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『誰か』:宮部みゆき【感想】|家族だからこそ逃れられない

都会の夕焼け

 杉村三郎シリーズの第一弾。読者は杉村三郎の視点を通じて、事件の真相に迫っていきます。杉村三郎は普通のサラリーマンです。特別な能力を有していないので、彼の視点で描かれる世界は馴染みやすい。彼が考えていることも共感しやすい。謎が輻輳していても読みにくいことはなく、どんどん先に読み進めます。先が気になって仕方ないということもありますが。

 謎は結末で収束し、事実が明かされる。途中で気付いてしまう謎の答えもありますが、それでも最後まで引き込まれてしまいます。 

「誰か」の内容 

今多コンツェルン広報室の杉村三郎は、事故死した同社の運転手・梶田信夫の娘たちの相談を受ける。亡き父について本を書きたいという彼女らの思いにほだされ、一見普通な梶田の人生をたどり始めた三郎の前に、意外な情景が広がり始める―。【引用:「BOOK」データベース】 

「誰か」の感想

が増える

 ミステリー小説ですが、当初、大きな謎はありません。梶田信夫が亡くなった自転車ひき逃げ事件は事故としか考えられず、ひき逃げされたことで事件化されたに過ぎません。梶田の娘たちに会うまでは、それほど深刻な話ではない。亡き父の人生を書いた本を作りたい理由も納得出来ます。目的のひとつにひき逃げ犯人を探し出すことが含まれていることも理解できます。聡美が梨子に隠している梶田の過去が杉村に告白された時に謎が出始めます。ひき逃げ犯人が誰かという謎もありますが。

 探られたくない過去がある。そのことが語られるだけで、いろいろな想像が頭の中を駆け巡ります。真面目で口の堅い梶田の過去に一体何があったのか。聡美の話からは、過去の断片しか語られません。梶田の負の面ばかりが強調された断片は、彼の過去に相当の闇の部分があったように予想させます。聡美が語った誘拐事件が、その予想を強めます。

 その一方、彼女の心配性な性格が過去の記憶を改竄しているだけではないかという余地も残しています。誘拐事件が起こったということを、過去の事実として確定していません。誘拐事件の有無次第で、物語の行き着く先は全く違うものになります。事実ならば、過去の掘り起こしは危険を伴います。事実でないなら、梶田の過去の闇を晴らせる。

 梶田の過去を追っていくほどに、新たな謎が増えていきます。姉妹の関係性も徐々に明らかになっていき、彼女たち自身も何かを隠していることが分かってきます。梶田の過去の謎だけでなく、現在、彼女たちが抱えている謎も加わり輻輳します。一般人である杉村が探れる内容は限られている。だからこそ、余計に謎が複雑化していきます。人の過去を探っていくのはとても難しい。 

間関係の表と裏

 ミステリー小説でありながら、それ以上に人間ドラマとしての側面が大きい。梶田姉妹が抱く父の過去がそれぞれ大きく異なっているから、彼女たちの意見も違ってきます。梶田の過去の謎は別にして、父の過去を知っているかいないかで父に対する思いが変わってくるのは当然です。結果として彼女たちの行動の指針も変わるし、意見の対立も生まれることも自然です。ただ、文章の端々に何か違和感を感じさせるものがあります。

  • 彼女たちの対立の原因は、父以外にもあるのではないか。
  • お互いに何かを隠しているのではないか。

 明確に描かれることはないのですが、単なる意見の違いに止まらない不穏さがあります。父の本を出したい梨子と過去を探らせたくない聡美。聡美の思いは梨子を思いやっているように見えます。梨子の父に対する思いとひき逃げ犯に対する憤りも真っ直ぐな気持ちに思えます。その思いに偽りはないのだろう。ただ、姉妹の間にはもっと複雑な感情の絡まりを感じさせます。

 どれほど仲が良さそうな人間関係であっても、人の心の奥底は見えません。自らが気付いている心の闇のみならず、気付かずに潜んでいる闇もあります。彼女たちは姉妹という逃れられない関係があります。関係を清算することは出来ません。杉村の調査の過程で交わされる聡美との会話。梨子との会話。その温度が徐々に変わっていきます。梶田の過去を調査するにつれ、姉妹の心の奥底が垣間見えてきます。杉村を媒体に、聡美と梨子の本心が徐々に描かれます。彼女たちの本心と行動は、物語の最も重要な謎のひとつです。謎を描きながら、梶田姉妹の関係性を描いている人間ドラマです。  

と内

 杉村三郎自身は一般的な会社員です。妻の菜穂子が裕福ですが。超富裕層と一般人が同じ世界で生きていくことは不自由なことなのだろうか。彼ら夫婦はとても幸せそうに見えます。お互いに愛情を有しているし、娘に対しても多大な愛情を注いでいます。それでいながら、どこか不安定さを隠しきれない。杉村三郎が家庭を維持するために耐えている事柄があることに不安定さを感じます。

 お金と愛情は、本来関係づけるものではありません。ただ、お金がないことにより破綻する愛情があります。逆にお金が有り過ぎることにより不具合を生じる愛情もあるのだろうか。彼にとって、菜穂子と彼女を取り巻く環境はあまりに非現実的な世界です。折り合いを付けているようですが、どちらかと言えば我慢しているように感じます。自分の意見を言ってしまえば、壊れてしまうほど脆い家庭なのだろうか。住む世界が違う人間が一緒に生活するのは、これほど不自由なものなのだろうか。癒されるべき家庭で、彼は不在感を抱き続けているように感じてしまいます。梶田姉妹の不幸と彼の幸せは、それほど距離が離れていないのだろう。  

終わりに

 ひき逃げ事件から始まった物語は、意外な方向に向かい収束します。事件は解決しますが、物語の本筋はすでにひき逃げ事件から乖離しています。思わぬ方向に展開していく物語にページを捲る手が止まりません。

 ただ、結末は重苦しくミステリー小説らしい爽快感はありません。ミステリーでなく人間ドラマだと感じる理由もそこにあるのでしょう。