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『続 横道世之介』:吉田修一【感想】|世之介は変わらない

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 タイトル通り、「横道世之介」の続編です。前作は本屋大賞3位を受賞しており、私のお気に入りのひとつです。大学一年生の1年間を切り取って描かれた彼の日常に引き込まれました。

 「続 横道世之介」は、留年したことでバブル景気の売り手市場に乗り遅れ、就職を逃した世之介の生活を描いています。24歳のフリーターとして生きている彼の1年間を切り取ります。世之介の生活は一般的ではありませんが、特別過ぎるというほどでもない。それでも世之介に惹かれていきます。彼の存在自体が物語を引き立たせ、少しの笑いと感動があります。

「続横道世之介」の内容

バブルの売り手市場に乗り遅れ、バイトとパチンコで食いつなぐこの男。横道世之介、24歳。いわゆる人生のダメな時期にあるのだが、彼の周りには笑顔が絶えない。鮨職人を目指す女友達、大学時代からの親友、美しきヤンママとその息子。そんな人々の思いが交錯する27年後。オリンピックに沸く東京で、小さな奇跡が生まれる。【引用:「BOOK」データベース】  

「続横道世之介」の内容

柄という個性

 描かれているのは世之介の日常です。極論すれば、彼の日常だけと言えます。ただ、彼の日常は変わった出来事が多い。彼が引き寄せているのか、変わったことにしてしまっているのか。世之介が出会う人々も個性的過ぎるくらい個性的です。

  • 寿司職人を目指す浜ちゃん
  • シングルマザーの桜子
  • コモロン

 浜ちゃんは丸坊主にするし、コモロンは退職と渡米。桜子も非日常的な出会い方です。しかし、世之介が関わるといかにも日常的になります。彼の態度が相手によって変わらないからですが、相手によって変わらないということは結構難しい。意識してもなかなかできません。むしろ意識しないからこそできることでしょう。彼はふわふわして頼りないですが、人に対する接し方はずっと変わりません。

 彼は積極的に何事かを成し遂げようとしません。しかし、現実を適当に過ごしているように見えない。その時々で自分の信じる方へ進んでいます。そこまで意識していないのかもしれませんが。世之介は社会的に評価されない状況です。フリーターでパチンコに通い、将来を真剣に考えていない。そんな世之介ですが、何故か許せるし共感してしまいます。人柄で読者を惹きつけます。

 彼は正義感に溢れている訳ではありません。作中にあるように、善良であろうとするから魅力を感じるのでしょう。意識的かどうかはあまり関係ありません。むしろ無意識に善良であろうとする方が魅力的です。男女の喧嘩の仲裁に思わず入ってしまい女性を庇う姿などは、純粋な正義感よりは自然とそうなってしまったという雰囲気が伝わってきます。固い意志を持って生きている様には見えませんが、自分自身を変えないし曲げません。大学時代の世之介と変わることのない姿が嬉しい。 

きつけられる人々

 世之介の周りにいる人たちも個性的で魅力があります。コモロンは別にして、浜ちゃん、桜子・亮太との出会いは偶然です。通り過ぎてしまうだけの関係になったとしてもおかしくない。何気ない出会いを運命的なものとして受け止めるのかどうかはその人次第ということです。世之介と出会った人たちは、その出会いを運命的なものだと受け止めたということでしょう。

 浜ちゃんは世之介を初めて見た時に、信頼し信頼される仲になると分かります。桜子にも、世之介との出会いに何か感じるものがあったはずです。彼女の人生と世之介の人生は重なり合う部分があまりありません。だからこそ、全く違う世界にいる世之介に何かを感じたのかもしれませんが。

 世之介は特別な存在ではありません。フリーターで向上心が薄い。人を魅了する要素も少ない。それでも彼の意志とは関係のないところで人を惹きつけます。浜ちゃんは直感で理解したのでしょう。桜子も同様です。亮太を救ってくれた感謝もあったでしょうが、それ以上の何かがあったはずです。少なくとも亮太が懐くことから信用できると思ったのかもしれません。 

子供が人を見る目は純粋で確かなものです。

 コモロンは大学時代からの友人なので桜子たちとは少し立場が違います。社会人になれば忙しいし、フリーターの友人とは疎遠になってもおかしくない。新しい付き合いも生まれます。しかし、コモロンと世之介の付き合いは続きます。会社でうまくいかないことも理由ですが、会社と関係がない世之介といれば楽しかった大学時代を思い出すことも理由です。様々な理由が入り混じり、世之介とともに過ごします。最も大きな理由は、世之介の存在自体が安心を抱かせるのでしょう。

 物語の構成は前作と同じように世之介と過ごした時期とその後が交互に描かれます。世之介の1年間と27年後のオリンピックイヤーです。彼らはふと世之介を思い出します。何故思い出すのでしょうか。自身の人生の一時期に確かに存在した世之介が、かけがえのない存在だったからです。

  • 受けた影響は言葉では言い表せない。
  • 彼に会った人生と会わなかった人生は確実に違うものになる。
  • 会わなかった人生は考えられない。

 時間が経つと大切さが分かります。ふと思い出してしまうのは世之介だからでしょうし、思い出す彼らにも共感してしまいます。 

然体

そばにいたときは、ただの頼りない弟分でしたが、今、世之介のことを思うと、ただ善良であることの奇跡を、伯父さんは感じます。 

 世之介は意識的に善良であろうとした訳ではないでしょう。自然体で生きている結果が善良であり続けたのだと思います。相手のことを考える。相手の立場に立つ。善良であろうとすれば意識的に行わなければならないことも多い。しかし、いつか意識が切れてしまうこともあります。意識せず、極めて自然体で行動した結果が世之介です。

 自分や相手の立場を考え行動する時に、損得勘定が入るのは普通の感覚です。世之介にも微妙な損得勘定があるように見えますが悪意は感じません。他人との関係で上下関係を意識しません。全てが同じ立場に立っています。自然体であろうとした訳ではなく、自然と自然体で生きている。一番難しいことですが。

 本当の自分を見せることは心を許すことです。普通、相手を選んでしまいます。世之介は相手を見て態度を変えません。人を自身の尺度だけで評価しません。コンビニにたむろしている外国人の娼婦に対しても、隣の外国人に対しても含むところがありません。彼らの境遇に思いを馳せることはありますが、同情もしないし軽蔑もしません。自分と違うものを受け入れる難しさを感じさせません。人を受け入れるから、人から受け入れられる。自然と受け入れている世之介に引き込まれます。 

常にこそ大事なものが

 世之介の1年間の日常です。1年と言えども出会いはあります。出会いをスルーせずに価値のあるものにするためには、時に意志が要ります。桜子との出会いと恋愛は世之介の意志が発揮されています。必ずしも、流され続けて生きていません。自然体と流されることは別です。

 人との関わりが最も重要なテーマです。関わりの中で生きていくことで重要なことを知っていきます。世之介の日常は、時に笑い、時に喜び、時に悲しむ。感情は重要な要素です。日常の感情に正直だからこそ、何気ない日常が映えます。大事なものは日常の関係性の中では気が付かないくらい自然と紛れ込んでいて、その時は単なる日常にしか見えません。過ぎ去り、戻らないと知った時に、日常に存在した大事なものに気付きます。世之介の存在はそれほど自然と溶け込んでいます。

 人生の大事なことは日常にあります。世之介は日常に存在する大事なものの象徴かもしれません。 

終わりに

 周りが社会人となり環境が変われば人も変わります。大学生だった世之介がフリーターとなっていますが、状況は変わっても世之介は世之介のままでした。数年しか経っていないので当然かもしれませんが。

 目新しいものは特にありません。それでも一気に読んでしまいます。著者の描く世之介が読者の心を揺らし、誰もが世之介に魅せられます。「続 横道世之介」だけを読んでも十分に楽しめますが、前作から読むことをお勧めしたい。