『ターミネーター:新起動/ジェニシス』レビュー|あの頃の衝撃はもうない?シリーズ愛を試される再起動:MANPA Blog

ジョンもカイルもサラも別人に?

ごきげんいかがですか。まんぱです。

2015年に公開された『ターミネーター:新起動/ジェニシス』。
初代『ターミネーター』や『ターミネーター2(T2)』を劇場でリアルタイムに観た世代には、かなり残念な作品だったのではないでしょうか。少なくとも、私はがっかりした。

あの頃、T-800の冷徹さに背筋がゾクッとしたり、ジョン・コナーの未来を背負った少年に胸を熱くしたりしました。その感覚を覚えている人には、この違和感はすぐに分かると思います。

「新起動」という名前の意味はよく分からなかった。また、ターミネーターやT2のオリジナルの設定やドラマは軽く扱われています。派手なSFアクションに寄せただけの印象です。

特にジョン、カイル、サラという主要キャラクターが別人のように描かれたのは、痛手でした。

 

 

あのジョン、カイル、サラが・・・一体誰?

まず、登場人物の変化です。シリーズの中心人物が、過去作とはまるで別人に見えます。

ジョン・コナー。『T2』で未来の希望として描かれた彼を覚えていますか?あの少年が抱える重みや覚悟、そしてカリスマ性。エドワード・ファーロングを一躍スターにしました。

ところが『ジェニシス』では、ジョンが敵のターミネーター(T-3000)になっています。演じるジェイソン・クラークも、あのジョンらしさはほとんどありません。人類の希望というキャラクターのイメージが薄れています。

カイル・リースも同じです。『ターミネーター』では未来の戦場を生き抜いた孤独や疲労、サラを守る使命感が描かれました。その必死さや切迫感が本当にカッコよかったのです。

しかし本作のジェイ・コートニー版カイルは、ただのタフなアクションヒーローです。オリジナルの悲壮感や深みは失われています。

サラ・コナーも残念です。リンダ・ハミルトンが体現した、過酷な運命に抗う母としての強さはほとんど描かれません。エミリア・クラーク版は戦う女性としての強さを見せます。でも、あの重みは感じられません。

こうして三人の存在感が薄れたことで、物語の説得力や緊張感も損なわれました。

 

T-800はあの冷たい恐怖じゃない

T-800も大きく変わっています。「おじさん」としてサラを育てます。まるで人間のように感情を持った存在になっているのです。

でも、覚えていますか。T-800の怖さは、人間のように振る舞いながらも感情を持たない冷たい機械だからこそ引き立っていました。『T2』で見せた人間らしい動きも、学習による模倣にすぎません。

本作ではサラを心配したり、カイルに嫉妬するような表情を見せます。さらに生体細胞の老化を使って、老人キャラとして描かれる場面まであります。あの冷徹さや存在感、哲学的な奥行きは消えてしまいました。

シリーズの哲学的テーマも軽視されています。機械が人間性を模倣する恐ろしさ、それによって生まれるドラマも描かれません。

アクションやコミカルさは増えました。しかし、T-800の存在意義は骨抜きです。あの頃、スクリーンで感じた緊張感や恐怖が恋しくなる人も多いでしょう。

 

過去作の世界観を無理やり変えた別世界線

物語は『ターミネーター』の1984年をなぞる形で始まります。しかしすぐに、ここは別の1984年と説明されます。あの名シーンも、別世界線だから違いますで片付けられます。

あの頃、サラの恐怖や成長、ジョンとT-800のぎこちない絆に胸を熱くした人なら、この別世界線には違和感しかないと思います。

シリーズが積み重ねてきたドラマはリセットされます。観客はただ映像を見るだけになってしまうのです。

アクションは派手です。しかし、逃げられない恐怖、陰鬱な雰囲気、サスペンス感はほとんど残っていません。あの緊張感こそリアルタイムで観た世代が心に刻んだ魅力でした。

派手な戦闘シーンばかりが目立ち、シリーズの根幹にあった恐怖やドラマは薄れています。

 

終わりに

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』は、T-800の哲学や主要キャラクターの本質を損ないました。オリジナルのドラマや哲学も軽視されています。

ジョン、カイル、サラの重要な要素を簡単に変えてしまったことで、シリーズの魂は薄れています。派手なアクションやファンサービスだけでは、あの名作の核心には届きません。

あの頃、映画館でスクリーンに釘付けになった体験を覚えている世代には、少し寂しい再起動と言わざるを得ません。

それでもスクリーンに映るT-800やアクションは楽しめます。ただし、シリーズの哲学や緊張感は期待してはいけません。

映画って本当にいいものですね。