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『パラレルワールド・ラブストーリー』:東野圭吾【感想】|真実の世界はどっちだ?

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 こんにちは。本日は、東野圭吾氏の「パラレルワールド・ラブストーリー」の感想です。

 

 2019年に公開された同名映画の原作小説です。小説の発刊は1995年なので、映画は最近ですが小説はかなり昔です。恋愛小説とミステリー小説を組み合わせた内容です。映画は未視聴なので比較はできません。

 東野圭吾が40代の次のようにコメントしています。

アイデアが生まれたのは20代。小説にしたのは30代。そして今ではもう掛けない 

 もう書けないの意味はどこにあるのでしょうか。

  • これだけのアイデアをもう出せない?
  • アイデアが生まれても小説にする勢いがない?

 ミステリーの組み立てや登場人物の関係や心象は複雑です。文章化しにくいアイデアだったという意味かもしれません。25年前の作品ですが、今読んでも違和感はありません。フロッピーやMDが登場すると時代を感じることはありますが。

 ミステリーの鍵はリアリティ工学です。バーチャルリアリティの次期型リアリティであり、脳内に直接仮想現実を書き込む技術です。現在、バーチャルリアリティは現実のものとなりつつあります。作中の次期型リアリティも現実のものとなるのでしょうか。

「パラレルワールド・ラブストーリー」の内容

親友の恋人を手に入れるために、俺はいったい何をしたのだろうか。「本当の過去」を取り戻すため、「記憶」と「真実」のはざまを辿る敦賀崇史。錯綜する世界の向こうに潜む闇、一つの疑問が、さらなる謎を生む。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「パラレルワールド・ラブストーリー」の感想

ラレルワールドの姿

 私の知識では、パラレルワールドは決して交わらない平行世界です。どちらも現実の世界に違いはありません。ある選択をするかしないかで二つの世界が生まれ、分岐した二つの世界はどちらも現実かつ真実です。片方の世界からもう一つの世界は見えないし存在を意識できません。物理学などの理論を根拠に証明できるかどうかは別にして、タイムパラドックスの解決法としてSFにはよく登場する考え方です。

 本作は、二つの世界を交互に描きます。「SCENE 〇」が付く章と無題の章です。主人公「敦賀崇史」の視点で描かれますが、二つの世界の決定的な違いは「津野麻由子」が誰の恋人かということです。無題では崇史の恋人であり、SCENEでは三輪智彦の恋人です。

 登場する人物や場所など多くのことが共通でありながら、一部が決定的に違います。麻由子が崇史と智彦のどちらを選んだかで生み出されたパラレルワールドだと思わせます。

 序章の冒頭、崇史と麻由子の最初の出会いは山手線と京浜東北線の並走です。並走する列車の出会いを出会いと呼ぶならばですが。二人(少なくとも崇史は)がお互いを認識していたのはここからです。三人の関係性を決める始まりであり、崇史にとって麻由子の存在の大きさを示すものです。

 並走する列車はお互いに干渉できませんが、確実に存在しています。パラレルワールド(平行世界)を強く印象づけます。本作のタイトルからも「パラレルワールド」が物語の鍵となることを予想させます。

 ただ、二つの世界が単なるパラレルワールドの関係だとすれば違和感が残ります。崇史が第一章で抱く違和感ではなく、読者が抱く違和感です。まずは二つの世界の時間が違います。麻由子と同棲する崇史を現在とすれば、智彦と麻由子が恋人同士なのは過去です。

 問題は現在と過去の繋ぎ目が分からないことです。繋ぎ目次第では、パラレルワールドではありません。単に、麻由子が智彦から崇史に乗り換えただけの可能性も残ります。消えた記憶の行方が重要な鍵です。もしかしたらパラレルワールドでなく繋がった世界かもしれない。そうなれば消えた記憶はどこに行ったのか。

 崇史が徐々に智彦と麻由子の恋人関係を思い出していくことから、二つの世界はパラレルワールドでないことが予想できてしまいます。

 

憶と感情

 恋愛感情は一目惚れのように突然訪れるものもあれば、積み上げられた関係の中で育つものもあります。崇史と麻由子の関係は列車の中で積み上げられたものです。少なくとも崇史にとってですが、彼女のことを詳しく知らなくても記憶の中で重なり続けた想いです。

 感情は醸成されます。智彦と麻由子の関係も、崇史に紹介するまでにはそれなりの時間を共有し関係を積み上げているはずです。お互いの関係性や愛情は最初から完全なものではなく形成されていきます。崇史に紹介したのも形成された関係に基づくものです。智彦は自信がないように見えて、二人の関係を確信しているのでしょう。だからと言って麻由子も同じ気持ちかどうか分からないのが恋愛です。

 記憶はお互いの深い愛情の根拠になります。同じ時間で同じ記憶を積み重ねることで生まれる感情が愛情へと繋がります。絶対のものでないとしても近づいていく。

 智彦と麻由子の関係と崇史と麻由子(崇史が思い出す前)の関係の違いは何だろうか。崇史と麻由子が恋人の世界では、智彦から麻由子を友人として紹介されています。そこから二人は記憶を積み重ねます。改変された記憶だとしても記憶には違いはありません。

 恋愛関係を築くには記憶が必要不可欠です。真実の記憶が戻る前の崇史は、麻由子と共有の記憶があったことになっています。あるからこそ二人の関係の根拠として幸せを感じるのでしょう。愛情の根拠となる記憶が揺らぐならば、確実な愛情として自信が持てなくなります。愛情自体を信じられなくなるかもしれません。

 崇史が記憶を取り戻そうとする理由は、徐々に思い出していく記憶が今持っている記憶と齟齬を生じているからです。 記憶に対する疑いを晴らすためにも記憶を確かめる必要がある。思い出すにつれ、どちらの記憶が真実性が高いかに気付きます。その過程は崇史という人間の存在を変えていきます。

 記憶を取り戻すことは単に真実を知るだけのことではありません。自身の存在を崩してしまう危険があります。それでも真実を知ることの理由は、真実を知ることが生きることに繋がるからです。

 麻由子の気持ちはどうだったのでしょうか。智彦の状況や崇史の記憶について知った上で崇史と同棲しています。真実を知っていながら本当の愛情を作ることができるのだろうか。真実の記憶がない限り幸せは訪れないはずです。真実を隠し続ける限り、誰も幸せになれません。

 

まり過ぎた感情

 真実を歪めた理由は、感情が複雑に絡まり合ったからでしょう。三人の関係はそれほど特別ではありません。智彦と麻由子の恋人関係に崇史が割り込んだに過ぎません。紹介される以前から麻由子のことを好きだったかもしれないが、電車の中で見ていただけです。それを自分が先に好きになったとか彼女も自分を気にしていたはずという主張は自分勝手にしか映りません。恋愛は自分勝手なものですが。

 どちらが先かはそれほど重要ではありません。問題は気持ちを伝えるかどうかです。親友の恋人を好きになることに罪はない。感情は自然に湧き出るものだからです。友情を取るか愛情を取るかはありふれた状況です。

 崇史は愛情と友情を選択する立場ですが、選択通りに手に入るとは限らない。崇史が心に秘めるならば、愛情は手に入らないが友情は100%確保できます。一方、崇史が告白すれば、愛情は手に入るかもしれないが友情は壊れるでしょう。麻由子が崇史を選べば、智彦は崇史を恨み麻由子を呪うでしょう。しかし、麻由子に対する想いが真剣であるのなら正々堂々と気持ちを伝え、智彦と向かい合うべきです。

 愛は先着順ではないし、人の気持ちは変わります。変わるからこそ大事にします。だからと言って告白することが唯一の正解だったということでもない。そもそも正解など存在しません。選択と結果だけであり、望ましいかどうかは別問題です。

 崇史が告白しないこともひとつの選択です。揺らぐこと自体も正しい反応です。友情を壊さない確実な方法は告白しないことですが、それが分かっていても愛情を消すことはできません。二人の友情は熟成されており何もなければ変化しませんが、愛情は違います。麻由子と崇史は出会いから時間が経っていません。麻由子との時間が共有されていけば愛情は増幅します。愛情が友情を上回るのは自然の流れだろうし、それを受け入れる必要があります。

 三人の関係を最も揺さぶったのは誰だろうか。麻由子の態度が関係を混乱させていったのでしょう。智彦との関係を続けながら、気持ちは崇史に向いています。しかしはっきりとは言わない。彼女の結論はどちらも選ばないことですが、それでは誰も納得できない。崇史は麻由子に告白しますが、麻由子のために友情が壊れてもいいと覚悟をしただけです。やり方に問題があったかもしれませんが。

 

終わりに

 崇史も麻由子も自身のことを「弱い人間」と評しています。では、智彦は強い人間なのだろうか。崇史と麻由子の気持ちに気付き、身を引きます。引き方も徹底しています。しかし、だからこそ崇史と麻由子に重荷を背負わせことになります。

 強い人間は存在しません。覚悟の問題です。智彦は崇史と麻由子のために行動したが、自己犠牲が強いとは限りません。崇史も現状を壊してまでも麻由子を得ようとした覚悟があります。どちらも強い弱いでは言い表せない。

 物語の結末は三角関係の行く末であり、記憶こそがミステリーの鍵です。タイトルにあるパラレルワールドという言葉に惑わされましたが、本質は三角関係のラブストーリーです。面白いが好みが分かれそうです。