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『遠まわりする雛』:米澤穂信【感想 後半】|奉太郎たちの一年間の軌跡

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 【感想 前半】に続く、後半の四短編の感想です。

「遠まわりする雛」の内容

省エネをモットーとする折木奉太郎は“古典部”部員・千反田えるの頼みで、地元の祭事「生き雛まつり」へ参加する。十二単をまとった「生き雛」が町を練り歩くという祭りだが、連絡の手違いで開催が危ぶまれる事態に。千反田の機転で祭事は無事に執り行われたが、その「手違い」が気になる彼女は奉太郎とともに真相を推理する―。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「遠まわりする雛」の感想  

あたりのある者は

 時期は「クドリャフカの順番」の後ぐらい。登場人物は奉太郎と千反田だけです。奉太郎が自身の推理能力を自覚しつつ、モットーとは相容れないことにジレンマを感じている頃でしょうか。千反田は奉太郎を高く評価していますが、奉太郎としては評価されては困ります。運の良いやつで大したことがない程度の評価でいたい。その立場をひとつの校内放送からの推理で証明します。本短編では、奉太郎は安楽椅子探偵です。

 そもそもゲームに乗ることがモットーに反する気もしますが、モットーの後半部分と考えれば納得できます。

十月三十一日、駅前の巧文堂で買い物をした心あたりのある者は、至急、職員室柴咲のところまで来なさい 

 この校内放送から一体何が導き出されるのか。全くゼロではありませんが、放送から得られる情報は少ない。少ない情報からどれだけ論理的で破綻しない解を求められるのか。

 奉太郎の推理は必ずしもスムーズに解に向かう訳ではありません。千反田の意見や疑問によって補正されていきます。二人のコンビネーションの良さも感じます。

 推理は進みますがどんどん非現実的になります。論理的であるからといって事実とは限りません。あくまでゲームなので、多くの答えの内のひとつを提示しただけに過ぎない。奉太郎が真剣になっていくことが大事なのでしょう。当初の目的は、自身が大したことのないやつだと証明することだったはずですが。

 推理の解答(答え合わせ)はありません。奉太郎の推理能力も大事ですが、彼の気持ちの変化がより大事なのでしょう。理由はどうあれ積極的になっています。

 翌日にニュースで流れる事件と校内放送の関係を明確にしていません。奉太郎の推理が正しいと明言していない。校内放送との関係が説明されないので偶然かも。ただ、こんなニュースが流れるのだから運がいいのかもしれないし、当たっているのならまさしく「瓢箪から駒」です。 

 

きましておめでとう 

 奉太郎と千反田が初詣に行きます。彼らが向かう荒楠神社には摩耶花が巫女のアルバイトに行っています。そうなれば当然里志も登場します。古典部全員が揃います。

 デートという意識があったかどうかまでははっきりしませんが、千反田は奉太郎に着物を見せたいし一緒に初詣に行きたいのでしょう。奉太郎は着物を見て「似合っている」の一言が言えません。言うことを意識するのだから、彼女に対する意識も一年近く経って変わってきたということです。

 千反田には別の用件もあり、こちらは重要な仕事です。父の名代として荒楠神社に挨拶することです。千反田は千反田家を背負っています。家に対する考え方や覚悟が垣間見えます。そのことは「遠回りする雛」でもう少し明確になります。

 物語は、あるきっかけで二人が納屋に閉じ込められることで動きます。誰にも気付かれずに脱出しなければなりませんし、時間は限られています。千反田家を背負っているのであらぬ噂を警戒して助けを呼ぶことを躊躇します。千反田の家に対するスタンスを感じさせます。

 唯一の方法は、里志と摩耶花に助けを求めることです。あとは方法だけですが、なかなかうまくいきません。確実は方法はないので脱出する可能性を上げていくしかありません。信長とお市の方の小豆袋のエピソードが再び登場します。「正体見たり」で登場したエピソードは伏線だったのでしょう。

 結果的に作戦どおりに事が運びます。脱出劇も重要ですが、千反田の地域における存在感と責任を感じます。少なくとも千反田はその責任の一部を背負っています。これからの二人の関係性は千反田の家柄も影響していくのでしょう。

 

作りチョコレート事件

 里志と摩耶花が中心です。摩耶花が里志を狙っているのは公然の事実ですし、里志がはぐらかし続けているのも事実です。バレンタインのチョコレートを渡す行為の中に、里志の心中を深く描き出しています。事件の発端は一年前のバレンタインまで遡ります。因縁と言えるかもしれません。

 里志は、一年前、摩耶花が作ったチョコレートを「手作り」と認めず受け取らなかった。それだけが理由なら問題ありませんが、本当の理由はもっと深いところにあります。受け取ることは摩耶花の気持ちを受け止めることになりますが、里志には彼女の気持ちを受け止める覚悟がなかった。今年のバレンタインで手作りと言えるほどのチョコレートならば受け取らなくてはなりません。一年前と同じ断り方はできない。

 摩耶花からのチョコレートは里志の覚悟を試します。摩耶花のことが好きなら、一年前に受け取ることができたはずです。里志が態度を明確にせず保留し続ける理由は何か。さらに保留し続けるために里志が取った行動が、本短編のミステリーです。

 千反田が不在にした数十分の間にチョコレートは消えます。

誰が、何のために、どうやって。

 ミステリーの要素が詰まっています。「どうやって」が分かれば、「誰が」も分かります。「何のために」は犯人にしか分かりません。里志が摩耶花に好意を抱いていることは何となく分かります。どれほどの深度なのかが徐々に描かれます。態度の保留は覚悟の問題ではなく、里志の生き方や主義の問題です。それを覚悟と言っていいかもしれませんが。里志の主義は「こだわらないこと」です。

  • 物事にこだわらないこと
  • 摩耶花にこだわること

 どちらも望むことは自分勝手であり、摩耶花の存在はどこにあるのか悩みます。自身の主義の中に摩耶花の存在はあるのだろうか。自身の選択の中に摩耶花が不在であることに悩み、答えを出せずにいます。一年経っても答えは出せないままです。

 一方、千反田はチョコレートを盗まれ苦しんでいます。奉太郎は犯人を許せません。しかし、里志の心の内を聞くことで自分自身のことを考えます。里志が真剣であればあるほど奉太郎に考えさせます。チョコレート事件は奉太郎が自身の主義を考え、そこに千反田が存在しているかどうかを考えるきっかけになります。里志と摩耶花の関係は、奉太郎と千反田の関係にも大きく影響を及ぼすことになるでしょう。

 

まわりする雛

 表題作です。奉太郎と千反田の関係が変化していることを感じます。奉太郎自身の変化と千反田の姿がより見えてきたことによる変化です。古典部シリーズは奉太郎の視点で描かれることが多いが、中心には千反田の存在が欠かせません。千反田の思いと奉太郎の気持ちが描かれます。

 春休み、千反田家の近くの神社の「生き雛祭り」が舞台です。華やかな祭りの裏でどことなく寂しさを感じます。千反田の態度がそのように感じさせるのでしょう。

 橋が使えなくなりルート変更せざるを得ません。誰がトラブルを招いたか。何のために。これが奉太郎が解くべき謎です。一方、千反田は「気になります」とは言いません。祭りの前の緊張感からでしょうか。祭りが終わった後にようやく口に出します。

 ルート変更がもたらすトラブルに対処するのが千反田家の役目です。千反田は生き雛祭りの雛の役割だけを務めればいい存在ではありません。地域に対する千反田家の役割と彼女の覚悟が目に見えます。

 祭りの間の千反田は奉太郎が知っている千反田ではなく千反田家の千反田です。奉太郎を呼んだのは、千反田家の自分を見せるためです。見せることにより奉太郎がどのように受け止めるか知りたかったのかもしれません。千反田が奉太郎に好意以上のものを感じている証拠です。奉太郎に全てを見せた上で、自分との関係を考えてほしかったのでしょう。

 千反田は地元を素晴らしいものと感じていません。しかし、自分が返ってくる場所だと決めています。どういう過程を経ても、必ず戻ってくる場所です。生き雛祭りも神社から出発し神社に帰ります。どういうルートを通っても必ず戻ることは、千反田の人生を表しているのでしょう。千反田はすでにそういう人生を選んでいます。

 生き雛祭りを見せ、地元を見せ、自身の覚悟(思い)を伝える。奉太郎に一緒に来てほしいのでしょうか。何も言えない奉太郎は、まだ自分の意思で歩みだしていないのでしょう。

 奉太郎の気持ちも千反田に惹かれています。結末の二人の台詞に彼らの立場が表れています。

奉太郎「寒くなってきたな」

千反田「いいえ、もう春です」

 季節の変化で二人の変化に対する態度を示しています。同じ状況に居ながら、千反田は季節の変化を答えますが、奉太郎は変わりません。二人の距離を感じます。

 

終わりに

 ミステリーとしてはさっぱりしたものです。短編だから仕方ないかもしれませんが、見方によれば分かりやすく読みやすい。

 本作の本質は奉太郎たちの一年を描くことです。彼ら自身や関係性の変化を描いています。高校生の一年間はあっという間のようですが長くもあります。いろんな出来事が起きて濃密な時間です。変化は急激なものもあれば緩やかなものもあります。どちらにしても変化は人を戸惑わせます。会話であったり態度であったり行動であったり、彼らの心の内が様々な形で表出します。

 ミステリーとして読むよりは四人の内面を読んでいく感覚です。今後の奉太郎と千反田の関係はどうなっていくのか。里志と摩耶花の関係も。シリーズが続いていくことが楽しみになります。