呂桶やトイレの汚れも落とすことを目的にしていますが。

 万能フランクは、文化女中器や窓拭きウィリーの機能も備えています。掃除・料理・育児の全てを兼ね備えた機械です。イメージは人工知能のロボットでしょうか。完全に人間の作業を代替できるロボットです。2020年現在でも一般化されていませんが、遠くない未来に実現されそうな気がします。

 実現化したものとそうでないものがありますが、いずれは全て実現するでしょう。著者の予測はSF的でありながら現実的です。

 

凍睡眠とタイムマシン

 時間旅行が物語の鍵です。技術の進歩が最も表現されるのが時間の経過です。時間を飛び越えることで30年後の世界の変わりようを目の当たりにし、技術の進歩を見せつけます。時間を飛び越える目的には、「希望」という理性的な判断もあれば「現実逃避」という感情的な判断もあります。感情的な判断があるからこそ、予想外の展開を迎えることになりますが。

 時間旅行を描いた作品は、時間旅行の不自由さや予想外の展開やパラドックスの問題などを組み合わせて描かれます。偶然の結果であったり、意図した結果であったり様々です。本作は、未来へは冷凍睡眠、過去へはタイムマシンを使います。冷凍睡眠は実現可能性を感じますがタイムマシンは難しいでしょう。冷凍睡眠を時間旅行のひとつとして捉えることは新鮮です。冷凍睡眠が一般化され、商業化されれば現実になります。タイムマシンがなければ片道切符になりますが、それでも需要はあるでしょう。

 ダンの冷凍睡眠への動機はいかにも人間的で生々しい。

  • 現在の自分からの逃避。
  • 未来へ行くことによる復讐。

 自分の時間を止めることで未来へ飛びます。未来へ行くことの意味は、周りの時間から取り残されることです。孤独になるのは間違いなく、冷静に考えれば相当の覚悟がいります。タイムマシンの存在を後から知ることになるので、一度は冷凍睡眠をやめる決意をしたのも理解できます。医師がアルコールを抜いて再検査をするように指示したのも、結局はやめる人も少なからず存在ということです。よっぽどの理由や動機が必要なのでしょう。結局は、ベルとマイルズの罠に嵌まり冷凍睡眠することになりますが。

 ダンが未来から過去へ戻る理由は過去を塗り替えるためです。しかし、塗り替えた過去が作り出す未来が現在に繋がるとは限りません。現在はひとつではなく、枝分かれした複数の現在が存在するという考え方です。

 ダンが過去に戻る動機は、「ピートを取り戻す」「製図機ダンなどの特許者の特定」「リッキィに接触する」です。タイムマシンの不完全さにより、もしかしたら30年後に飛ばされるかもしれません。時間旅行の緊張感がありますが、さらに30年後に行くと収拾がつかなくなります。

 ダンはピートやリッキィを理由にしていますが、結局は自分のためです。ピートもリッキィも、自分との関係性の中で重要なのです。1970年に戻ることは確信的で確定的に捉えていたのではないでしょうか。特許者の正体に気付いていたならば、タイムマシンが向かう先が過去であることは分かります。

 目覚めない可能性はありますが、冷凍睡眠は未来への確実な切符です。タイムマシンは不確実性を伴う時間旅行です。過去に戻りさえすれば、未来への確実な切符をもう一度得ることができます。 

 

然か必然か

 時間の流れを一方向と考えればタイムトラベルは何を生むでしょうか。過去を変えることで現在が変われば、変えられた現在は必然的なものでしょうか。ひとつの現在しか存在しないとすれば、タイムマシンは常に過去と現在と未来の関係性を矛盾させます。

 時間の流れの中でダンの意思はどこまでは反映されているのか。結果が決まっているなら、ダンの意思も決められていたことになります。2000年にダンが見たものは全て過去からの結果です。存在する発明品もベルの現状もマイルズの人生もすでに起こったことです。そこに関わってきた者も関わってきたこともです。ダンが冷凍睡眠したことも含まれています。冷凍睡眠しなかった未来は、冷凍睡眠したことで存在しません。

 2000年の発明品や特許者の存在も、ダンがタイムマシンで過去に戻ったことが前提です。ダンが戻らなければ、違う2000年になっていないとおかしい。どこまでダンの自由意思で、どこからが決められていたことなのでしょうか。時間を行き来することは大きな矛盾を生みます。解決方法のひとつは多重な現在と未来と過去の存在です。

 本作も時間のパラドックスについて言及しています。ただし、将来的に解決可能な問題としてです。ひとつの世界しか存在しないとすれば、ダンの行動がパラドックスを起こさないためにはどうすればいいのか。答えは全てが決まっていることです。

ダンが冷凍睡眠をし、タイムマシンで過去に戻る。そして再び冷凍睡眠で2000年に行くことで全てが収束する。

 一度目に来た2000年と二度目に来た2000年が同じ2000年であるためには、ダンの行動の選択はひとつしかありません。そうだとすればダンの行動に自由意思はありません。ベルとマイルズの裏切りも全て決まっています。ダンが生きてきた人生はもちろん、誰の人生にも自由意思はありません。

 自由意思を確保するためには複数の過去・現在・未来の存在が必要であり解決方法です。果たしてタイムマシンが実現すればどうなるか。過去に戻ることは整合性を壊してしまうでしょうか。 

 

ッキィとピート

 ダンはベルと付き合い結婚をするつもりでした。大人の女性に魅力を感じていた証拠ですが、ベルに裏切られ傷付きます。そこで好意を抱いてくれている11歳のリッキィへ気持ちが移ります。現実逃避と都合の良い相手への乗り換えに過ぎないように感じます。リッキィに対して純粋な愛情を抱いていたようには見えません。リッキィのためでなく、自分自身のために彼女を選んでいます。彼女に財産を残すように策を講じたりするのは彼女のためでありながら、ベルとマイルズに対する復讐も含んでいます。

 リッキィと結婚するために再び1970年に戻りますが、11歳のリッキィの10年後を見た訳ではありません。あくまで11歳のリッキィを結婚相手として決めます。どこまでリッキィのことを理解すれば、そこまでの判断が可能なのでしょうか。ベルに裏切られたから、裏切らないリッキィを選んだだけではないでしょうか。11歳のリッキィを選ぶことで大人の女性を避けています。ダンが大人として成熟しているとは思えません。

 ピートに対する感情はどうでしょうか。ピートの絶対的な理解者として自負しています。ダンはピートを理解しない者に対し不信や軽蔑を抱きます。ダンがリッキィを信頼する要素の一つとしてピートの存在があります。一方、ベルを信頼しきれない要素のひとつです。ダン自身の判断はどこにあるのでしょうか。ダンがピートを大事にするのは構いませんが、行動の指針にする姿は違和感と不思議さと理解しがたい姿があります。

 ピートの存在がダンにとって大きいのは理解できます。しかし、2000年から1970年に戻る動機はピートよりもリッキィの方が大きい印象です。ピートの存在感は大きくなったり小さくなったりします。物語の重要な要素のようで、そうでないようにも感じます。 

 

終わりに

 時間旅行の不都合さはあまり描かれません。都合の良い展開もあります。一度目の2000年の状況が全ての答えなら導き出される行動は限定されます。タイムマシンはそのために必要な存在ですが、ダンが偶然存在を知ることに無理がある気もします。

 それでも結末には気持ち良さがあります。どん底からの再起が気持ちよい。ベルの2000年の姿が生々しくてかわいそうでしたが。