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『線は、僕を描く』:砥上 裕將【感想】|「線」の芸術が、「僕」を救う

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 こんにちは。本日は、2020年本屋大賞第3位、砥上 裕將 著「線は、僕を描く」の感想です。

 

 水墨画を題材にした芸術小説の一面に加え、青春小説の一面もあります。恋愛を中心とした青春小説ではなく、主人公「青山霜介」の喪失と再生の物語です。著者の砥上裕將氏は水墨画家なので、作中で描かれる水墨画の表現は印象的で豊かです。実際に水墨画を描いている著者の描写に引き込まれていきます。

 日常生活で水墨画に接する機会はあまりありません。学校の教科書で見たくらいでしょうか。本作を読むと、水墨画の奥深さや他の絵画との決定的な違いを知ることができます。もちろん、どの絵画もそれぞれに特徴があり素晴らしいものですが。

 冒頭のいきなりの展開に引き込まれます。日本を代表する水墨画家からの内弟子への誘いと霜介の水墨画への観察眼と表現。そして、霜介の現在の状況と苦しさが描かれます。

「全くの素人がどのように水墨画に接していくのか。」

「彼の内面は水墨画を通じてどのように変わるのか。」

「千瑛との出会いが彼に与える影響は何か。」

 霜介の再生が物語の主題なら、水墨画と取り巻く人々はどのように関わっていくのでしょうか。冒頭の展開は、その後の物語を期待させます。 

 

「線は、僕を描く」の内容

水墨画という「線」の芸術が、深い悲しみの中に生きる「僕」を救う。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「線は、僕を描く」の感想

墨画

 物語は、水墨画の展覧会から始まります。誰でも水墨画を知っていますが、親しんでいるかどうかは別問題です。実際、あまりいないのではないでしょうか。霜介も水墨画を遠い世界の存在だと思っています。水墨画で思い浮かべるのは、北斎・雪舟など数人です。作品となるといくつも思い浮かびません。

 どんな芸術でも鑑賞すれば何らかの感情を抱きます。優れた作品なら感銘を受ける。しかし、それを言葉で表現することと人に伝えることは難しい。霜介の観察眼は鋭く描かれています。彼の表現を聞いていると、水墨画に対して抱いていた印象を一変させられます。彼の視点はあまりに特別です。そうでないと水墨画を描くようにならないのですが。

 水墨画を見ることと描くことは違うようでいて根本は同じかもしれません。技術があったとしても、描く自然を自身の目を通して理解しないと素晴らしい作品は出来上がらないでしょう。どちらが欠けても人の心を揺さぶる水墨画にはならない。

 水墨画に限らず、人の手で作られる芸術には心が宿ります。描き手に取り込まれた素材が、描き手の内面を通して描かれるからです。写真とは成り立ちが違います。もちろん写真も素晴らしい芸術のひとつです。

 心の内面を描くことは別にして、水墨画を描く技術は随所に書かれています。心の内面が重要だとしても、技術抜きには語れません。心を表現するために必要なのが技術です。心があれば技術は問題ないのかもしれませんが、表現する技術があってこそ作品は出来上がります。

 湖峰の技術は湖栖に及ばないとしても、湖峰に技術がない訳ではない。極めて高度な技術において、わずかな差があるに過ぎないのでしょう。

 霜介を通じて水墨画の知識も描かれます。霜介が全くの素人だからこそ、彼に指導する形で自然と説明することができます。伝え方は、湖山の教え方であったり、霜介自身の練習であったり。

  • 描き方や描く題材の違い
  • 道具や筆の運び

 あらゆる知識と技術が水墨画には存在します。白と黒だけで描かれた水墨画の中にはとてつもない技術と歴史があります。

 心を描くのは水墨画に限ったことではありません。しかし、水墨画の描き方は独特であり引き込まれます。水墨画を書くことはとてつもなく難しいのではないかと思わせながら、古前や川岸といった素人にも書くことができる。また、彼らの作品にはいいところもあります。全く別次元の芸術ではなく、誰でも足を踏み入れることができる。著者はそう言いたいのでしょう。

 

介の心の変化

 水墨画を通じて霜介の心の変化(恢復)を描くのだから、心の内を表現するものでなければなりません。物語中では水墨画は心の変化を描くための重要なツールです。霜介は両親を失い、喪失の中にいます。突然訪れた不幸と孤独から抜け出せません。人は予測していない不幸に簡単には対応できません。叔父夫婦はいい人だし、経済的にも不安はない。だからと言って救われる訳ではありません。心の負った傷は、心に作用する何かでないと影響を与えられないのでしょう。

 霜介の心は真っ白なガラスの部屋で表現されています。閉じ籠った世界からガラスを通して外側を見ます。外部とのコミュニケーションはありませんが、外界を完全に遮断していません。ぼんやりと見えています。そのことが自身の孤独を際立たせています。

 両親を失った時に霜介の心は決定的で取り返しのつかないほどに壊れました。叔父夫婦の努力も霜介には届きません。自身の心が分からないのに、叔父夫婦の気持ちを理解し受け止めることはできないでしょう。

 水墨画が霜介の心に影響を与えたのは、湖山の存在があったからです。単に眺めているだけでは心には響きません。湖山が水墨画を見るように促し、霜介に感想を表現させます。水墨画を眺めるのではなく、意識して見ることが重要なのです。ガラスの部屋から眺めていた外の世界を、初めて見ようとしたのではないでしょうか。

 目の前には、描き手の心を描いた水墨画があります。すぐに外界との関係性を取り戻せることはありませんがきっかけになります。水墨画が奥深いからこそ、霜介の心に与えるものは大きい。

 霜介には哀しみが満ち溢れています。湖山は霜介に水墨画を評価させることで、水墨画が彼を哀しみから引き上げることができると感じたのでしょう。霜介の鋭い視点は見えるべきものが見えています。彼を内弟子にすることで変えることができると確信したのかもしれません。湖山には水墨画しか手段がないのも事実ですが。

 何年も閉じ籠っているガラスの部屋から抜け出すのは容易ではありません。しかし、大学に行き、古前と交流を始めたことで変わり始めていたのでしょう。ガラスの部屋がなくなることはありませんが、外に向かって意識が向き始めています。心の変化はマイナスに向かうときは急激に動きますが、恢復することは難しいしスピードも遅い。

 水墨画はさらに霜介を変化させる大きなきっかけになります。水墨画を描くことは、自らを見つめ、外の世界に向き合わなければなりません。彼は水墨画を描くがなかなか思い通りにいかない。技術は一朝一夕に身に付くものではありませんが、それ以上に心を表現するために自分自身に向き合うことが難しい。

 

との関わり

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 霜介は多くの人と出会います。

 大学で古前と出会ったことは、霜介にとって大きな一歩です。何故、古前だったのでしょうか。いろいろと理由はあります。古前は自分自身を持っていることに加え、干渉してきません。無関心ではないが程よい距離感がある。遠慮はないのだが、心の奥にずかずかと入ってきません。

 水墨画を通じて出会った人の中で、最も大きな影響を与えたのが千瑛です。湖山が水墨画との向き合い方や真髄や表現を教えますが、千瑛は彼女自身の心を表現した水墨画を通じて心の有り様を見せます。

 湖山、湖峰、湖栖、翠山。多くの人が霜介に影響を与えます。千瑛とは双方向に影響を与え合います。水墨画の技術も経験も向き合い方も違います。それでいてお互いを意識します。意識する理由は、お互いに何かを感じているからです。興味がなければ意識はしません。もちろん湖山が「湖山賞」を使って意識するよう仕向けたこともあります。

 千瑛は「湖山賞」を通じて霜介を意識し始めます。霜介は千瑛の薔薇を見て彼女に興味を抱く。きっかけは違いますが、意識し始めることが大事なのでしょう。

 霜介も千瑛も変わるべきもの、変わらなければならないものを持っています。

  • 霜介は喪失と向き合い恢復すること
  • 千瑛は水墨画との向き合い方

 水墨画は心を表しますが、人間を変えていくのはやはり人間同士の関わり合いです。

 湖山が霜介に才能を感じたのは事実ですし、才能があるからこそ千瑛に影響を与えます。霜介と千瑛の関係の背後には、湖山を始め湖峰・湖栖の思惑もあります。人生そのものである水墨画だからこそ影響し合うのです。人生そのものを見せつけられて変わらない人間はいません。

 

水墨画と人生

 水墨画を表現する文章が美しい。

 人生の深みまで見通せるような表現力です。現実的な表現に加え、抽象的で感性で受け止めないと理解できない表現もあります。霜介の水墨画は成長していきますが、その過程は停滞や悩みに溢れています。まさしく人生そのものです。水墨画の成長と霜介の成長を重ねています。人生を表現するので、自然と抽象的な表現も多くなります。人生を表現するのは難しい。

 水墨画の成長を技術の修得だけに求めているのでなく、心の内面の成長まで促します。技術の修得だけなら分かりやすい。そうでないところが水墨画の奥深さです。人生に通じるものがあるのでしょう。水墨画の成長を心に求めることで、霜介の恢復に結び付きます。両者は複雑に絡まり合い切り離せません。

 人生の変化は時に速く、時に遅い。水墨画の変化も同じです。人生の変化は目に見えるものと見えないものがあります。目に見えない変化を水墨画を通じて伝えます。変化は一進一退です。立ち止まり、悩み、苦しむ。後退もします。しかし、変化は確実に訪れます。訪れた変化は確実です。ただ、変化の方向が納得のいくものばかりとは限らないのが人生ですが。

  

終わりに

 水墨画の世界を新鮮に感じます。水墨画家の著者だからこそ描ける世界であり、熱意が伝わります。ただ、都合の良過ぎる展開も多い。水墨画に対する著者の熱意が強過ぎて、霜介の心の変化が見えにくい。

 冒頭の引き込まれ感は、物語が進むにつれて薄まります。淡々と進む展開が冗長に感じることもあります。霜介の心の奥底を描き切れなかったのかもしれません。ガラスの部屋と表現された彼の心が変わっていく過程を水墨画と重ね合わせ過ぎて分かりにくい。

 ただ、水墨画の世界の奥深さを知ることができたのは良かった。