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『闇祓』:辻村 深月【感想】|あいつらが来ると、人が死ぬ。

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ご覧いただきありがとうございます。今回は、辻村深月さんの「闇祓」の読書感想です。

辻村深月さんの初の本格ホラーミステリー長編作品です。インタビュー記事によると、短編ホラーは「ふちなしのかがみ」と「きのうの影踏み」の2作品がありますが、長編ホラーは初めての執筆とのことです。

辻村さんはミステリー作品を数多く執筆しています。「闇祓」もミステリーの枠内に入る作品であり、これまでの辻村作品の延長線上にあります。だから、初めてという言葉を意外に感じてしまいます。

本作で描かれるのは「ハラスメント(嫌がらせ)」です。世間には多くのハラスメントが溢れています。例えば、セクハラ・モラハラ・パワハラなどです。相手よりも優位な立場に立とうとする意識から生まれ、相手を不快にさせる言動です。

ただ、未だ名称が無いハラスメントも存在します。そんなハラスメントのひとつとして、著者は「闇ハラスメント」という言葉と定義を作り出したのでしょう。

 

ヤミ-ハラ【闇ハラ】

闇ハラスメントの略。 ヤミ-ハラスメント【闇ハラスメント】精神・心が闇の状態にあることから生ずる、自分の事情や思いなどを一方的に相手に押しつけ、不快にさせる言動・行為。本人が意図する、しないにかかわらず、相手が不快に思い、自身の尊厳を傷つけられたり、脅威を感じた場合はこれにあたる。やみハラスメント。闇ハラ。ヤミハラ。

 

本作は、5章で構成された連作短編集です。第1章から第4章までは、様々なコミュニティで起こる様々な形の闇ハラが描かれます。闇ハラが先述の定義のとおりだとしても、どのような形で表れてくるかは千差万別です。

第5章で、これまで描かれてきた闇ハラが繋がります。タイトルの「闇祓」は、「闇ハラスメント」と「闇を祓う力」の二つの意味が込められています。結末まで読むことで、「なるほど」と納得するでしょう。

「闇祓」のあらすじ

「うちのクラスの転校生は何かがおかしいー」クラスになじめない転校生・要に、親切に接する委員長・澪。しかし、そんな彼女に要は不審な態度で迫る。唐突に「今日、家に行っていい?」と尋ねたり、家の周りに出没したり…。ヤバい行動を繰り返す要に恐怖を覚えた澪は憧れの先輩・神原に助けを求めるがー。身近にある名前を持たない悪意が増殖し、迫ってくる。【引用:「BOOK」データベース】

 

「闇祓」の感想

常に溢れるハラスメント

他人に対する嫌がらせは過去から存在します。人よりも優位な立場にいる者や立場になろうとする者が、確実に抵抗しない者を相手に嫌がらせをします。エスカレートすることで命を奪うこともあります。それらの行為にハラスメントという名前が与えられたことで、より現実的なものとして認識されるようになったのでしょう。

嫌がらせの態様や対象に応じて、「〇〇ハラスメント」と名前が与えられます。セクハラやパワハラ、マタハラ、モラハラと種類は増えていきます。

ハラスメントの目的のひとつがマウントを取ることです。「マウントを取る」という言葉が一般的に聞かれるようになったのは最近です。ハラスメントとマウントを取ることに関連性はあるのでしょう。

また、嫌がらせのことをハラスメントと呼ぶようになったのは、不法行為と位置付けるためです。社会に不適切な結果をもたらすハラスメントを取り締まり、何らかの罰則を与えることができます。次から次へと新たなハラスメントが登場するのは、ハラスメント自体が生み出されているのではなく、名付けられているに過ぎません。

本作で描かれるハラスメントは「闇ハラ」です。ハラスメントですが、洗脳に近い。ハラスメントは心を弱らせ、まともな判断力を鈍らせます。「闇ハラ」は、実社会で名付けられたハラスメントではありません。ただ、最も根元的なハラスメントと言えます。相手を傷付け、闇に落とすからです。

小説なのでかなり誇張されていますが、どのハラスメントも究極的には行き着く先は悲惨な結末なのでしょう。

 

を侵食する悪意

人の心は、悪意に晒されることで呆気なく壊れます。強いつもりでいても、人はそれほど強くはない。

誰もが他人との関係の中で生きていかなければなりません。対等な関係もあれば、上下関係もあります。完全に同等な立場というものはなかなか存在しません。なぜなら、全く同じ人間は存在しないからです。立場の違いを感じることも多い。

人よりも優位になろうと思うこと自体は悪いことではないでしょう。向上心と言い替えることもできます。しかし、相手を弱らせ、支配下に置こうとすることは悪です。そのために相手に向ける意志が悪意です。そのような悪意を抱く者は憎むべき存在だと誰もが思っているはずです。

しかし、悪意を抱かない人間がいるでしょうか。どれだけの人格者であっても、心に悪意は潜んでいます。他人に向けない努力をしているのが善意の人です。

周囲から向けられる悪意に抵抗するのは難しい。悪意だと気付けないこともあるからです。悪意は巧妙に姿を装い、時には善意のように振る舞います。善意に抗う人はいません。自身や周囲を冷静に見つめ、分析できる人は悪意に気付くことができるかもしれません。しかし、多くの人は気付いた時には手遅れになっています。自らも悪意を振り撒いていることもあります。

悪意に染められた心は伝染し、大きく深くなります。悪意の伝播が計算されたものであるならば、なおさら抗うことは難しい。たった一人が発する悪意が取り返しのつかない事態を引き起こすことは日常に普通にあるのでしょう。

 

の連鎖

悪意がもたらす負の感情は、心のあらゆる部分を闇へと引きずり込みます。連鎖は留まらず、周囲の人々を巻き込み、大きくなっていきます。闇に侵食された人間は、自らが悪意を振り撒く存在になっていくのでしょう。

一度生まれた悪意は消え去りません。人は強くないからです。そうして広がりを見せる悪意は、それ自体が意識を持つかのように増殖していきます。

本作で悪意を振り撒くのは、悪意そのものです。現実に行動する人たちは入れ物に過ぎません。悪意は人ではありません。人でないものに、普通の人が抵抗するのは難しい。だからこそ悪意は消えることなく、続いてきたのでしょう。

連鎖は途切れることなく、悪意は延々と連鎖します。理由のひとつに、誰もが心に悪意を潜ませているからかもしれません。

 

終わりに

本作の醍醐味は最終章にあります。第1章から第4章までの伏線が一気に回収されます。中心にいるのは「澪」と「要」です。要は何らかの背景を抱いています。それらも含めて、登場した悪意と起こった出来事が繋がります。怒涛の展開に目が離せません。

闇ハラと闇祓の戦いが緊張感を伴いながら展開します。その過程で要の過去も明かされます。あらゆる謎が繋がっていく様子は気持ち良さがあります。第5章まで読みきることで、本作の読み応えを実感するはずです。

最後までご覧いただきありがとうございました。