第4巻「シルクロード」は、とにかく移動に次ぐ移動ばかりでした。その国々の深層にまで踏み込むほどの熱意や興味をあまり感じていないようでした。著者の比較対象は、香港になってしまっているようです。香港のような興奮を感じさせてくれない場所には惹きつけられない。その結果、パキスタン・アフガニスタン・イランは、長居せずに通り過ぎただけの印象になってしまいました。果たして、現実に香港以上の魅力がないのか。それとも香港を出て旅を続ける内に、著者の感性が変化してきたのか。私としては馴染みのない国だけに、もう少し深いところを知りたかったところですが。
第5巻では、トルコとギリシャの旅です。ギリシャをフェリーで出発し、イタリアに向かう途上で終わります。その中でも、特にトルコを中心として描かれています。ヨーロッパとアジアを隔てる国「トルコ」。アジアが終わり、ヨーロッパが始まる。旅が劇的に変化する瞬間なのかもしれません。
「深夜特急5」の内容
アンカラで〈私〉は一人のトルコ人女性を訪ね、東京から預かってきたものを渡すことができた。イスタンブールの街角では熊をけしかけられ、ギリシャの田舎町では路上ですれ違った男にパーティーに誘われて。ふと気がつくと、あまたの出会いと別れを繰り返した旅もいつのまにか〔壮年期〕にさしかかり、〈私〉は、旅をいつ、どのように終えればよいのか、考えるようになっていた。【引用:「BOOK」データベース】
第十三章 トルコ
文庫「深夜特急5」の半分以上をトルコの旅が占めています。ここで初めて明かされることがあります。この旅には、唯一ひとつだけ目的があったということです。もちろん、デリーからロンドンまで乗り合いバスで行くという根本的な目的は別にしてです。アンカラでひとりのトルコ女性と会う。磯崎夫妻の妻のメッセージを、その女性に届ける。それだけと言えばそれだけなのですが。なので、必ずアンカラに寄らねばならない。
トルコに入って最初に訪れた街エルズルム。そこから、アンカラまでの道のりをどうするか。その行程を、「黒海を見たい」と言う理由だけで、黒海沿いのルートを選びます。相変わらずの気分まかせです。それが著者の旅らしいところでもあります。黒海沿いにある街トラブゾンに行き、アンカラに近い街サムスンまで船に乗ろうとし、金曜日まで出港しないことが発覚します。今は月曜日。そこで、急遽、移動手段をバスに変更。
その当たりの柔軟性も著者らしい。
トラブゾンでの短い滞在は、とても穏やかなものに感じます。街を歩きカメラを構えれば、みんなカメラの前で姿勢を正す。カメラ好き、記念写真好きの街の人々のフレンドリーな感じは、訪れてみたい印象を与えます。そんなトラブゾンから、バスに乗りアンカラに移動します。唯一の目的を果たすために。
アンカラでは、磯崎夫人から預かってきたメッセージをトルコ女性ゲンチャイに手渡すことから始めます。磯崎夫人からゲンチャイの情報を与えられていたので、それほど苦労せずに出会います。少し拍子抜けしてしまいます。ゲンチャイと街を歩き、彼女とのわずかな交流とアンカラの街の観光。それだけで、著者はアンカラにこれ以上いる意味はないと考えます。ゲンチャイと過ごした時間が著者を満足させてしまったのか、アンカラの街に魅力がなかったのか。
ただ、著者が充分だと感じたことは確かであり、アンカラの街に否定的な感情を持った訳ではなさそうです。そして、アジアとヨーロッパを区切る街イスタンブールへ。 著者が描くイスタンブールは、美しい街であるとともに親切な人に溢れているように感じます。しかし、その一方で熊を使ったぼったくりがあったり、いかさまを使った賭け事があったりもした。美しく居心地のいいイスタンブールの裏側で、猥雑で不穏な一面も持ち合わせている。それが、著者の心に魅力的に映ったところもあるのでしょう。
イスタンブールの日々を楽しむ内に、旅の終わりを意識してしまいます。ヨーロッパに近づいているためかもしれません。まだ、旅を終わらせることに納得できない著者は、とにかく前に進むことを考えたのでしょう。とにかくギリシャに行こうと。
第十四章 ギリシャ
とにかくギリシャに行く。それだけで移動を開始したのだから度胸があります。アテネを目指すとしても、その行程もあまり決めているようでなさそうです。そのためか、国境で入国していきなりのトラブルです。入国したはいいが、移動するバスが翌日までない。国境事務所で夜を明かそうとしているところに、よく分からない若者グループの車に同乗させてもらうことになる。先行きが、全く予想できないギリシャの旅が始まっていきます。
何とかアテネまでたどり着くことが出来たが、着くと同時に違和感を感じ始める。その違和感の正体も分からないまま、アテネをうろつき歩く。違和感の正体は一体何か。
それは、アジアからヨーロッパへと来たこと。それが違和感の正体ではないかと感じます。違和感を感じるのは、アテネだからなのか。ギリシャ全てなのか。ギリシャだとすると、これから訪れる国々の全てに違和感を感じることになってしまいかねない。それを確かめたい。そこで彼が取った行動。ギリシャの違う地に行くこと。その行き先が、ペロポネソス半島です。
私は、スパルタとオリンポスぐらいしか知りません。どういった土地なのかもよく知りません。知っていることと言えば、田舎と言うことぐらいです。なので、ここでの著者の旅はとても新鮮で興味深いものでした。そこに暮らす人々との出会い。風景。ペロポネソス半島の旅で、今まで感じていた違和感の正体を感じ取ります。土地が変わったことや自分が変わったせいでなく、旅自体が変わったのではないかと感じ始めます。
旅の終わり方を考え始めなければならないと考えるようになります。旅が終りに近づいた証拠なのかもしれません。
第十五章 地中海からの手紙
手紙の形式の章は、第八章「カトマンズからの手紙」以来です。ペロポネソス半島からイタリア・ブリンディジへと向かう船の上での話です。船の上での過ごし方が描かれていますが、それ以上に著者の心の内を描いています。今までの旅を振り返りながら、旅の危うさを考えます。その危うさは、シルクロードにおいて起きることのようです。
著者はアジアでの旅を終え、ヨーロッパへと足を踏み入れました。彼にとっての旅は、すでに終わってしまった。もう二度と同じような旅は出来ない。そのことが、彼を感傷的にします。手紙にも、その有り様が描かれています。旅の終わりは近い。物語の端々に、そのことを感じさせます。