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『かがみの孤城』:辻村深月【感想】|居場所はひとつではない。どこにでも・・・

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 2018年本屋大賞受賞作です。

 「かがみの孤城」は本屋大賞を受賞し、様々なメディアで高い評価を受けています。もともと彼女の作品は注目されますし、その分、世間の評価のハードルは高くなります。そのハードルの高さを一気に飛び越えるほどの素晴らしい作品です。

 私が知っていたのは、不登校の中学生を主人公にした小説ということだけです。不登校を題材にして問題提起を行っている小説なのかな、と思っていました。もちろん不登校が物語の根底にありますが、もっと大きな視点で描かれていると感じます。重要なのは、彼女たちの心です。不登校に至るまでの辛さ、現在の苦悩、これから先の不安。不登校の中学生たちの心象を繊細かつ生々しく描いています。彼女たちは、不登校児と一括りされるような単純な存在ではありません。 

「かがみの孤城」の内容

どこにも行けず部屋に閉じこもっていたこころの目の前で、ある日突然、鏡が光り始めた。輝く鏡をくぐり抜けた先の世界には、似た境遇の7人が集められていた。9時から17時まで。時間厳守のその城で、胸に秘めた願いを叶えるため、7人は隠された鍵を探す―【引用:「BOOK」データベース】 

「かがみの孤城」の感想

え難い現実から

 物語は、安西こころの視点で描かれます。入学後すぐに学校に行けなくなってしまった中学1年の女の子です。彼女が学校に行けなくなった理由は徐々に語られていきますが、彼女にとっては相当に辛い出来事です。学校に行けなくなるのも分かります。最も理不尽なのが、彼女に非がないことです。しかし、非がなくても誰かを悪者にすることが出来てしまうし、悪者になってしまう。自分が悪くないのに学校に行けなくなることに、心が詰まる思いです。

 こころはかなり悪質な行為によって追い詰められていきます。無視されたり仲間に入れてくれなかったりでなく、積極的にこころに攻撃を加えてきます。その悪質さに気持ちが悪くなります。何故、自分が学校に行けなくならないといけないのか。納得できない思いが常に頭に渦巻くはずです。外に出ることにも恐怖を覚えるようになってしまった自分はどうなってしまうのか。出口の見えない迷路に迷い込んだ思いでしょう。自分の味方はだれなのか。果たして味方はいるのか。その不安に潰される日々だったはずです。

 両親も、学校に行かないことが普通でないと思っています。味方であるはずの両親ですら、こころの状況が普通でないと感じてます。普通でないと思われることで、こころと両親の距離は広がっていく。彼女は家でも追い詰められていきます。彼女を襲った理不尽な出来事が彼女の心にどんな影響を与えたのか。 

こころの心象はあまりにリアルで読んでいて苦しい 

 鏡の城に集められたのは、こころを含めて7人。リオン・マサムネ・スバル・ウレシノの男子4人。アキ・フウカ・こころの女子3人。一人を除いて、学校に行っていない中学生たちです。彼らも学校に行けない理由があります。視点がこころなので、彼女のように主観的に描かれる訳ではありません。こころを通じて描かれます。しかし、こころという少女の存在が心に響けば、彼女を通して知る彼らの理由は重みを持って伝わってきます。 

アルな感情

 7人が異世界の鏡の城に集められる。閉じ込められる訳ではありませんが、著者の「冷たい校舎の時は止まる」を連想させます。ただ「冷たい校舎・・・」は視点が入れ替わります。登場人物それぞれの視点を交代させながらストーリーが進んでいきます。  

  本作の視点はこころです。こころがアキたちの記憶を覗いた時と「閉城」「エピローグ」で少しだけこころの視点から離れますが。心象が描かれるのは彼女だけと言っていいかもしれません。残りの6人は心象が描かれるのではなく、彼らの口から感情が語られるに過ぎません。その語られた感情をこころが受け止め、彼女の心象として伝わってきます。こころの心がリアルで詳細で共感できるものであれば、アキたちの気持ちもリアルに感じます。何故なら、こころの感情として受け止めることになるので。

 こころは中学生です。考え方や受け止め方が常に同じとは限りません。アキたちに接する度に、彼女たちに対する意識や受け入れ方が変わります。そのことが、こころの感情をよりリアルにします。人の心は揺れ動くものですし、それでなくてもこころは不安定な環境にいます。 

著者は、どうしてここまでリアルに中学生の気持ちを、心の機微を描くことが出来るのでしょうか

 中学生だけではありません。こころの両親の心情も伝わってきます。大人は自分の感情を表に出すことはあまりありません。だから、こころが大人の心の内を想像します。母親の微妙な変化から、母親の心情を理解しようとします。こころを通して見る人々は、彼女の心のフィルターを通しています。だからと言って一方的な見方になる訳ではありません。逆にこころの不安定さを通して、彼女を取り巻く人々の不安定さが増幅されている気がします。  

「みんな」と「ふつう」

 「みんな」の中で「ふつう」にいること。こころが望んでいたのは、それだけだったのかもしれません。たったそれだけのことを壊されてしまった彼女の苦しみは計り知れない。鏡の城に集まった7人はそれぞれに環境は違うが、同じような苦しみを抱えているのでしょう。それなのに、鏡の城の中でも「みんな」と「ふつう」が付きまといます。それも無意識のうちに。

 こころはウレシノが取った行動に嫌悪感を抱き、彼が学校に馴染めない理由をそのせいにします。ウレシノのことをあまり知らないのに、こころが勝手に彼を評価してしまいます。こころは学校で故意に排除されました。しかし、鏡の城ではこころが無意識のうちにウレシノを排除しようとします。「みんな」と「ふつう」は、それほどまでに恐ろしい言葉なのだと感じさせます。

 「みんな」も「ふつう」も、悪い印象を与える言葉ではありません。しかし、その影にはそこに含まれなかった人たちのことを抹消しようとする怖さがあります。もちろん、考え過ぎかもしれません。ただ、言葉はある時に強力な力を持つことがあります。こころは、ウレシノをそんな風に評価したことを後悔します。そのことが救いです。間違えたことを正すことに遅すぎることはありません。ただ気付くかどうかなのだと。  

は誰?

 果たして敵は誰なのか。自分に危害を加える人を敵とするなら、自分を守ってくれる人が味方なのでしょう。こころの敵は、自分を学校から追い出した同級生です。また、担任教師もこころを理解しようとしないので敵に映ります。味方の存在を探そうとしたこころが辿り着いたのが、フリースクールの喜多嶋先生です。彼女が味方だったことで両親もこころの寄り添うことが出来るようになります。大人と子供が分かり合えないという構図は、この小説では存在しません。分かり合えない者同士は分かり合うことはないのだろう。しかし、分かり合うことが出来る人は必ず存在します。 

人の関係を敵味方で区分するのがいいことかどうかは別ですが 

 鏡の城にいる7人は味方同士なのだろう。私は、味方より仲間と言う表現の方が似合っている気がします。感覚的な問題ですが。  

の城の謎

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 異世界と現実世界の両方を舞台にした物語。異世界の鏡の城で与えられたミッションが「願いの部屋」に入る「鍵」を探すことです。見つけ出したたった一人の願いを叶えることが出来る。願いを叶えるのが一人ということと叶えれば記憶を無くすということが、こころたちを悩ます原因になります。当初、それは重要な要素として存在していない気がします。こころたちを悩ませ心を揺らす原因として、現れては消えを繰り返しています。こころたちの心の機微を表現するための要素かと思っていたら、物語の行く末を決定付ける最も重要な要素であることが分かります。

 終盤、鏡の城で起こった悲惨な出来事。そこからはページを捲る手が止まりません。ミステリーなので、これ以上書きませんが、城の存在そのものの意味を知った時、感動が心を揺さぶります。 

終わりに 

 人の心は複雑です。その中でも中学生はまだまだ不安定な心を有しています。そんな不安定で揺れる心を、どうしてこんなに的確に表現できるのだろうか。著者の力量に、ただ感服します。 「閉城」で明かされた謎の答え。こころたちはどこから来たのか。城は何故存在したのか。様々なことが繋がっていきます。「エピソード」で描かれた城を去った後の話が、城で過ごした1年間の重みを伝えてきます。感動が2回巡ります。

 本屋大賞受賞作だから読んだ方がいいとは言いません。ただ純粋に、読んでほしい。そう思います。