映画『六人の嘘つきな大学生』レビュー|映像化で増幅された密室の狂気~就活という地獄で暴かれる評価の正体~:MANPA Blog

評価し合う地獄―「人生を決める最終選考」

六人の嘘つきな大学生

ごきげんいかがですか。まんぱです。

就職活動は、自分という人間に値打ちを付けられる人生の中でも過酷な試練です。

本作の舞台は、人気企業の最終選考(グループディスカッション)です。最終選考に残った六人の大学生に突きつけられたのは、自分たちで採用者を一人だけ決めるという前代未聞のルールです。

仲間だったはずの六人は、用意された告発文をきっかけに、互いの嘘と過去を暴き合う泥沼へと引きずり込まれます。

「信じていた仲間は、本当に善人なのか」

密室で繰り広げられる人格を懸けた最終選考の幕が上がります。

 

 

採用試験としての歪さとそれでも成立する緊張感

この映画が描く最終選考の様子はとても生々しいものです。何人かで話し合うグループディスカッションは、短い時間で自分を売り込むアピールの場です。そして、背後で様子を見る面接官の視線は怖いものです。

単に頭が良いだけでは評価されません。誰がリーダーシップを取り、誰が周りに気を配るのか。誰がその場の空気を一番うまく読めるのか。大学生の時には経験しなかった振る舞いが試される場なのです。

映画は、このピリピリした空気を逃さず映像化します。観客も、もし自分がこの場にいたらというプレッシャーを味合わされます。

しかし、物語が進むにつれて、最終面接はおかしな方向へ進んでいきます。「誰を採用するか」という一番大事な判断を、学生たちに丸投げしてしまいます。普通に考えれば、こんな企業はまずありえません。

会社にとって大切な社員を選ぶ決断です。それを企業の人事担当者が放棄して、学生同士に決めさせるなんて論理的に無理があります。会社のリスク管理としても、完全に無謀だと言えるでしょう。

でも、このありえなさこそが、観客を飽きさせないための仕掛けです。もしこれが普通の面接だったら、ただの退屈な再現ドラマで終わっていたはずです。

会社というルールを守る審判が消えてしまった。そのことで、グループディスカッションは話し合いの場から、生き残りを懸けた戦場へと一気に変貌します。

さっきまで一緒に頑張ろうと言い合っていた仲間たちが、次の瞬間にはライバルに変身するのです。この立場の逆転にグイグイ引き込まれます。

この不自然な設定は、あえて作られた実験場のようなものです。現実の就活をそっくり再現するためではありません。他人を評価するという行為の怖さを最大限に引き出すための装置なのです。

理屈ではおかしいと思いつつも、目の前で繰り広げられる地獄のようなやり取り。そこから一瞬たりとも目が離せなくなります。まるで自分もその部屋の一員になってしまったかのような不思議な錯覚さえ覚えます。

 

過去を暴く手際の不自然さと人間ドラマとしての吸引力

六人の嘘つきな大学生

物語を大きく動かすのは、会議室に置かれた封筒です。中には、六人の隠していた罪が書かれた告発文が入っています。この告発文が、まるで見計らったようなタイミングで飛び出します。

それまで優秀な学生に見えていた若者たちが、一人ずつ化けの皮を剥がされていく。その展開は、とてもスリリングです。エンターテインメントとして文句なしに面白い。画面の切り替えもスピーディーで、次は誰の番だろうと観る側に緊張感を与えます。

ただ、冷静になってみると、やはり出来すぎな感じは拭えません。誰が、ここまで詳しく全員の過去を調べたのか。そして、なぜこのタイミングで完璧にバラすことができたのか。

そのプロセスはある程度説明されますが、詳細には描かれません。ショッキングな結果が、突然突きつけられます。この段取りの良すぎるところは、リアリティがないと感じるところでもあります。

しかし、この映画のすごいところは、そんな理屈を俳優陣の圧倒的な演技でねじ伏せてしまうところです。告発文が読まれた瞬間に、部屋の中の空気がパッと凍りつく。さっきまで笑っていた顔が一瞬で絶望に変わります。

俳優陣は、単に登場人物を演じているのではありません。誰かに認められたくて、自分を良く見せようと必死に背伸びをしている、どこにでもいそうな若者を等身大で演じています。

叫んだりする演技も迫力がありますが、それ以上に沈黙が怖いのです。バレてはいけない秘密を突かれた時の生唾を飲む音。耐えきれずに目を逸らす仕草。そうした人間らしい反応が設定の不自然さを忘れさせてくれます。

観ているうちに、告発のやり方が自然かどうかは気にならなくなります。それよりも、目の前で心が壊れていく人間から目が離せなくなるのです。

そこにあるのは隠していた悪事だけではありません。自分が築き上げてきた世界が壊れる恐怖。それでも合格したいとしがみつく必死な姿です。

俳優たちが流す本物の冷や汗が、フィクションを真実に変えています。人間ドラマの強さこそが、この映画の心臓部と言えるでしょう。

一瞬の表情の変化だけで、その人物の過去の重みや今の絶望を語らせる。その表現力には脱帽するしかありません。細かな息遣い一つひとつに役者たちの魂がこもっているのを感じます。

 

嶌を選ぶ結論の危うさとそれでも残る納得感

議論の果てに、ようやく一人の合格者が決まります。この結末を観て、「まあ納得かな」と思う人は多いはずです。

嶌は、自分勝手な主張をしません。誰かを一方的に責めたりもしません。異常な空間の中で、まともで正しい人に見えるのです。彼女が選ばれるのは、ある意味で当然の正解に思えます。

しかし、、本当の問題は、会社側の態度にあるのです。学生たちがパニック状態で出した答え。それを会社側がそのまま受け入れて、内定を出してしまう。これは会社としてあまりに無責任だと思います。

社員を採用するということは、その人の人生に責任を持つということです。その重い決断を、追い詰められた学生たちに丸投げする。そして出た結果に乗っかるだけ。そんな会社が、果たしてまともな組織と言えるのかどうか。

しかし、この会社の無責任も、この映画が私たちに伝えたかったメッセージのひとつなのかもしれません。

今の世の中は、誰が責任を持っているのかが分かりにくい時代です。SNSなどの断片的な情報だけで人を判断し、切り捨てていく。そんな私たちの無意識の怖さを、映画は描き出しているように感じます。

ハッピーエンドともバッドエンドとも言い切れないモヤモヤした最終選考。論理的に考えれば、会社も学生もおかしいところだらけです。

しかし、最後まで観て良かったと思わせてくれます。それは、人を評価するという行為の虚しさや正解のなさを描いているからです。

綺麗事で終わらせず、人間の複雑で一筋縄ではいかない部分を正面から描いています。だからこそ、観客の心にトゲのような小さな傷を残していくのです。

観終わった後も、その傷がチクチクと痛み続け、自分の中の嘘を問い直されるような感覚があります。それこそが、この作品が持つ真の価値なのかもしれません。

私たちは誰もが加害者であり、被害者でもある。そんな重い問いかけが聞こえてくるようです。

 

終わりに

この映画は、現実の就活をそのまま撮ったドキュメンタリーではありません。 試験のルールも、過去の暴き方も、合格者の決まり方も、現実の物差しで測れば変なところがいっぱいです。

しかし、変なところがあるからこそ、この物語に引き込まれます。違和感を持ちながらも、気がつけば最後まで画面に釘付けにされてしまう。それこそが魅力なのです。

誰が一番悪いのか、誰が一番正しいのか。そんな簡単な答えはありません。 あるのは、人を審判するということの危うさだけです。

観終わった後、心に残るのは面白かったという感想だけではないはずです。

「自分だったらどうしただろう」「自分も自分自身を嘘で塗り固めていないか」という不安かもしれません。その小さな心の揺れを残します。

映画っていいものですね。