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『オー!ファーザー』:伊坂幸太郎【感想】|家には父親が四人いる!?

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 こんにちは。本日は、伊坂幸太郎氏の「オー!ファーザー」の感想です。

 

 ゴールデンスランバー以降、作風が変化している伊坂幸太郎。しかし「オー!ファーザー」は、以前の伊坂幸太郎らしさが前面に出た作品です。

読者をニヤリとさせる会話の応酬。

伏線を張り巡らし、怒涛の回収をする結末。

 爽快感のあるストーリー展開を楽しめます。ゴールデンスランバーより前の作風を意識したのだろうかと思っていたら、初出はゴールデンスランバーより前でした。文庫化が遅れただけで、作風が変化する前の作品です。

 伊坂幸太郎自身はあまり好きでない表現と言ってますが、ゴールデンスランバーより前が第一期、それ以降が第二期です。第二期はあからさまな会話の応酬や伏線回収は、あまり見当たらなくなっています。もちろん、無くなった訳ではありませんが。軽妙な会話・伏線回収の巧みさが伊坂幸太郎らしさと言うのは、一概に言えなくなってます。

 「オー!ファーザー」は、伊坂幸太郎が伊坂幸太郎として世に認知された頃の作風を残した作品です。文庫化は遅れていますが、第一期最後の作品です。私が伊坂幸太郎に惹かれ始めた頃の伊坂作品がありました。 

「オー!ファーザー」の内容

父親が四人いる!?高校生の由紀夫を守る四銃士は、ギャンブル好きに女好き、博学卓識、スポーツ万能。個性溢れる父×4に囲まれ、息子が遭遇するは、事件、事件、事件―。知事選挙、不登校の野球部員、盗まれた鞄と心中の遺体。多声的な会話、思想、行動が一つの像を結ぶとき、思いもよらぬ物語が、あなたの眼前に姿を現す。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「オー!ファーザー」の感想

語の設定

 父親が4人いる。

 この設定で一気に読者の関心を引きます。何故4人なのかは、物語の冒頭で種明かしされます。血の繋がっている父親は4人の中の一人です。この特殊な状況の中にいる由紀夫が主人公です。しかし、由紀夫は極めて普通の高校生です。少し冷めているところがあり、今の自分の状況が普通でないと理解しています。それでも折り合いをつけて生活しています。

 異常とも言える状況設定ですが、何故か納得して読み進めてしまいます。納得の原因がどこにあるのか。伊坂幸太郎が紡ぐ登場人物たちの会話や行動なのか。具体的には分かりませんが、納得してしまうのです。父親たち4人が、由紀夫の父が誰なのかを調べようとしないのも面白い。作中に、 

 

自分たちは、父親の判別の検討については、専門家なのだ

 

という台詞があります。検討はするが、DNA検査はしない。普通ははっきりさせたいところです。しかし、由紀夫の父親であることを証明するよりは、父親だと信じ続けたい気持ちが強い。もし違ったら、と臆病になる気持ちも分かります。由紀夫の母であり、4人の父親の妻である知代と離れたくない気持ちの表れでもあります。

 立派な父親であろうとしながら、意外と気弱で情けない部分も持ち合わせているところが憎めません。文庫あとがきで著者が語っているように、小説や映画の題材で複数の父親はそれほど珍しい設定ではないのかもしれません。しかし、新鮮味がないから面白くないとは限らない。 

 

トーリー展開

 冒頭は、人物設定や状況設定の説明に使われています。もちろん説明くさい説明でなく、洒落た台詞や会話の中で個性的な登場人物や関係性などが明かされていきます。

  • 4人の父親と由紀夫の関係。
  • 由紀夫と同級生の関係。

 由紀夫を中心とした世界が、様々な出来事や会話を通じ構成されていきます。何気ない日常の中にも伏線が仕込まれているのでしょう。 登場人物や状況設定が頭に落ち着いてきた頃に物語が動きます。

  • 牛蒡男の登場は、何らかの予兆なのか。
  • 牛蒡男は重要な鍵なのか。

 もちろん分かりませんが、後から必ず絡んでくると予感させます。物語を明確に展開させる最初の事件はドッグレース場でのカバンのすり替えです。しかしカバンのすり替えは、尾行の失敗により中途半端に終わってしまいます。 

 由紀夫の周りで起こる大小さまざまな出来事が、どのように有機的に繋がってくるのか。個性豊かな登場人物たちは、その個性をどのように活かして物語に食い込んでくるのか。被らないキャラは、それぞれの特性を最大限に活かして物語を動かしてくるはずです。先行きが読めない展開はページを捲る手を止めさせません。 

 

族愛

 4人の父親の存在は母親の不貞を連想させます。そもそも4人の父親が存在することになった原因は、知代の四股です。知代は物語の最後まで登場しません。四人の父親と由紀夫の会話の中でしか登場しないので、彼らの言葉から想像するしかありません。普通なら父親が分からない状態で子供を産む女性に対し良い感情は抱きません。 しかし、知代に対する嫌悪感は全くありません。 

 四人の父親の会話から、彼らが知代に抱いている気持ちが伝わってきます。知代の子であり自分の子だと信じている由紀夫に対し抱く愛情も常に伝わってきます。当事者である彼らから、負の感情が全く表れてきません。そのことが知代に対する嫌悪感や、由紀夫たち家族が不幸だと感じさせない理由です。由紀夫の家庭には、愛情が溢れています。歪な家庭環境ですが、それを感じさせない愛情が存在しています。

 由紀夫は愛情に気付いているのだろう。高校生の由紀夫の気持ちの微妙な変化も読みどころです。終盤に、由紀夫が当たり前のことに気付きます。自分も父親も年を取ると言うことです。いつか、この家庭からも一人また一人と退場していく。その寂しさを知った時、今の幸せに気付きます。 

 

終わりに

 第一期の伊坂幸太郎の持ち味がふんだんに盛り込まれています。一気に読んでしまうくらいに引き込まれます。ただ、著者がゴールデンスランバー以降、作風を変えてきたのも理解できます。

 会話や伏線回収を作風の軸に据えたまま作品を生み出し続けても、いつか飽きられてしまう。この作風のままではいつか限界が来るのではと感じたのかもしれません。

 作風を変えた第二期は、伊坂幸太郎ファンを動揺させた気がします。私も第二期以降の作品には、あまりいい印象を持っていませんでした。伊坂幸太郎らしさが失われた気がしました。

 この作品を読んで、やはり第一期の伊坂幸太郎は無条件に面白い。ただ、このままの作風で作品を生み出し続けていれば、いずれ読まなくなっていたかもしれません。そう思えば、ゴールデンスランバー以降は必然の流れでしょう。