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『眠りの森』:東野圭吾【感想】|沈黙を続ける限り、苦しみは消えない

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 こんにちは。本日は、東野圭吾氏の「眠りの森」の感想です。

 

 加賀恭一郎シリーズの第二作目。前作「卒業」で大学生だった加賀は、本作では刑事になっています。刑事の加賀恭一郎が、どのようにして事件を解決していくのか楽しみです。

 本作での加賀恭一郎は30歳前後です。警視庁捜査一課に所属し、太田という中年の刑事とともに捜査に当たります。30歳前後の捜査一課の刑事はまだまだ若手の印象もありますが、捜査一課に所属しているので相当に優秀なのでしょう。若き敏腕刑事という表現になっています。

 基本に基づいた捜査を行い、特別に変わった手法を用いる訳ではありません。リアリティを追及しているのでしょう。ただ、加賀の頭の中身は相当に切れます。結末での彼のひらめきや推理力は特別です。

 正当防衛を主張する殺人から始まり、殺意のある正真正銘の殺人が続きます。加えて殺人未遂事件が起こる。高柳バレエ団という狭い世界の中で。バレエ団に属する人たちのバレエに対する思いも重要な鍵になります。

 謎めいた事件を解決するだけの物語ではありません。加賀が抱く浅岡未緒に対する思いも読みどころです。大学を卒業後の数年間の出来事を匂わせ、加賀に影を与える。彼の能力と人間味の組み合わせに引き込まれます。  

「眠りの森」の内容

美貌のバレリーナが男を殺したのは、ほんとうに正当防衛だったのか?完璧な踊りを求めて一途にけいこに励む高柳バレエ団のプリマたち。美女たちの世界に迷い込んだ男は死体になっていた。若き敏腕刑事・加賀恭一郎は浅岡未緒に魅かれ、事件の真相に肉迫する。【引用:「BOOK」データベース】

 

「眠りの森」の感想

つの死の関係

 事件の発端は、高柳バレエ団で起きた殺人事件です。団員の斎藤葉瑠子は正当防衛を主張します。バレエ団に侵入してきた男と遭遇し、無我夢中で身を守る為に殺してしまった。状況は限りなく正当防衛に見えます。

 この事件が偶然的に起きたのか。それとも何らかの裏があり必然的に起きたのか。加賀たちが事件の真相を捜査します。真相の鍵は男の正体です。加賀たちは正当防衛を証明するのか、殺人事件を証明するのかのどちらかです。殺人事件なら捜査はさらに奥深く進展していくでしょう。

 加賀の見立てが正当防衛なのかどうかは分からない。そもそも予断を持ってはいけない立場です。しかし、未緒に対しては正当防衛が認められるようなことを言って安心させたい気持ちもある。

 男の正体が「風間利之」という画家と分かり、高柳バレエ団との関係がないことも判明します。ただ、関係がないこと=正当防衛ではない。正当防衛の証明は難しい。

 風間がバレエ団と関係がないので、彼の目的が分からない。すでに死んでいるので、状況や素性から推測するしかありません。金が目的ならば、風間が金に困窮していなければならないが、実際はそれほど困っていない。金目当てだとしてもバレエ団を選ぶ理由が分からない。表面上の関係がないほどに、バレエ団の人間と何らかの繋がりがあるのではと疑うことになります。男の正体が徐々にわかってくるほど正当防衛が怪しくなっていきます。 

 葉瑠子の正当防衛の片がつく前に、第二の殺人事件が起きます。バレエ団のバレエ・マスター「梶田康成」の殺害です。明確な意図と計画のある殺人事件であり、バレエ団の中の人間が手を下したことは間違いない。第一の殺人との関係性も焦点になります。短い期間にバレエ団という狭い空間で2つの殺人事件が起きる。偶然とは考え難い。警察でなくても関連付けて考えるでしょう。

 風間がどこかで高柳バレエ団と接点があったはずという捜査方針が出されるのも当然です。葉瑠子の正当防衛も計算された殺人の可能性が生まれます。

 梶田の殺人が起きたことで、葉瑠子の殺人が複雑化します。それぞれの事件について捜査が進むことで、風間というピースはどこに嵌まるのだろうか。高柳バレエ団との関係はどこにあるのか。

 捜査が進み、ニューヨークが重要な鍵として浮かび上がります。海外は情報を取得しにくい。そんな中で、複雑な人間関係を解明していけるのかどうかに焦点が移ります。柳生講介の殺人未遂事件が起こり、事態はより複雑化します。梶田殺害の犯人はもちろん、葉瑠子の事件の真相も見えてこない。

 

柳バレエ団の閉鎖性

 加賀が未緒にバレエについて尋ねた時、彼女は「あたしの人生そのもの」と答えます。一方、加賀は「そう断言できるのが一つの財産」と返します。

「バレエが人生の全て」ということは「人生の全てがバレエのためだけに存在する」ことです。

 高柳バレエ団の全員に言えることならば、彼女たちの世界はバレエ団の中だけです。もちろん悪いことではないし、何かに打ち込むことは加賀の言うように財産なのでしょう。ただ、好きでやっているならばという前提はありますが。

 バレエの世界で成功するには、他のことを全て犠牲にする必要があると語られています。バレエは一見華やかな世界に見えますが、実情はとても厳しい。どんな世界でも一流を目指すのならば厳しい世界になるのは間違いない。

 打ち込むことでその世界しか見えなくなるし、存在しなくなるようになっていくのでしょう。人間関係も狭くなる分、濃密になります。

 高柳バレエ団の団員はお互いにライバルですが、それ以上に同じ世界にいる一体感もあります。排他的で他人には理解できない世界だと彼ら自身も思っている。閉じられた世界で周りを見ずにバレエだけに全てをかけることは悪いことではなく、そこまでかけることができるものがあることは羨ましいことです。バレエ以外のことを犠牲と思わなければまさしく財産です。犠牲だと思っていても、納得している犠牲なのでしょう。

 維持するための苦しさがあったとしても、全てをかけて得られるものが人生を満たします。言い換えれば、それを失うと人生を失うということです。その恐怖も付き纏うでしょう。

 団員たちはライバルであっても同じ志を抱く同士であり、同時に失うことへの恐怖に耐えるためにも繋がりは強くなっていく。外部の人間を寄せ付けず、加賀たちの捜査を阻む理由はそこにあるのかもしれません。加賀たちは、葉瑠子をなかなか釈放しないことであまり歓迎されていません。高柳バレエ団という小さな世界は高い障壁に囲まれています。 

 

賀と未緒の関係

 二人は初対面の時から微妙な雰囲気を感じさせます。刑事と事件の関係者というだけの関係には見えません。未緒が「白鳥の湖」で演じた黒鳥を見て惹かれたことに特別なものを感じているのでしょうか。出来過ぎな出会いですが、加賀と未緒の今後の関係性を示唆する出来事です。二人の関係は特別なものになることを予感させるます。

 前作「卒業」で描かれた沙都子との関係は、すでに終わっているようです。詳しく描かれませんが、沙都子に対して何らかの感情を抱いているような雰囲気はあります。そのことが未緒との関係に何らかの影響を及ぼすのでしょうか。心象を読み取ることは、なかなか難しい。

 加賀の未緒に対する感情は特別なものに変わっていきます。捜査が進むにつれ、高柳バレエ団の内実や人間関係の複雑さが分かってきます。未緒が事件に関わっているかもしれないと予感し、刑事の使命と未緒に対する感情がせめぎ合うのでしょう。未緒が事件と関係していると思い始めることで、加賀の心は乱れてきます。それとも未緒を守る決意したのかもしれない。

 加賀が未緒に惹かれたきっかけが黒鳥だったとしても、深く惹かれていったのは未緒の態度に引っかかるものがあったからでしょう。未緒が何かに苦しんでいることを感じたのかもしれません。

 加賀が未緒に近づかない理由は何でしょうか。

  • 沙都子が心に残っているのか
  • 事件の関係者だからだろうか
  • 事件の真相に関わっていると感じているからだろうか

 全てが当てはまり、全てが正解ではない。人の心は単純ではありません。あらゆることが複合的に繋がります。加賀の気持ちは何かに引かれるように未緒に向かっていき、止めることができない。

 未緒は最後の舞台で全てを出し切ります。残っているのは罪を償うことだけです。未緒の最後のバレエを見て、彼女の心を受け止めたのでしょう。加賀は未緒と相対し、気持ちを打ち明け決意します。

 事件の謎を追うほどに未緒に惹かれていく理由は、事件の終着点が彼女だと無意識に感じていたのでしょうか。自身が向かう先は、刑事としても個人としても一致します。未緒の苦しみを取り除き回復させるために、加賀は全てを打ち明けます。

 

件を解く鍵は示されている

 加賀と未緒のラブストーリー的な要素は多分にありますが、本筋はミステリーです。二つの殺人と一つの殺人未遂の関係性がミステリーの謎を構成しています。

 最初の殺人は葉瑠子が犯人であり、焦点は犯人の正体と目的でした。その前提自体がミスリードを誘うためのトリックになっています。次の殺人が起こることで、葉瑠子の正当防衛が怪しくなります。裏に何かが潜んでいる気配が漂う。

 高柳バレエ団という閉じられた世界でありながら、事態はニューヨークまで及びます。時間も遡っていきます。それすらも読者を惑わすトリックの一つです。事件の結末は意外性がありますが、反則的に意表を突くことはありません。

 事件の真相が明かされると様々な伏線に気付きます。加賀が全ての情報を繋いだように、読者も推理し繋げることは可能です。最も大きな鍵は青木が描いたバレリーナの姿であり、この姿からモデルを正確に突き止めることができれば謎に気付けたはずです。ここから未緒がどのように事件に絡んでいたかまで辿り着くことは難しいと思いますが。

  • 葉瑠子と未緒の交通事故
  • 未緒の突然の異様な行動
  • 加賀の父の交通事故の仲裁

 ここから最初の殺人の真相まで辿り着くためには、証拠や情報だけでなく高柳バレエ団の人間関係やバレエに対する思いや心象など全てを読み解く必要があります。しかし、全く不可能な謎解きではなく絶妙なミステリーです。

 

終わりに

 二つの事件は直接的には関係していませんが、青木を中心に考えると分け難いものになります。事件の真相には、関わった人間の心が大きく影響しています。加賀も含め、登場人物の思いが心に響いてくる作品です。