『家康と七人の忍び』感想|今村翔吾や和田竜の熱と何が違う?歴史を運んだ男たちの贅沢な物足りなさ:MANPA Blog

佐藤賢一著 『家康と七人の忍び』

家康と七人の忍び

ごきげんいかがですか。まんぱです。

戦国大名のハラハラする逃亡劇を、ここまで濃密に描いた作品がかつてあったでしょうか。

本書は、本能寺の変の陰に隠れがちだった徳川家康の命懸けの逃避行「伊賀越え」を真正面から描いた歴史小説です。

信長や秀吉といった華やかな主役たちの裏側で、家康の命を救うために命を懸けた「七人の忍び」が主人公です。

彼らはなぜ、そこまで命を懸けられたのでしょうか。歴史の裏側に隠された新たな戦国像と、現代にも通じるプロフェッショナルの生き様に出会うことができる小説です。

 

家康と七人の忍び

家康と七人の忍び

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もう一つの本能寺の変

本作最大の魅力は、「伊賀越え」そのものを物語の中心に据えた着眼点です。

本能寺の変を題材とした歴史小説では、信長の最期や光秀の謀反、中国大返しを成功させた秀吉が中心になることが圧倒的に多い。

家康が堺見物の最中に事件を知り、敵地同然となった畿内から三河を目指した伊賀越えは、歴史の流れを説明する一場面として語られる程度で終わることが少なくありません。

私自身も、伊賀越えについては歴史の知識として知ってはいたものの、一つの物語としてじっくり味わった経験はほとんどありませんでした。

改めて考えてみれば、伊賀越えは決して脇役の出来事ではありません。家康が途中で命を落としていたなら、徳川幕府は誕生せず、日本の歴史そのものが大きく変わっていた可能性すらあります。

本能寺の変が歴史を揺るがした事件だとすれば、伊賀越えはその混乱の中から新たな時代を決定づけた出来事だったと言っても言い過ぎではありません。

本能寺の変は、一人の英雄が倒れた物語であると同時に、別の英雄が生き延びた物語でもあります。本作は、その後者に焦点を当てた作品なのです。

歴史は勝者によって語られると言われます。しかし、勝者になるためにはまず生き残らなければなりません。当たり前のことではありますが、歴史小説では見落とされがちな視点かもしれません。

本作は「生き残る」という行為そのものを物語の中心に据えることで、戦国時代の本質を描こうとしているのだと思います。

戦国時代というと、華々しい合戦や城攻め、武将同士の知略戦に目を奪われます。しかし、一人の大名が無事に自分の国へ帰ることもまた、国家の命運を左右する重大な事件です。

伊賀越えとは単なる逃避行ではなく、徳川という政権を未来に運ぶ行動だったことが実感できます。その意味で、伊賀越えだけを一本の長編小説として成立させたことが非常に興味深いです。

限られた時間と空間を舞台にしながら、忍びたちの知略、判断力、互いへの信頼を積み重ねることで、歴史小説というよりサスペンス小説にも近い緊張感を生み出しています。

興味深かったのは、史実と創作の距離感です。伊賀越えには当時の記録が少なく、実際に何が起きたのかはっきりしない部分も多いのが実情です。

その空白を埋めることこそが小説家の腕の見せどころですが、著者の佐藤賢一氏は七人の忍びという存在を配置することで、圧倒的な説得力を与えています。

読者は史実そのものを読んでいるのではなく、「こうだったかもしれない」という物語を読んでいるのですが、不思議とそれが自然に受け入れられます。

史実をねじ曲げるのではなく、史実が語らない部分を豊かな想像力で補っていく。歴史小説ならではの醍醐味を存分に味わうことができます。

改めて実感したのは、戦国時代における忍びたちの役割の大きさです。忍者というと、手裏剣や忍術を操る娯楽作品のキャラクターとして描かれることが多い。

本作の忍びたちは、そうしたイメージとは一線を画しています。彼らは、現代で言えば総合情報戦のプロフェッショナルとして描かれているのです。

敵の様子を知ること、味方を安全に導くこと、危険を事前に察知すること。どれもが勝敗を左右する重要な仕事であり、忍びたちはまさに情報戦の最前線に立っているのです。

その事実をエンターテインメントとして楽しませながらも、歴史の見方そのものを少し変えてくれる力を持っています。

一方で、本作を読み終えて感じたのは、歴史とは誰を主人公にするかでまったく違う物語になるということです。

これまで本能寺の変を描いた数多くの作品を読んできましたが、そのほとんどは信長、光秀、秀吉という歴史の表舞台に立つ人物の視点でした。

本作では七人の忍びという、歴史の裏側を支えた人々が主人公になります。同じ歴史を描いていても、視点が変わるだけでまったく新しい物語として立ち上がります。

歴史には主役だけでなく、その主役を支えた無数の名もなき人々がいます。その裏方に光を当てることで、戦国時代をより立体的に描き出しているのです。

その視点は単なる歴史の補足ではなく、歴史は英雄だけがつくるものではないという普遍的なテーマへとつながっていきます。

本作は伊賀越えを描いた小説であると同時に、歴史の語られ方そのものを問い直す作品でもあるように思えます。

 

「忠義」へ変わる忍びの過渡期

最も印象に残ったのは、忍びの見方が大きく変わったことです。忍びは金で雇われる者という印象が強い。忠義よりも契約を重んじる存在として描かれることが多いものです。

戦国時代は主君が次々と入れ替わり、勢力図も刻一刻と変化する時代です。その中で、一人の主人へ絶対的な忠誠を誓うことは、むしろ現実的ではないとさえ思えます。

しかし、本作の七人は明らかに違います。彼らは報酬のためではなく、家康という一人の人間を守るために命を懸けるのです。

もちろん報酬という要素は存在するものの、行動の根底には忠義や信頼があります。家康が生き延びることが、自分たちの使命であり、生きる意味であるかのような覚悟すら感じられます。

だからこそ、彼らはどこか忍びらしくないのかもしれません。本来の忍びであれば、感情を捨て、任務だけをこなすことが理想だったはずです。

ところが七人は仲間を思い、家康を案じ、自分の危険を顧みません。その姿は、冷徹なスパイというより、一人の主君へ忠義を尽くす武士に近いものがあります。

その忍びらしくないことが、最大の魅力だと感じます。本作が描いているのは単なる七人の活躍ではなく、忍びという存在そのものが大きく変わろうとしていた時代だからです。

戦国時代は、各地の大名が覇権を争い、裏切りも寝返りも日常茶飯事です。そのような世界では、情報を売り、依頼を受け、その都度仕事を請け負う忍びの存在は合理的です。

しかし、本能寺の変を境に時代は次第に天下統一へ向かい、誰に仕えるかがこれまで以上に重要な意味を持ち始めます。

忍びたちが金のために働く者から、一人の主君のために働く者へ変わっていく過渡期を描いているようにも読めるのです。

そう考えると、七人が家康へ寄せる忠義は、単なる美談ではありません。新しい秩序が生まれようとしていることを象徴しているようにも思えます。

一方で、別のことも考えさせられます。忍びは戦国時代において極めて重要な存在だったはずです。敵国へ忍び込み、情報を持ち帰り、人を護衛し、ときには戦の勝敗を左右する働きをします。

それにもかかわらず、歴史に名が残ることはほとんどありません。武将は戦いの手柄によって領地や家名を得ますが、忍びはどれほど功績を挙げても、その存在自体を隠されています。

忍びは成果を出すほど評価されにくい職業だったと言えます。歴史の表舞台に立つことなく、成功しても誰にも知られず、失敗すれば命を落とす。

その待遇や評価は、本当に彼らの働きに見合っていたのでしょうか。本作を読んでいると、そんな疑問が何度も頭をよぎります。

七人が武力だけではなく、情報も武器としていることも興味深い。敵がどこにいるのか、どの道を進めば生き残れるのか。情報を誰よりも早く手に入れ、正確に判断する者が生き残るのです。

本作に登場する忍びたちは、情報を扱う専門家として描かれています。現代の諜報機関や情報分析官にも通じる存在であり、時代劇特有の特殊な職業ではないことが分かります。

だからこそ、七人は魅力的なのです。彼らは超人的な忍術を使うヒーローではありません。経験と知識、観察力、仲間との信頼によって困難を切り抜けていきます。

一方で、物語として見ると、七人があまりにも優秀すぎることには少し物足りなさも感じます。

絶体絶命と思われる危機が何度も訪れるものの、そのたびに優れた能力で切り抜けます。安心して読める面白さはありますが、同時に予定調和にも映ってしまうのです。

失敗や葛藤、あるいは苦渋の選択によって乗り越える場面がもう少し多ければ、七人の忠義や覚悟はさらに際立ったかもしれません。

魅力的な人物たちだからこそ、成功だけではなく、人間としての弱さや迷いももう少し見てみたかったという思いが残ります。

 

今村・和田作品との「贅沢な差」

テンポは軽快で読みやすく、七人それぞれに見せ場が用意されているため、一気読みしたくなる魅力があります。

歴史小説というと、時代背景や人物関係の説明が長く続き、読み始めるまでに少し身構えてしまう作品も少なくありません。

本作は、家康一行の逃避行という明確な目的が最初から最後まで一貫しているため、迷うことなく物語へ入り込むことができます。

一つひとつの場面は映像的で、敵味方の駆け引きや忍びたちの連携も分かりやすい。一本の映画を観ているようなテンポの良さがあり、娯楽作品としての完成度は高いと感じます。

一方で、読み終えた後には少しだけ物足りなさも残ったのが正直なところです。私自身、近年の歴史エンターテインメント小説では今村翔吾や和田竜の作品を多く読んできました。

作家ごとに目指す作品世界は異なるため、単純な優劣を論じることはできません。それでも読後の余韻を比較すると、両者との違いは決して小さくないと感じます。

今村翔吾の作品には、一人の人物を描きながらも、その背後には戦国という巨大な時代のうねりが常に感じられます。

名もなき人々の生活、各地の大名たちの思惑、政治や経済まで含めた社会全体が息づいており、一冊を読み終える頃には戦国時代そのものを体験したような感覚が残ります。

和田竜の作品は、史実に大胆なエンターテインメント性を加えながら、人物同士の掛け合いや心理描写によって読者を惹きつけます。

笑いと緊張感のバランスが巧みで、終盤へ向けて一気に物語が盛り上がっていく高揚感は、エンターテインメント小説ならではの魅力と言えます。

それと比較すると、本作は伊賀越えという一点に焦点を絞ったことで、物語の密度は高まっている反面、戦国という時代全体の広がりはやや抑えられている印象を受けました。

もちろん、作者が意図した構成なのでしょう。テーマを一つに定め、その出来事を徹底的に描くという姿勢は作品として一貫しています。

しかし、本能寺の変という日本史最大級の転換点を背景に据えながらも、歴史の激動が物語全体へ押し寄せてくる感覚は、それほど強くありませんでした。

光秀が天下を狙おうとした思惑や、秀吉が驚異的な速度で中国大返しを成し遂げる裏側、各地の戦国大名たちがこの政変をどう受け止めていたのか。

そうした大きな歴史の流れがもう少し織り込まれていれば、家康の逃避行はさらに切迫感を帯び、伊賀越えという出来事の歴史的意味も一層際立ったのではないかと思います。

先ほど触れたように七人の忍びが非常に優秀であるがゆえに、危機を危機として感じにくい部分もありました。

きっと今回も乗り越えるだろうという安心感を抱きながら読み進めることになるため、手に汗握るような緊張感はやや薄めです。

読者は彼らの失敗を心配するというより、今度はどんな方法で困難を切り抜けるのだろうという期待を抱いてページをめくることになります。

この作品はサスペンスというより、プロフェッショナルの仕事ぶりを楽しむ物語として読むべきなのかもしれません。

何より、他の戦国小説にはない個性があります。戦国史の一断面を丹念に掘り下げることで、歴史の主役ではない者たちが歴史を動かしていたという事実を浮かび上がらせた点です。

戦国時代を上から見渡す作品ではなく、一つの出来事を顕微鏡で覗き込むように描いた作品だからこそ得られる面白さが、確かに存在していました。

 

終わりに:英雄だけが歴史ではない

『家康と七人の忍び』は、本能寺の変の陰に隠れがちだった伊賀越えを正面から描いたことで、戦国史の見え方そのものを変えてくれる作品でした。

七人の忍びの活躍を通して、歴史は表舞台の英雄だけでなく、その陰で命を懸けた無数の人々によって支えられていたことを改めて実感させられます。

忍びという存在が、金で働く者から主君に仕える者へと変わりゆく時代の転換点を描いた物語として読める点も興味深いです。

一方で、七人があまりにも優秀で危機感が薄れたことや、戦国という大きな世界観をもう少し味わいたかったという思いも残りました。

エンターテインメント性では今村翔吾や和田竜の作品に一歩譲る印象はあるものの、伊賀越えという歴史の一断面をここまで丁寧に掘り下げた作品は貴重だと思います。

本能寺の変を知るすべての読者に、新たな視点を与えてくれる一冊です。

 

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