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『宇宙の孤児』:ロバート・A・ハインライン【感想】|宇宙船の外側には・・・

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  こんにちは。本日は、ロバート・A・ハインライン氏の「宇宙の孤児」の感想です。 

 

 1963年に刊行された作品です。原題は「Orphans of the Sky」。「宇宙の孤児」という和訳は、本作の本質を言い表しています。また、どんな内容だろうと期待させる。
第一部の「大宇宙」と第二部の「常識」の二部構成です。
 刊行は1963年ですが、「大宇宙」「常識」とも発表されたのは1941年です。それぞれ中編作品として雑誌で発表されています。二編を合わせて、1963年にようやく「宇宙の孤児」として発刊されました。単行本化されなかった理由は当時の時代におけるSF作品の扱われ方の問題のようです。
 どちらにしろ、1941年は大平洋戦争も終結していません。ジェット機はおろかプロペラ機の時代です。宇宙に人類が出ていくことをリアルに考えている人たちは極めて少ないだろう。想像したとしても、論理的かつ説得力のある文章で表現するのは難しかったのではないだろうか。
 本作で、宇宙に出た目的やどのようにして宇宙船は動き維持されているか。全てを詳細に説明している訳ではありません。それを主人公たちが知っていくことが物語の主要なテーマになっているからです。しかし、彼らの日常生活の端々に、宇宙船であることと彼らの生活が維持される仕組みが現れます。彼らが宇宙にいることが説得力を持って伝えられます。
 物語は単なる宇宙旅行の話ではなく、登場人物たちの行動と思考がメインです。真実を知った時、人はどのように理解し行動するのか。自分自身だったらどうするか。いろいろ考えさせられます。 

「宇宙の孤児」の内容

人々は、森、農場、廃墟、迷路などがある〈船〉が世界のすべてと信じて、種族ごとに生活を営んでいた。だが、この〈船〉は、遠い昔に人類がはじめて送り出した恒星間宇宙船だったのだ! 

航行途上の反乱で航宙士のほとんどが死に絶え、長い年月のうちに〈船〉は中世的迷信の世界に変貌してしまっていた。しかし、ある日、一人の若者が〈船〉の中を探検しはじめ、真相を明らかにしょうとする。

 

「宇宙の孤児」の感想 

る必要と不必要

 反乱により宇宙船の多くの人々が死にます。宇宙船を運用する者。仕組みを知る者。旅の目的を知る者。宇宙船が置かれている状況を知る者がいなくなります。宇宙船は乗組員の手から離れてしまいます。

 何世代にも渡って目的を果たす旅なのに、初期の目的を知る乗組員は存在しなくなります。それでも宇宙船には旅を続けられる能力があります。乗組員の知識がなくても生命を維持し、生活が続けることができる。そのことが目的を忘れさせます。

 状況が完全に忘れ去られる訳ではありません。宗教やしきたりとして言い伝えられています。しかし、現実と捉えられません。人々は日々を営み、生きていくために必要なことだけ知っていればいいのであり、それ以外は求められない。

 反乱が起きた時、誰もが目的を知っています。科学者たちに反旗を翻したのは、多くを知る者たちが有利な立場に立ち、船を支配したからだろう。知る者に権限が集中するのは、いつの時代も変わりません。

 反乱が起きた後、残った人間は何を求めたのだろうか。旅の目的を忘れてしまう意図があったのだろうか。何世代に渡っても、必要なことは伝えられます。恒星間航行ができる時代です。宇宙船の機器を使えなくても、次の世代に真実を伝えることは可能だろう。 世代が変わり、船の中が世界の全てと信じられるようになるためには、そうするための意図が必要のはずです。

 一部の知識と技術を持つ科学者たちに船の権限を握られていたために反乱が起きたとすれば、反乱者たちが同じように権限を集中させれば同じことが起きます。 だから、生きていくために必要な最低限の知識と技術だけを残そうとしたのだろう。

 結果として、それは成功したのだろう。物語の舞台では、誰もが現状を当たり前と思っています。転換炉を使えても、何故、それがあるのかを理解していません。ただ、そこにあるものとして運用しています。 反乱者たちは目的を果たし、なおかつ新しい世界を作り上げます。知る必要のあることは伝え、知る必要のないことは次の世代に伝えない。

 不必要なことを確実に消してしまうことで、新しい世界を築くことに成功します。 それでも宗教や言い伝え、使われる言葉の端々に過去の真実が残されているのは、忘れてはならないという逆の意識も働いたからかもしれません。

 

ざされた社会

 宇宙船の中だから物理的に閉ざされています。しかし、外に世界があると知っているのと知らないのでは意味が全く違います。 宇宙船の中が全てだと信じていれば、世界は閉ざされていません。外側から隔離されているからこそ、閉鎖されていると感じるからです。

 反乱から年月が経ち、船内が世界の全てになります。宇宙は忘れ去られ、新しい社会が作られます。現実は閉ざされていますが、人々は閉ざされていると感じていないだろう。船内が世界の全てなのだから。

 船内は中世的な社会を形成しています。意図して形成したのか、自然と形成されたのか分かりません。 反乱後の船内は混乱を極めただろう。残された人々は途方にくれたかもしれません。しかし、残った人々は生きていかなければならない。生き続けるために作られた社会が中世を彷彿させる形になったのだろう。

 人々は職能によって階層化されています。全ての人々の平等よりも、それぞれの役割を果たすことが重要なのだろう。出自で一生が決まるほどの社会ではなさそうですが、人生の自由度も少なく見えます。 それが当たり前だと思っていれば当たり前になりますが。

 転換炉行きになったり、奇形の人間をミューティと呼び追放することも当たり前のことなのだろう。当たり前のことに疑問を持たなければ、普通の人々は平穏に生きられます。真実を知らなければですが。

 中世は現在ほど世界が広がっていません。小さなコミュニティで生活を完結させることができます。もちろんコミュニティで不足するもののために交易も必要です。しかし、恒星間航行の宇宙船は船内で全てが完結できるよう設計されています。

 中世的な社会は一番馴染むのかもしれません。 中世を意識させたのは、ハインラインの意図もあるのかもしれません。宇宙を見た主人公ヒュウが真実を知らしめようとする姿は、ガリレオの地動説を思い出させます。人が抱いている固定観念を変えることは難しい。ガリレオと同じように語ることはできないが意識せざるを得ません。 

 

めるものの相違 

 自分自身が求めているものを、他人も求めているとは限りません。 ヒュウは船の外側(宇宙)の存在を知った時、自分たちの真の目的を知ります。彼は真実を知ることを求めていましたが、世界を揺るがすほどの真実があるとは想像していなかっただろう。

 足を踏み入れてはならない上層階にあるものやミューティ達について知りたかっただけかもしれません。 しかし、想像を越えた真実は、彼を根本から変えてしまいます。何故、我々が宇宙船にいるか。我々の目的は何か。知った以上は後戻りはできません。

 ヒュウは、真実を理解した人は同じ思いを抱くはずと思い込みます。だから、真実を知らせ、理解させることが重要だと考えます。それさえできれば、彼と同じように旅の目的を果たすために動くと信じます。 知らせる相手を慎重に選んだのは、真実を理解できるかどうかが重要だったからだろう。理解さえすれば、彼と同じように考えると信じた。

 しかし、人が求めるものは、人によって違います。旅の目的よりも、船内での立場と権力を求める者もいます。その人にとっては、現状を変化させる理由はありません。社会が円滑に存在し続ければいいのだろう。旅の目的を達成することに意味を見出だせないのも分かります。考え方の違いはどちらが悪いわけではありません。

 

終わりに

 地球に人類が住めなくなり、新しい惑星を探す必要がいずれ出てくるのだろうか。本作はいずれ訪れる人類の未来なのだろうか。恒星間を旅する技術を手に入れることができるのならば、地球に住み続ける技術もあるかもしれない。 しかし、太陽の寿命が来れば、出ていかざるを得ません。

 また、他に理由がでてくるかもしれない。 地球を出発すれば、片道の旅になるのは間違いありません。まさしく宇宙の孤児になります。そのプレッシャーに人類は耐えられるのだろうか。反乱も宇宙を旅していることを忘れるのも、人間の防御本能だろう。