こんにちは。本日は、東野圭吾氏の「私が彼を殺した」の感想です。
加賀恭一郎シリーズの第5作目です。殺人事件に関わる神林貴弘、駿河直之、雪笹香織の三人の視点で描かれます。
三人に共通するのは、被害者の穂高誠に対する不満です。殺意に変化してもおかしくないほどの不満を抱いています。三人が置かれたそれぞれの環境も殺意を後押ししています。殺人事件の謎は、誰が、どのように殺害したかです。
加賀は中盤まで登場しません。視点でもないので登場シーンも少ない。それでいながら、相変わらず存在感は大きい。
「私が彼を殺した」の内容
婚約中の男性の自宅に突然現れた一人の女性。男に裏切られたことを知った彼女は服毒自殺をはかった。男は自分との関わりを隠そうとする。醜い愛憎の果て、殺人は起こった。容疑者は3人。事件の鍵は女が残した毒入りカプセルの数とその行方。【引用:「BOOK」データベース】
「私が彼を殺した」の感想
穂高の人物像
穂高が殺されるのは、物語が始まってしばらくしてからです。殺されるまでは穂高の人間性が描かれ、複数の人間から殺意を抱かれても仕方ないと思わせます。穂高は自己中心的で他人の気持ちを考えない。直接的に関わる人たちにとっては、彼の行動は目に余るだろう。自分が被害を被ることになればなおさらです。
穂高の最も悪いところは、自分が正しいと思っていること。自身に都合の悪い状況を他人のせいにします。顕著に表れているのが、浪岡準子の自殺の処理です。彼女の自殺に責任どころか迷惑しか感じません。しかも、後処理を駿河にほぼ丸投げしています。一緒に死体を運んでいますが、当事者の意識を全く感じません。
浪岡の自殺は、穂高の誠意の無さが一因です。彼女の人生を狂わせ、簡単に捨てます。恋愛は人間の本性が出るのだろう。雪笹香織も人生を狂わせたのかもしれません。彼女は死でなく、穂高に対する怒りを溜め込んだが。
穂高はあらゆる面で救いようがありません。いつか誰かに殺されても仕方無いと思わせます。結果として複数の容疑者が登場します。
三人の背景
憎しみを持っただけで殺意を抱くことは通常ありません。また、殺意を抱いたとしても、実行することとの間には大きな溝があります。しかし、一線を越えれば殺意を止めることはできないのだろう。
特に、駿河の気持ちはよく分かります。自分が好きな女性が捨てられ自殺し、原因は穂高にあり、しかも穂高は責任どころか迷惑に思う。駿河の片想いだとしてもやりきれないだろう。また、仕事のやり方でも二人はうまくいっていません。都合の悪い後始末に追われる日々です。彼の動機は疑う余地がありません。
雪笹は自分自身の判断で穂高と交際しますが、彼が無責任でろくでなしだったことで人生の一部を無駄にします。自分が紹介した神林美和子に乗り換えられ、捨てられたことに憤慨しただろう。別れ方も誠意がありません。ただ、雪笹の場合は、穂高の人間性を見抜けなかっただけのようにも感じますが。そうは言っても、男女の仲は簡単ではありません。愛情が深い憎しみに変わるのも有り得るだろう。殺意に至るほどにです。
神林貴大は他の二人とは状況が違います。彼は穂高を殺したいとまでは思っていなかっただろう。いなくなればいいと思っていたかもしれませんが。大事にしている妹が穂高と結婚することで寂しさとやるせなさが生まれるのは自然です。それが憎しみまで膨らむためには理由が必要です。穂高が信用に足る人物でないと感じていたことも理由のひとつです。しかし、それだけでは弱い。だから、神林兄妹の特殊な環境と近親相姦を描いたのかもしれません。貴大の中では二人の関係は終わっておらず、穂高は終わらせる存在になった。
三人三様の環境であり、穂高に対する憎しみにも強弱があります。しかし、三人の抱く思いは尋常ではありません。
動機と機会
動機は、三人三様で持っています。神林貴大は直接的に穂高と接することが少ないので動機は弱い。しかし、それを補うために兄妹の近親相姦が脅迫に使われます。
三人は現実的な殺意を抱くことになります。憎い人間がいて殺したいと思っても、一線を越えるのは難しい。しかし、きっかけがあれば簡単に越えてしまいます。きっかけは殺害の機会を得ることなのだろう。駿河と雪笹は毒薬を入手します。その段階では殺意はまだぼんやりしたものです。しかし、手段があれば方法を考えてしまうのが人間です。
最も重要なことは殺人がばれないことです。それさえクリアすれば実行することに躊躇する必要はありません。殺意が現実化していきます。駿河も雪笹もともに方法を考えつきます。そこに神林貴大が巻き込まれていく。
三人に機会が生まれます。毒薬も三人が持つことになります。三人が動機と機会を得ることで事件は複雑化します。誰が犯人であってもおかしくありません。駿河と雪笹は、ともに殺害をしたことを仄めかす表現もあります。
終盤、穂高邸に集められた三人と神林美和子に加賀が事件の真相を追求していきます。作中でも指摘されていましたが、アガサ・クリスティ的な謎解きのシーンです。加賀はどこまで掴んでいるのか。犯人に行き着く道筋は。二転三転する展開に先が読めない。
終わりに
前作同様、犯人は明かされません。読者が推理して、犯人を特定する必要があります。読者に対する挑戦です。
文庫巻末の袋綴じ「推理の手引き」でほぼ謎解きがされますが、それでも犯人は明示されません。本作はそれほど難しい推理ではないので、犯人は分かりやすいですが。