光と闇の暗殺者の決闘

ごきげんいかがですか。まんぱです。
1974年公開の『007/黄金銃を持つ男』は、ロジャー・ムーアが二度目のジェームズ・ボンドを演じたシリーズ第9作です。
この映画の魅力は、クリストファー・リー演じるフランシスコ・スカラマンガです。シリーズ史上でも屈指の哲学的で魅力的な悪役です。彼はカスタムメイドの黄金銃を携え、ボンドに挑戦します。
物語は次世代エネルギー装置「ソレックス・アジテーター」を巡る争奪戦です。それを背景に、ボンドと孤高の暗殺者との決闘に焦点が当てられます。スカラマンガの冷酷さとムーア・ボンドのコミカルさの衝突が独特のトーンを作っています。
本作の面白さは、最高傑作になり得たポテンシャルとそれを台無しにした要素の対比にあります。
今回は、『007/黄金銃を持つ男』の感想を書いていきます。
主人公を凌駕する悪役「スカラマンガ」の魅力
スカラマンガは、ボンドの存在感を完全に凌駕しています。クリストファー・リーの演技はもちろん、脚本や設定も彼を際立たせています。キャラクターはボンドよりも深く魅力的です。
彼の行動もこれまでのボンドの敵とは違います。「ソレックス・アジテーター」で稼ぐという目的はありますが、それよりも追求するのは最高の暗殺技術です。そして、誰が自分を超えるかを試す極めて個人的な挑戦です。
三つの乳首を持つ異形の体と孤独な生い立ち。スカラマンガは殺しを芸術に高めた孤高の存在です。
彼の目的はボンドを倒すことではなく、自身の存在意義を証明する最後の決闘の相手としてボンドを選ぶことにあります。
スカラマンガはボンドに対し、「私たちは非常に似ている」と語ります。ボンドが女王陛下の犬として秩序の中で生きるのに対し、スカラマンガはフリーの暗殺者です。光と闇の鏡像関係が、ボンドの倫理の曖昧さを浮き彫りにしています。
ムーアのボンドは軽妙でユーモラスですが、スカラマンガの冷酷さの前では相対的に浅く見えます。この映画の真のドラマは、ボンドではなくスカラマンガにあるのです。
ペッパー保安官再登場の影響とトーンの崩壊

スカラマンガの哲学的深みは、ムーア時代特有の過剰なコメディによって損なわれています。トーンの不安定さが本作評価の分かれ目でもあります。
原因は前作から再登場したペッパー保安官です。東洋の神秘やスカラマンガの存在感の中で、彼の陽気さは場違いです。興奮の熱を冷ます障害になっています。
再登場の必然性はゼロで、物語の雰囲気が壊れます。ボンドの任務を助けるどころか、騒ぎ立て足を引っ張る邪魔な存在です。
さらにボンドの車のジャンプシーンでは、コミカルなサウンドエフェクトが挟まれます。緊迫した場面に滑稽な効果音が入ると、観客の緊張感や感情移入が一気に崩れます。
スカラマンガのシリアスさを逆に嘲笑しているようにさえ感じます。
黄金銃の功罪と決闘の美学
悪役の象徴「黄金銃」も微妙な存在です。
この銃は万年筆、ライター、カフスボタンを組み合わせたカスタムメイドの暗殺道具です。スカラマンガの暗殺者としての誇りを象徴しています。
でも、スクリーンでは素材や組み立ての都合で、「安っぽい」「ちゃちい」と映ることもあります。
それでも、この「ちゃちさ」が功を奏します。スカラマンガが望んだのはハイテク兵器や大規模破壊ではなく、孤独な暗殺者同士が技術だけで勝負する古典的な決闘です。黄金銃は原始的で純粋な暗殺の美学を際立たせます。
クライマックスはスカラマンガの島での最終決闘です。隠れ家は太陽光発電施設を備え、暗殺技術を磨く恐怖の館の仕掛けもあります。
二人のプロが銃と知恵で命を懸ける静かで緊迫した対決です。黄金銃の簡素さが古典的な決闘の儀式の雰囲気を高めています。
終わりに
『007/黄金銃を持つ男』はシリーズでも評価が分かれると思います。クリストファー・リー演じるスカラマンガという悪のカリスマと、コミカルすぎるペッパー保安官の再登場が共存しています。
さらに、黄金銃も洗練されたカスタム武器とちゃちな小道具の二重印象を抱えています。
もしコミカル要素を排し、スカラマンガとボンドの個人的な対決に研ぎ澄ませていたら、ムーア時代の最高傑作として語り継がれたでしょう。
でも、このアンバランスさこそが本作を凡作で終わらせず、ある種の傑作として語られる理由かもしれません。
私も失敗を許しつつテーマの深さとスカラマンガの魅力に敬意を表し、ボンド映画史の特異点として記憶に残します。
映画って本当にいいものですね。