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『コーヒーが冷めないうちに』:川口俊和【感想】|人は、何故、変えられない過去に行くのか。

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 2017年の本屋大賞ノミネート作品です。読めば「4回泣けます」という通り、短篇四話から成る短編集です。過去に戻れる喫茶店を舞台に、恋人・夫婦・姉妹・親子の愛を描いた物語。

 過去に戻る物語と聞くと、SF的な印象を受けます。過去に戻って、人生をやり直す。過去に戻る理由のほとんどは、過去の過ちをなかったことにするためでしょう。過去を変え現在の状況を変えるために、人は過去に行きたがるものです。しかし、この小説はその大前提を封印しています。それが過去に戻るためのルールです。プロローグに書かれているルールは、

  1. 過去に戻っても、この喫茶店を訪れた事のない者には会うことができない
  2. 過去に戻ってどんな努力をしても、現実は変わらない
  3. 過去に戻れる席には先客がいる。席に座れるのは、その先客が席を立った時だけ
  4. 過去に戻っても、席を立って移動することはできない
  5. 過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ 

 2番の条件があるにも関わらず、何故、人は過去に行きたがるのか。行ってどうなるというのか。それが、この小説も最も重要な部分だと思います。ただ、ちょっと条件が多すぎかなと思います。ストーリーを感動的にするためには、これだけのルールが必要だったということかもしれません。 

「コーヒーが冷めないうちに」の内容

お願いします、あの日に戻らせてください―。「ここに来れば、過去に戻れるって、ほんとうですか?」不思議なうわさのある喫茶店フニクリフニクラを訪れた4人の女性たちが紡ぐ、家族と、愛と、後悔の物語。【引用:「BOOK」データベース】 

「コーヒーが冷めないうちに」の感想

一話「恋人」

  ストーリーの発端は、主人公の「清川二美子」と恋人「賀田多五郎」の別れ話です。五郎がアメリカに行くことになった時、プライドが邪魔をして引き止められなかった。そのことを後悔し、過去に戻ってやり直したい。簡単に言えばそれだけのストーリーですが、ここで例のルールが立ち塞がります。 

 過去に戻ってどんな努力をしても、現実は変わらない

 そのことが、二美子にどのような行動を起こさせるのか。また、どのように彼女の心が変わっていくのか。そこが、一番の読みどころです。ただ、最初の物語なので状況説明的な内容が多い。

  • 主要登場人物の人物設定の説明。
  • 過去に戻るためのルールの説明。

 何気ない会話の中で説明しているように書いてますが、やはり説明感が際立って自然なストーリー展開とは言い難い。現実が変わらないと分かった上で、何故、二美子は過去に行ったのか。それは今までの自分の在り方を見つめ直し、自分にとって何が一番大事かを問い直すため。その心の機微が大事なのですが、前述の説明感が強すぎて素直に伝わってきません。結末も予想の範疇で意外性もなく、出来過ぎのハッピーエンドで白けてしまいました。   

二話「夫婦」

 夫「房木」と妻「高竹」の物語。第一話「恋人」で既に登場しています。おそらく、第二話のための伏線として登場させているのでしょう。第一話で「この二人はどういう関係なんだろう」と謎を残していました。何か深い事情のある関係だと想像させています。しかし、第二話の最初で二人の関係はあっさりと明かされてしまいます。

  • 房木が若年性アルツハイマーであること。
  • 高竹が房木の妻であること。 

 二人の関係性を、会話や状況から読者に推測させても良かったのではないか。房木の病状や彼が過去に戻りたい理由。高竹を旧姓で呼ぶ理由。それらを説明してしまっています。事細かに説明されてしまうと、読者がいろいろと想像する機会を奪ってしまいます。 

 ただ、物語としてはとても深い。決して、他人事ではないと感じさせるテーマです。もちろん、若年性アルツハイマーは数少ないかもしれません。しかし、老人になればアルツハイマーを発症し、夫や妻のことが分からなくなることは少ないことではありません。自分の夫や妻が自分のことを忘れてしまった時、自分はどのように感じるのか。どのように行動するのか。この物語は、夫婦の在り方を描いています。そして、夫婦の在り方は心の在り方でいくらでも変わるということです。  

三話「姉妹」

 姉「平井八絵子」と妹「平井久美」の物語。第二話「夫婦」の冒頭で、伏線として「久美」が登場しています。この小説は、一つ前の短編に定型的に伏線を仕込むのでしょう。第一話「恋人」と同じように、単純なストーリーです。二人姉妹の姉が家を飛び出し、妹が家を継ぐ。

  • 姉を引き戻そうとする妹。
  • 拒否する姉。
  • 姉を許さない両親。 

 最初から、和解するのは容易に想像できます。その和解の仕方が、どのようなものなのかで感動を持ってこようとします。感動の方法として、妹の死を持ってくるのはあまりに単純すぎる展開です。死んだ人間に会うために過去に行く。しかし、死ぬことを止めることはできない。誰が読んでも、悲しい話になるのは間違いありません。安直すぎる印象です。そして、八絵子が過去に行くのは自分が救われたいだけにしか感じません。妹のためと言いながら、過去に自分が取った行動に対する後悔から逃れるためなのでは。感動的な終わり方をしているように感じますが、とても打算的な結末です。  

四話「親子」

 「時田計」と彼女の娘の話。第三話「姉妹」で、計が妊娠していることは伏線で仕込まれています。そして、彼女が出産に耐えられないことも暗に示しています。未来からやってきた高校生くらいの女の子も、第三話で登場しています。この伏線から、

  • 計が出産で死ぬこと。
  • 高校生くらいの女の子が、計の娘であること。  

 この二つが、読む前から分かります。著者が意図的に分かるように書いたのか、書き過ぎてしまったのかは分かりません。今まで過去に戻る話ばかりだったのが、一転して未来へ行く。短編のマンネリ化を防ぐ意味もあったのかも。第四話は感動を与えてくれる内容と言うよりは、不自然な点ばかりが目立ちました。 

 まずは、計が妊娠したこと。流は、計が妊娠に耐えられないことを知っています。第三話で計が妊娠した時、「はたして、あきらめてくれるだろうか・・・」と心の中で思っています。それなら、避妊しておけばいいだけでは。 

 また、計が未来へ行った時の不自然な状況。娘に会えるかどうかを描くためには、流と数が邪魔になります。二人がいれば、娘を紹介すればいいだけだから。そこで、流たちを北海道にいる設定にしています。何故、北海道。しかも、理由は全く説明されず。北海道にいる必然性を描かない。都合のいい部分だけを切り取っているように感じます。 

最後に

 文章も平易で、サクサクと読み進めていけます。過去に戻れるけど、現実は変わらない。過去を取り戻すことが出来ないと分かっていても、過去に戻ることを決意する人の心象を伝えたい。そして、現実は変わらなくても救われることがあることを描きたいのでしょう。ただ、感動させようと意識し過ぎなのでは。感動させるためだけに、いろんなルールが設定されている印象です。 

 最も重要なルール。過去に戻ってどんな努力をしても、現実は変わらない。これだけをベースに描いた方が、人物の心象をより鮮明に描けたように感じます。