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『ノースライト』:横山秀夫【感想】|一家はどこへ消えたのか?

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 こんにちは。本日は、2020年本屋大賞第4位、横山秀夫氏の「ノースライト」の感想です。

 

 著者は警察小説の第一人者です。警察以外の小説も書いていますが、やはり警察ものの印象が強い。警察小説の圧倒的な完成度の高さがそのように印象付けるのだろう。

 特に「64」のインパクトが強く残っています。ミステリーでありながら、複雑に絡まり合う人生が描かれています。謎を解いて終わりという単純なものではありません。相当なボリュームの小説でしたが、一気に読み終わった。

 本作もかなりの長編です。警察も登場しないし、刑法に触れる犯罪も登場しない。しかし、人がいれば人生があり、人生があればドラマがあります。ヒューマンドラマの側面を見せながらミステリーが進んでいきます。

 警察と違い、謎を解くことは主人公「青瀬稔」の仕事ではありません。追わなくてもよいし、諦めることもできます。しかし、青瀬は謎を追っていきます。動機はどこから来るのか。青瀬の人生や人間関係など様々なものが交錯し、彼は謎を追いかけ続けます。

 建築という職業小説でもあり、謎を追うミステリー小説でもあり、人生を描くヒューマンドラマでもある。読者を惹きつける理由は、登場人物が悩み、道を探し続けているからだろう。人生に正解がないことを思い知らされます。時間は進んでいくし、人生も進んでいく。人は前に進んでいくしか選択肢はありません。誰であっても、適当に生き続けることはできない。 

「ノースライト」の内容

一級建築士の青瀬は、信濃追分へ車を走らせていた。望まれて設計した新築の家。施主の一家も、新しい自宅を前に、あんなに喜んでいたのに…。

Y邸は無人だった。そこに越してきたはずの家族の姿はなく、電話機以外に家具もない。ただ一つ、浅間山を望むように置かれた「タウトの椅子」を除けば…。このY邸でいったい何が起きたのか? 【引用:「BOOK」データベース】 

 

「ノースライト」の感想

事と人生

 仕事と人生を切り離すのは難しい。多くの人は生きていくために働かなくてはなりません。ひとつの仕事に打ち込むか、多くの仕事に関わるかは別にして。

 仕事が順調な時は、人生全てを順調に感じます。逆に、仕事が不調な時は、人生も不調に感じます。仕事を失えば、人生を失ったかのように感じるでしょう。仕事のことしか考えないからそうなってしまうという批判はあります。しかし、人生において、時間的にも精神的にも仕事の占める割合は大きい。依存せざるを得ません。

 仕事に向き合う時には、二つの課題があります。

 

  • 自分のしたい仕事をできているか。
  • 仕事の思うように進んでいるか。

 

 仕事は生きるための糧を得る手段であり、簡単に言えばお金を稼ぐためです。全てが思い通りになるとは限りません。

 多くの人が自分のやりたいことを仕事にしたいと望んでいます。しかし、やりたいことが見つからない人もいます。仕事というカテゴリーの中で、やりたいことを見つけるのは難しい。仕事と遊びは違います。好きなことを仕事にしたとしても、思い通りにならなければ嫌になるだろう。社会に出れば生きていくために折り合いをつけるものですが。

 青瀬は建築士になるという子供の頃の夢を叶えています。もちろん、本人の努力の結果です。早い時期に生涯の仕事を決めることができたのは幸せなことなのだろう。バブルの時期も相まって仕事も順調でした。ただ、自分の時間の全てを使い、仕事に追われる日々をどのように捉えるかにもよりますが。バブルは、青瀬に建築士として成功していると思い込ませた。人生を成功させているとも思わせた。

 バブルの崩壊で仕事が無くなり、厳しい生き残りの時代がやってきます。成功した経験が、落ちていく自分を認められません。プライドばかりが先に立ちます。青瀬にとって仕事を失うことは、人生の意味を失うことです。仕事で不要になることは、存在自体を不要にされることなのだろう。それ程、青瀬にとって仕事は重要だった。そこまで仕事に打ち込めたことは羨ましいことなのかもしれません。

 青瀬は仕事に人生を振り回されています。人生よりも仕事が中心になっている。失っても平然としていられる仕事をしているよりも充実しているかもしれませんが。

 仕事と人生のバランス「ワークライフバランス」が以前より注目されています。ワークとライフのバランスの問題だろうか。人生と仕事が不可分ならば、どちらも補い合う関係であればいい。仕事が土台になってしまえば、人生が不安定になります。 

 

邸とタウトと青瀬

 建築の知識がないので、タウトの名前を聞くのは初めてです。Y邸と吉野夫妻を巡る出来事が、本作のミステリーです。青瀬が全てを懸けて、自分の望む家を建てました。彼の人生を懸けたと言えます。吉野夫妻もY邸を受け入れたはずでした。

 そのY邸に誰も住んでいない。入居した痕跡もない。あんなに喜んだ吉野夫妻はどこに行ったのだろうか。吉野夫妻は忽然と姿を消してしまいます。何かが仕組まれているのだろうか。ミステリーらしい展開になってきます。もはや手掛かりは残されていないと思ったところにタウトの椅子が残されていました。

 タウトの椅子は簡単に入手できるものではありません。タウトの椅子と電話が残されているので、吉野夫妻は入居していなくてもY邸を訪れています。タウトの椅子が吉野のものだとすれば、何故、ここにあるのだろうか。何故、置いたままになっているのか。謎は深まってきます。

 青瀬がここまで吉野に拘った理由は、建てられたY邸を心の奥から喜んでくれたからだろう。少なくとも、青瀬はそのように感じています。吉野はクライアントとしても申し分ありません。建築費の支払いも問題なく済んでいます。しかし、お金を払っておきながら入居していません。

 青瀬が全てを注いだY邸を置き去りにすることは、彼の人生を否定されたのと同じなのだろう。事件に巻き込まれたかもしれないと思うのは、吉野自身の意思でY邸が置き去りにされたと認めたくないのだろう。

 青瀬はバブル崩壊から立ち直り、自分の思いのままの家を建てる機会を得ました。それに応えて、自分が最も住みたい家を建てた。捨て置かれたY邸は、青瀬自身の姿に見えたのかもしれません。

 当然、吉野夫妻の安否も気になります。それ以上に理由を知りたい。青瀬の人生が否定されたのではないことを知りたい。そのために、青瀬はタウトの椅子を頼りに吉野を追いかけます。タウトは重要な役割を果たします。吉野に繋がるだけでなく、タウトの人生を通じて、青瀬は自身の人生を振り返ることになります。建築に携わる者として通じるものがあったのだろう。

 私は、タウトが建築界や日本にどれほどの影響を与えたか知りません。しかし、読者は青瀬を通じてタウトの人生を知っていきます。青瀬が感じたことに共感できるようになります。青瀬が人生を振り返れば、読者も同じように人生を振り返ることになります。 

 

が繋げる

 吉野の行方を追うミステリーですが、一方で家族の物語でもあります。

 青瀬は妻と家を持つはずでした。家は家族を家族として繋げる力があるのかもしれません。青瀬は子供の頃、父の仕事の関係で全国を渡り歩いています。定住することもなく「渡り」と呼ばれる生活を続けていました。仮住まいのような形であっても、家があったからこそ家族に繋がりはあっただろう。

 青瀬にとって家を建て定住することは、より強く家族を繋ぎ留めることです。だからこそ、夫婦で共有する家は同じ思いで建てなければならない。そういう思い込みがあったのだろう。家が人生を表しているなら、妻と青瀬が抱いている家の形は当然一致するはずです。

 しかし、妻と青瀬で建てたい家が全く違います。家が家族を繋げる象徴ならば、全く意見が合わないことは繋がりどころか愛情を揺るがしてしまうかもしれません。家に人生を左右されるのは意外な印象ですが、人生=家と考えたのだろう。

 Y邸は奇しくもゆかりが望んだ家でした。コンクリートの家を望んでいたはずの青瀬が、全く違う家を建てます。青瀬が建てた家が木造だったことは、人は変わるということです。変化になかなか気付かないが、ある日、突然気付くものなのだろう。

 仕事だからクライアントの意向を反映させるのは当然です。青瀬はY邸を建てるまで思い描く家を建てる機会はなかった。ゆかりとともに住む家も建てることはできなかった。

 Y邸を建て、初めて自身の内面と向き合ったのかもしれません。青瀬の内面を映した家を見て、吉野夫妻は喜び、共感してくれました。だからこそ、吉野夫妻の失踪は青瀬にとって大きな痛みになったのです。

 家と家族は同一ではありませんが、不可分なものなのです。

 

終わりに

 ミステリーですが、青瀬の再生の物語でもあります。バブル崩壊で、青瀬は多くを失いました。岡島に雇ってもらっても、建築士としての情熱は失っていた。吉野との出会いとY邸が、青瀬を再生へと導きました。

 吉野と青瀬の過去の繋がりはミステリーとして読み応えがあり、感動的な部分です。人は変わり再生していきます。人生は一度だけですが、何度でも変わることができます。様々な出来事が起き、決して平坦ではありません。だからこそ、前向きになければなりません。過去を振り返ることも必要ですが、囚われてはいけない。

 人間を深く掘り下げたからこそ、読み応えのあるミステリーになったのだろう。ただ、バブル期とその後を舞台にしているので、時代背景は少し古く感じてしまいます。