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『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』:辻村深月|チエミとみずほは救われたのか

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 主人公は、幼馴染の神宮司みずほと望月チエミ。この二人を軸に、母娘の関係・女友達の関係を生々しく重苦しく描いています。30歳のみずほとチエミが感じる感情に共感できるかどうか。彼女たちが歩んできた今までの人生に共感できるかどうか。また、登場する彼女たちの友人や家族のことを理解できるかどうか。共感や理解が出来るかどうかで、この小説の評価はがらりと変わってくると思います。登場する女性たちの考え方や感じ方が一般的かどうか分かりませんが、特殊でもないでしょう。ただ、女性でないと共感し難いところがあります。 

 物語は、みずほが失踪したチエミを探すことから始まります。チエミは、母親を殺して失踪してます。地元から遠ざかり都会で生きているみずほが、かつての友人たちと再会していく。そこで、みずほは自分自身を取り巻いていた世界を見つめ直すことになります。そして自分自身を見つめ直すことにも。失踪したチエミを探して、殺害の理由を知ろうとする。表面的なストーリーは、この流れで進んでいきます。しかし、最も重要なのは、みずほとチエミの心象です。 

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」の内容 

地元を飛び出した娘と、残った娘。幼馴染みの二人の人生はもう交わることなどないと思っていた。あの事件が起こるまでは。チエミが母親を殺し、失踪してから半年。みずほの脳裏に浮かんだのはチエミと交わした幼い約束。彼女が逃げ続ける理由が明らかになるとき、全ての娘は救われる。【引用:「BOOK」データベース】  

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ」の感想

友達の関係

 みずほとチエミの年齢を30歳に設定したのは、30歳が女性にとって重要な年齢という捉え方をしているのでしょう。

 30歳で結婚しているかどうか。

 その違いが、かつての女友達同士に溝を生んでしまう。元々の友達関係も、打算的で表層的な関係であることも溝を深くする理由かもしれません。また、地方都市における「30歳未婚女性」の立場がいかに頼りないか。結婚が全てのような印象を与えてくるみずほの故郷の環境に違和感を感じます。果たして、現在においてもそうなのだろうか。女性にしか分からないプレッシャーみたいなものがあるのだろうか。 

 みずほがチエミを探すために会った友人たちは、総じて自分中心の考え方をしています。友達のことを心配しているように見せながら、実は心配している自分を見せようとしているだけに感じさせます。それが、女友達特有のものなのかどうか。一般化は出来ないと思います。また、女性特有でもないかもしれません。 

ただ、小説内では女性の性向として位置付けられている気もします。 

 ある程度、閉ざされた世界で生き続けている友人たちと、都会に出て新しい世界で生きているみずほ。この二者の間には、大きな隔たりがあります。考え方の違いや周りに対する興味の持ち方。世界をみる視野。あらゆることが違っています。しかし、チエミを探すために友人たちと再会していく度に、みずほはかつての自分を見ることになります。自分だけは違うと思い込んでいた自分が、いかに思い上がっていたのか。それは、及川亜理紗との会話の中で強調されています。奢りを感じさせる及川にチエミが侮辱される。それは幼馴染みを侮辱されるだけでなく、かつての自分も侮辱されたように感じたのか。みずほ自身もチエミに対し、軽蔑の感情を持っていたはずですが。

 総じて、打算的で表面的で刹那的な楽しみを求める友達同士に感じます。そういった下地を作っておいて、みずほとチエミの友情を際立たせる意図なのでしょうか。  

子の関係

 物語の発端は、チエミが母親を殺したことです。チエミの家庭とみずほの家庭は、まるで両極端のように描かれています。チエミの家庭は父親も含め家族三人が、あまりにも仲が良い。隠し事をせず何もかもを共有し、お互いを傷つけないようにする。子どもの頃は理想的な家族です。しかし、そのまま親離れ子離れせずに同じ関係が続いていった時に、その家庭環境は異質なものになってしまう。お互いの距離を近づけさせ続けるのは、単なる所有欲です。適度な距離感があるほうが仲が良いとも言えるかもしれません。いつも同じ考え、同じ感情を抱いているという妄想を持ってしまうことになる。そのことがチエミと母親の諍いを生み、結果としてチエミの母が死ぬことになります。 

 一方、みずほの母親は虐待に近い躾を与えています。ただ、必ずしも悪意があった訳ではなさそうです。みずほが母親との関係を修復不可能だと思い知った手紙には、母親が虐待に近い躾をしている自覚があったことを証明しています。逆に言うと、躾けという認識もあったということです。小説内のみずほの母親の行いは、決して正当化できるものではありません。ただ、ここで言えるのはみずほの家庭も母と娘の距離が近すぎたのではないだろうか。

 チエミの家庭もみずほの家庭も、母と娘があまりにも緊密過ぎた。チエミは、その関係のまま年齢を重ね、みずほは離れた。どっちが正しいと言うこともないでしょうが、どちらの家庭も異形だったのでしょう。  

最後に

   残念ながら、私は共感出来ませんでした。彼女たちの考え方や感じ方は、私の心に馴染まない。30歳の女性は、こんな考え方をするんだなと思うに留まります。もちろん、彼女たちの考え方は一般論でありません。ただ、共感する女性も大勢いるんだろうなと想像は出来ますが。

 結末も、チエミにとって救いがあったのかなかったのか判断しづらい。母親を殺したことに対する取り返しのつかない後悔が彼女を押し潰す。その反面、みずほとの再会でチエミが救われたように描かれてもいます。果たして、チエミとみずほの間には友情があったのか。それとも、事件をきっかけに二人の関係が新しく生まれたのか。それとも、子供の頃に戻ったのか。少なくとも二人の関係が真の友情で結ばれたとしても、取り返しのつかない事件のあとです。チエミにとっての救いとは何だったのか。