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『よるのばけもの』:住野よる【感想】|昼の俺と夜の僕。本当のばけものはどっちなのだろうか。

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 主人公の安達は、夜になると8つの眼・足が6本・4つの尾がある真っ黒なばけものになる。物語としては完全なフィクションであり、非現実的な設定が前提になっています。夜の学校に忍び込む同級生の矢野さつきについても、どうやって忍び込んでいるのか明確ではありません。読者は「何故?」という疑問を抱いてしまいます。

 また、描かれているテーマは「いじめ」です。現実的で社会的に大きな問題となっているテーマです。生々しくセンシティブな現実を非現実と組み合わせることで、著者は何を訴えてくるのだろうか。 

「よるのばけもの」の内容

夜になると、僕は化け物になる。化け物になった僕は、夜の学校で、ひとりぼっちの少女と出会う―【引用:「BOOK」データベース】 

「よるのばけもの」の感想 

「何故」と「どうして」

 本作には「何故」と「どうして」が数多くあります。現実的な謎もあれば、非現実的な謎もある。非現実的なものは何らかの暗喩なのかもしれません。夜にばけものの姿になることも理由があり、何かを表現しているのでしょう。あらゆる謎は、いずれ明らかにされるのだろうと期待してしまいます。ただ、明らかにされる謎と、されない謎が混在します。

 視点は安達です。彼が見る世界が読者の見る世界です。彼が見る矢野の言動が理解できないものならば、読者も理解できなくなる。同級生達を見る目も安達を通して見ることになります。彼が抱いている印象が、そのまま同級生の姿になります。

 彼がに感じることはそのままとして残り、どうしてと思うことはそのままどうしてと感じてしまいます。もちろん安達が見たり聞いたりする景色を見ながら登場人物達の性格や関係性を想像し現状を認識しようとするのだけど、なかなか分からない。矢野を含めた同級生が何を考え、何をしているのか。常に考えながら読み進めなければなりません。 

じめの被害者

 安達は積極的にいじめに参加する訳ではないが、止めることもない立場を取っています。クラスの雰囲気次第では、時に積極的な行動に出ることもあります。自分が標的にされないために周到に考え行動する。いじめに加担しているのと同じです。いじめに関しては、被害者に100%責任はありません。どんな理由があったとしても、いじめを正当化できることは決してありません。いじめに加担しているのも同然の安達が、自己正当化するために矢野に理由を求めていることに不快感を感じます。

  • 話し方がおかしい。
  • 声が無駄に大きい。
  • 空気を読めない。

 矢野が周りから浮いていることは、当然いじめの理由にはなりません。いじめの決定的な契機は、緑川の本を窓から中庭に投げ捨てた事件です。では、クラスメートの本を窓から投げ捨てることは、いじめの理由になるのでしょうか。どんな理由があっても、矢野の行為は許されることではないでしょう。ただ、それは非難される行為であってもいじめの原因にしていいことではありません。いじめを正当化できる訳でもありません。

 おそらく著者は、安達の勝手な言い分がいじめの理由になどならないことを言いたかったのではないだろうか。彼が思いつく原因は、どれもいじめの理由になりません。彼女の行動に問題があったとしても、いじめという方法を用いることは許されない。安達がどれだけ自分の行為を正当化しようとしても、全く意味のないことだということでしょう。 

では、安達の行為が間違っていることを安達自身が気付くためにはどうすればよいのか。 

 夜の学校で、安達は矢野のことを知っていきます。彼女の場にそぐわない表情や行動の意味も知ります。矢野の行動の意味を知ったことで、彼女に対するいじめに疑問を持ち始めます。もともと安達はいじめ自体に否定的なところはあります。今まで自分が矢野に求めてきたいじめの原因が全て間違っていたことに気付いたことにより、彼は変わっていきます。そこで、違和感を感じます。もし、彼女の真意を知らなければ、彼は変わらなかったのでしょうか。彼女がいじめられていたとしても仕方ないと思い続けたのでしょうか。彼がいじめの理不尽さに気付き、彼女のあいさつに応える。そのきっかけは彼女の真意に気付くことではなく、いじめの理不尽さに気付くことから始まるべきです。 

野の行動

 矢野の受けてるいじめは相当に厳しい。無視だけでなく、椅子や机を汚されたりカエルの死骸を靴箱に入れられたり。それでも彼女は常にニタニタと笑いながら大声であいさつをします。彼女のその表情の裏には相当の恐怖があることが明かされていきます。昼間の学校は、彼女にとって恐怖でしかありません。普通に考えれば、周りのことに気を回すほどの余裕などないでしょう。

 いじめの決定的なきっかけは、緑川の本を投げ捨てたことです。緑川との関係は明確に描かれません。おそらく友達同士だったのでしょう。矢野は緑川のことを次のように言っています。 

喧嘩した元友達がイジメられているため仲直りができず、誰に対してもうなづくことしかできない癖に勝手に責任感を感じて本人の代わりに仕返しをしている馬鹿なクラスメイト

 矢野と緑川の事件は、二人の単なる喧嘩だったのかもしれません。そうであるならば、矢野はこれがきっかけでいじめが始まることを想像していなかったのかも。ただ、この事件をきっかけに始まったいじめは、矢野を相当に追い詰めています。先述のように常に恐怖を感じているからも分かります。それなのに、井口に対し配慮できるだろうか。矢野の消しゴムを拾ったことでいじめの対象となりかけていた井口。矢野は皆の前で井口の頬をビンタします。彼女を被害者にすることで彼女を救う訳ですが、果たして、矢野はそこまでの行動を起こすだろうか。自らが逃げ場のないいじめの標的にされていながら、さらにいじめの原因となる理由を増やすでしょうか。矢野が井口を救おうとする行動は、矢野の優しさかもしれません。ただ、いじめの被害者の行動として説得力を感じない。矢野の行動の意味は理解できるが、現実感がありません。 

  • いじめは表面化しない。
  • 関わる人たちも、いじめに対し自分の意見を表に出さない。
  • 積極的な加害者は別にして、同調しているだけの人間は行動と思惑は一致していない。

 なので、登場人物たちの行動と真意を想像しながら読み進めなければなりません。視点は安達です。安達の心象は分かりますが、それ以外は彼が見たり聞いたりしたことです。彼の目と耳を通じて得た情報から、読者は考えていかなければならない。また本作は、全ての謎が解明される訳でもありません。

 詳細な考察をしているブログも多くあります。そのうちいくつか紹介します。 

終わりに

 大人はほとんど登場しません。唯一、保健室の能登先生が関わってきますが。いじめは当事者で解決できるはずがない。大人の介入が不可欠だと考えます。能登先生は、いじめに気付いていながらも積極的に介入しません。学校や教師の不作為を見せることで、学校や大人を糾弾しているのかも。

 いじめは解決されずに物語は終結します。描かれていたのは安達の変化であり、いじめに対する問題提起ではなかったように感じます。何も解決せず、何も進展しない。おそらく、安達がいじめの対象に加わるだけになるのでしょう。フィクションの小説ですが、今まさにいじめを受けている子供たちにとって希望となるべきものが含まれていたのだろうか。